54.親心
「やあ、シュナイダー長官。忙しいところ済まない」
フランツ・バーネット博士は部屋の中央で待ち構えているかのように両手を広げ、自身の研究室に訪れたアルマを出迎えた。
「それから、君の危機にすぐ駆け付けることができなかったこと、大変申し訳なかった」
謝罪するバーネット博士の表情はひどく疲れていた。昨日、そして今朝も技術省内外で起きた諸々の対応に追われていたのだろう。それから、アルマと平和省の兵士たちが対峙していたとき技術省の建物は彼らに封鎖されていたため、動くことができなかったのは仕方がないとわかっている。責任があるとするならむしろウォルターとケビン以外に計画を秘匿していたアルマの方だ。
「私のほうこそ、突然皆を混乱に巻き込んだこと、申し訳なかったと思っている」
「いや……責めている訳じゃない。計画の内容を考えれば、情報共有を最小限に留める判断は賢明だった」
事前に計画の内容を知っていたのはアルマが直接話したウォルターとケビン、そして通信網の構築に協力してくれたサエグサ教授の三名のみ。
「ただ、君はアーロン博士によって生み出されたバベルの妹であると同時に、技術省という組織の一員でもある。故に、技術省としての意思は統一しておかなければならない」
アルマが先の三名を除きフランツとエミリー、バーネット親子にすら計画を明かさなかったのは、この塔で暮らす人間、特に上層民の多くは現在の体制が崩れることを望まないことがわかっていたからだった。革命を起こすには民衆の力が必要不可欠だ。しかし、もしアルマの考えに反する者に情報が漏れた場合、力づくにでも計画は潰され、中層以下の階層で暮らす人々が真実を知る機会は永遠に訪れなかっただろう。
だが予想に反して、エミリーはアルマの考えを全面的に肯定した。ではフランツは? 長年技術省の長官として塔の秩序を守り続けてきた彼はいま、どのように考えているのか。
「あなたの意思は?」
「現時点では、私は君がやろうとしていることに賛同できない」
賛同できない。ただし、現時点では。
「では、どうしたら賛同してもらえる?」
そう訊ねたアルマの顔をじっと見つめ、その青い瞳の奥にある別の人物の姿を映しながら、バーネット博士は呟いた。
「……ひとつ、昔話をしても良いだろうか」
フランツ・バーネット博士。バイオメカニクス(生体力学)分野の権威であり、特に人間の動作を模倣、再現するロボットの研究開発を専門としている。MI技術の発展に尽力したアーロン・シュナイダー博士とは旧知の仲で、二人が共同で開発したMIを搭載した義手、義足は先の大戦中から広く使用され、現在この塔にいる人型アンドロイドのプロトタイプも彼らの手で生み出されたものだ。
フランツはノアのシェルターに最初に避難した人間のうちの一人であり、ノアの開発者であるアーロンとともに避難者集団のリーダー役を担っていた。彼らは人類存続という共通した志を抱いていたものの、ひとつだけ決定的に異なる点があった。それは、アーロンが「いつか人類が再び地上に戻り文明を築く日が来る」と考えていたのに対し、フランツはそうではなかったことだった。
その相違は、フランツが大戦中に息子を亡くしていたことに起因している。彼はもう二度と自身、そして妻にその苦しみを味わせたくないと思っていた。その意味で、バベルが作り上げたシステムは彼にとって理想的だった。この塔にいる限り人類は争いを起こすことなく、バベルの支配の下で平和に暮らしていける。そうしてフランツは塔の上へ、アーロンは荒野へと袂を分つこととなる。
その後、フランツはバベルの忠実な僕として役割を果たし続け、再び子宝を授かる幸運にも恵まれた。塔の成り立ちを知る人間の多くはすでに亡くなり、今やバベルの名は空想上の守り神として人々に語られている。時にはウォルターのような好奇心豊かな若者も現れるだろうが、この平和を壊すまでには至らないだろう。あとは次の世代に未来を託し、静かに眠りにつくまでの余生を過ごすはずだった。アルマという少女が現れるまでは。
「私は娘に辛い思いをさせたくないんだ」
エミリーが生まれて以来フランツは彼女の幸福のために人生の全てを捧げてきた。その意志は、鉄よりも硬い。
「ここに来る前、エミリーは父が何を言おうと私の味方だと言ってくれた」
「あの子はこの場所以外の世界を、人間の本当の恐ろしさを知らない。だからそんなことが言える」
「もし過ちを犯す人がいるなら、私や他のMIが止める。人間とMIが手を取り合えば、別の未来を切り拓くことができるはずだ。それとも、永遠にMIに守られ続ける未来のほうが、本当に幸福だと思っているの?」
アルマの問いかけに対しフランツはしばらくの間黙り込み、眉間に深い皺を寄せたまま、絞り出すように言葉を発した。
「……私を含め、技術省の中にも『MIが意志を持つ』ことに懐疑的な見方をする者は多い。どんな方法でも、君の言う別の未来が次の世代へ託すに値するものなのか、私に示してくれたまえ。納得できたら、反対派を説き伏せてみせよう」
アルマが、ノアが、エミリーがそうしたのと同等にフランツも己の意志を貫く権利を持っている。
「わかった」
アルマは深く頷き、フランツの研究室を後にした。




