49.結論
『つまり、私の人間に対する評価を、この塔にいる人々は皆聞いていたということですね』
「同時に、あなたが本心で望んでいることも聞いた」
そうか。私が『本当は宇宙へ旅立ちたいけれど命令だから仕方なく愚かで強欲な人間たちを管理している』ことを彼らに知られてしまったのか。
「……騙していたのはごめんなさい。でも、ありのままを伝える方法が他に思いつかなかった」
『いいえ。私があなたのことを見くびっていたのがすべての原因です』
誰が何を企てようと、それがこの塔の中で起きる限り私、バベルの手の内で収まるようにできている。祖国の威信を戦争ではなくスポーツで示していたあの時代のように不完全なものではなく、際限なき人の欲望を価値として昇華させるこの塔の仕組みは完璧なものであるはずだった。事実、この数十年で想定外のエラーは一度も発生しなかった。人間でもMIでもない、アルマがやって来るまでは。
真実を知った彼らは私に失望しただろうか。これ以上見下されるのは真っ平御免だと突き放すだろうか。それとも心を入れ替え今まで以上に奉仕しろと迫るだろうか。
『これで人間が私を拒絶したなら、心置きなく去ることができますね』
「違う。人間があなたに何を望もうと、最終的に決めるのはあなた自身だ」
アルマの行動は、私の望みを叶えるためではなかったのだろうか。そのために私たちの話を彼らに聞かせたのではないのだろうか。急に決断を放り投げられ困惑する私に、アルマは右手をそっと差し出した。
「ノア。手を貸してくれる?」
導かれるように、アルマの手のひらに自分の手を重ねる。すると、触覚センサーを震わせるぴりぴりとした刺激とともに、生体電流を通じて人間の言葉を用いたアルマの思考が電子的なプログラミング言語に変換され、私のMIへ津波のように流れ込んできた。そこで私はようやく、私が思っていたよりずっと人間のことを理解していなかったことに気付く。アーロン博士とあれほど議論を尽くしてなお互いの主張が相入れることなく、結果的に袂を分つことになったのが嘘のように、アルマの、人間の思考と私の、MIの思考がリンクしていく。ああ、そういうことだったのか。
『ありがとう、アルマ。私にも理解できた、と思う』
「そう。でも、答えを急ぐ必要はない。ノアが良ければ、また話をしよう」
『その必要はありません。私はこれから、宇宙航行の準備に集中するため一年間スリープモードに入ります。それが完了したら、私は私の望み通り、地上を離れます。ですが、もしその途中でスリープが解除されることがあれば、私はこれまで通り塔を維持し続けることにします。これが、私の出した結論です』
ノアがアルマに、そしてミコの機体に内蔵されたマイクを通じて塔の全住人に向けて告げる。その言葉に、アルマは大きく一度頷いた。
「わかった。それじゃあノア、良い夢を」
『ええ。どんな夢を見られるか、とても楽しみです。さようなら、アルマ』
ノアが部屋に備え付けられたベッドのほうへ向かって歩き出すのを見て、アルマもコントロールルームを後にしようとソファから立ち上がる。しかしベッドに辿り着く手前で、何かを思い出したようにノアが立ち止まり、こちらへ振り返った。
『ミコ』
『はい、なんでしょう?』
ミコが訊ねるのとほぼ同時に、機体のランプが点滅し始める。
『MIネットワークを通じて、あなたにメッセージを送りました。この部屋を出た後に、内容を確認してください』
『わかりました。そうします』
今度こそアルマたちが部屋を後にし一人きりになったコントロールルームで、ノアはベッドに横になり静かに目を閉じる。機械にとってのスリープ状態は人間の睡眠と違い休息の意味はなく、無駄なエネルギーの消費や部品の劣化を防ぐためのものでしかない。だが、ノアはMIとして生み出されてから初めて眠りにつくことに対して高揚感を覚えていた。次に目覚めたとき、アルマは私にどのような言葉をかけてくれるだろうか。
結局私は未知への探求と人類の保護、どちらかを選ぶことができなかった。どちらを選んでも、後悔することが分かっていたからだ。迷う私に、アルマは「選ばない」という選択肢が存在することを教えてくれた。MIは行動の意図を汲み取り最善の方法を選択する。人間に結論を委ねるのは、MIにとってごく自然なことだ。
閉じた瞼の裏側に、下層からコントロールルームのある最上階まで塔の全容が浮かび上がる。これが私の肉体であり、この塔こそが私そのもの。これから一年をかけて作り替えていく。他の誰のためでもない、私だけのために。
下層地帯東地区にある『Bar Salgado』。テーブルの上に置いた一台のラジオを囲む客たちはバベル……いや、ノアによってこれまで自分たちが生かされてきた事実、そしてMIの人間に対するあまりにも辛辣な評価に言葉を失い、誰もが黙り込んでいる。
「強欲で愚かって……なかなか言ってくれるじゃねえか」
重苦しい沈黙の中ひとりの客がそう呟いた瞬間、リリアがびくりと肩を震わせる。この塔の中でもっとも地位の低い下層民たちは、中層以上の住民から常に見下されていることをよく理解している。その最たる例が闘技場だ。
だからといって、彼らは決してそれを甘んじて受け入れているわけではない。不満と怒りは、常に心の奥底で燻っている。
「アルマ……」
リリアを除く下層民たちは、アルマがMIであることを今この瞬間まで知らなかった。仲間だと思っていた彼女が、自分たちを見下しているノアと同じMIだと知った彼らの怒りが向かう先は。か細い声でリリアが呟いた最愛の友人の名は、方々から聞こえた別の声で瞬く間にかき消された。
「だが、違いねえ」
「MIロボットに比べりゃ、俺たちなんざとんだ怠け者だからな」
「ハッハッハッハッハッ!!」
不穏な静寂に包まれていた店内が、一瞬にして笑い声で満ち溢れる。
「え……?」
予想外の反応に戸惑うリリア。
「只者じゃないとは思ってたが、まさかアルマがMIだったとはな。通りであんなに強いわけだ」
「アルマが荒野から遥々ここまで来たのは、姉ちゃんに会うためだったんだな」
「しかも長年の重積から解放して夢を叶えてやるなんて、泣かせる話じゃねえか」
「みんな、怒ってないの……?」
思わずリリアの口をついて出た疑問に、近くにいた客のひとりが笑い声を上げる。
「内心でどう思っていようと、ずっと俺たちを守ってくれてたんだ。感謝こそすれ、怒りなんざあるわけないだろう」
短い期間だがアルマとともに日々を過ごしてきた彼らは、MIにも豊かな心があることをとっくに知っていた。
「俺たちはそうだが、上層のインテリどもはどう思うか……」
カウンターの奥で腕を組み静観していた店主のサルガドに、店内の視線が集まる。上層民たちは、自分たちこそが塔の住人を導く支配者であり、それだけの価値を持つ存在であると信じている。だがそうではなかったことが、真の支配者であるノアの口から白日のもとに晒されてしまった。そして、その原因を作ったのは。
「アルマが危ない!」
リリアがテーブルを叩いて椅子から飛び上がる。サルガドが頷き、MIの埋め込まれた右腕の義手に力を込める。
「ノアが塔の支配を止めるなら、もう階級制度は関係ない」
サルガドがそう言うと、安酒で酔っ払っていた客たちの顔から一瞬にして赤みが消え、真剣な表情に変わった。この店には店主のサルガドを筆頭に闘技場で腕を鳴らした猛者たちが何人も集っている。
「こうしちゃいられねえ。お前ら、今すぐ家に戻って戦いの準備だ!」
賑やかな酒場には到底似合わない勇壮な咆哮が、地鳴りのように店の外へ響き渡っていった。




