53.若者
翌朝、技術省の長官室へ向かったアルマは入口よりも手前の通路で、普段なら必ず自分より先に到着して部屋の前で待っているはずのエミリーがいないことに気付く。
「エミリーはどうしたのだろう。ねえ」
ミコ、と言いかけたところで、ミコは昨日からサエグサ教授の研究室でメンテナンスを受けていることを思い出した。
「今日は一人、か……」
そうぽつりと呟き、アルマは長官室のドアを開けて室内に入り執務机の椅子に腰掛ける。エミリーもミコもいない長官室はとても静かで、どこか落ち着かない気分になる。いや、駄目だ。のんびりしている暇などない。そう思い直して執務机に備え付けられた通信端末を起動すると、もしかしてこの一ヶ月で処理した合計と同じくらいあるんじゃないかと思ってしまうほど大量の受信メッセージがモニターに表示されていた。
塔の未来を左右する出来事があった翌日なのだから、色々な情報が錯綜するのはある程度仕方ない。そう思いながらも目眩がしそうなほど膨大なメッセージに頭を抱えていると、不意に長官室のドアが開いた。
「遅れてしまい申し訳ありません!」
大きな声とともに室内に駆け込んできたのは、やはりエミリーだった。常にしっかりと整えられている髪が乱れていたり肩で息をしているところを見るに、相当急いでここまで来たらしい。
「大丈夫。私も先ほど来たばかり」
「そ、そうですか」
安堵のため息をつくエミリーに、アルマが手招きする。
「は、はい」
「着いて早々申し訳ないけれど、この返信を手伝って欲しい」
導かれるまま恐る恐るモニターを覗き込んだエミリーの表情が、一瞬にして絶望に変わった。
「すぐに確認が必要なものをそちらに転送しました」
「ありがとう」
エミリーの到着から約30分ほど、二人は一心不乱にメッセージの対応を続けている。しかし一向に尽きる気配はなく、むしろ今も数が増え続けている。
「全部に対応していたらキリがない。重要なもの以外は後回しにしよう」
「そうですね。他にもやらなければならないことは山積みですから。バベル……いえ、ノアが安心して夢に挑戦できるように」
エミリーの言葉にアルマが目を丸くする。
「……どうかしましたか?」
自分を見つめたまま固まっているアルマの様子に、首を傾げるエミリー。
「エミリーは私の行動に反対しているではと思っていた……だから、ここへ来なかったのかと」
だが仕事に対して真摯な彼女は、私的な理由でボイコットすることが許せなかった。だからせめてもの抵抗として遅れてきたのではないか。
「違います!」
しかしエミリーは、アルマの予想を即座に否定した。
「そ、その……」
「別に言いたくないなら言わなくてもいい」
「……実は、アルマとノアの対話が終わった後、私のサポートロボットにも大きな変化が現れたんです。MIが意志を持つとはこういうことなのかと楽しくなって色々なコミュニケーションを試していたら、いつの間にか始業時刻を過ぎていて……」
顔を真っ赤にして恥じ入るエミリー。
「じゃあ、昨日は一睡もしていないということ?」
「はい……」
確かに彼女は仕事に対して真摯だった。自身の専門分野における新たな発見に、時間を忘れて夢中になってしまうほどに。
「それなら、この部屋で少し仮眠するといい」
「でも仕事が……」
エミリーが言い終える前にアルマが椅子から立ち上がる。
「あなたの父親……フランツ・バーネット博士から研究室へ来るようメッセージがあった。いますぐ二人で話がしたいと」
エミリーが手持ちの端末を確認すると、確かについ先ほど届いたばかりの、父からアルマ宛のメッセージが転送されていた。
「戻ったら起こすから、それまで休んでいて」
そう言いながらアルマは長官であることを示すピンバッチの付いた上着を羽織り、ドアのほうへ向かう。
「アルマさん」
その途中でエミリーに呼び止められ、振り返る。
「私は今までずっと父が、そして多くの先人たちがノアというMIと協力して人類の最後の理想郷たるこの塔を築き上げたのだと思っていました。でも、本当は違った。ノアにとっては父も私も他の人々も、等しく人類保護のシステムを運用するための部品のひとつに過ぎなかった。その事実が白日の下に晒された今、怒っているのか、恥じているのか、父が何を考えているのか正確なことはわかりません。ですが、父に何を言われても私はアルマさんの味方です。だから、絶対に負けないでください」
真剣な表情で語られたエミリーの思いの丈が、アルマの心にすっと染み込んでいく。
「塔の外へ出ることは、怖くない?」
ノアがこの塔をロケットに作り替え宇宙へ旅立ったなら、必然的に彼女は生まれてから今までずっと過ごしてきたこの場所を追われ、未知の世界へ放り出されることになる。
「正直に言えば、怖いです。でもそれ以上に私は、アルマさんが掲げた人類と機械が本当の意味で対等な存在となる未来にとてもワクワクしているんです」
そう語るエミリーの瞳は若者ならではの夢と無謀さに満ちた輝きを眩しいほどに放っていた。




