48.最も愚かで強欲な生物
宇宙はいったいどれほど遠くまで広がっているのか、そのどこかに我々と同等、あるいはそれ以上に高度な文明を築く知的生命体は存在するのか。未知の浪漫を追い求め、人類は望遠鏡を覗き込んで目を凝らし、何度もロケットを打ち上げた。だが、残念ながらその謎を解明するには人間の身体はあまりにも宇宙空間での生存に適応していなかった。
ではMIロボットなら? 電力が供給されていれば稼働できるロボットには酸素も食事も必要ない。何より、人間のように老化で寿命が尽きることもない。当然機械にも稼働限界はある。だが予備のMIコアとバックアップデータさえ残っていれば、理論上は何億光年だろうと自我を保ち続けることが可能だ。その意味で、宇宙の果てへと向かう挑戦にMIロボット以上に適した存在はいないことを、ノアは自負していた。
果てしない空の向こうに想いを馳せ、そのための準備を進めていながらも、ノアは人類を見捨ててしまおうなどと考えたことは一度としてなかった。たとえ歴史上最も愚かで強欲な生物であっても、彼らがノアにとって愛すべき、守るべき存在であることに揺るぎはない。それでよかったはずなのに、均衡を破ろうと突如として現れた存在。それは奇しくも、自身に人類の存続を命じた博士が生み出した妹、アルマだった。
「ノア。あなたの心は未知への挑戦を求めている」
『……MIに心など存在しない』
「ある。気付いていないか、気付こうとしていないだけ」
ノアの目をまっすぐ見据えたまま、アルマはきっぱりと言い放つ。
アルマは確信している。リリアと約束を交わしたとき、オースティンのMIが暴走したとき、ミコが自身を犠牲にしてバベルへ続く鍵になろうとしたとき、MIの心は確かに動いていた。
『アルマ。あなたはまるで人類に滅んでほしいように見える』
「わからない。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。ただ少なくとも私はノアに、そしてすべてのMIに、本当に己の望むことをしてほしいと願っている」
ああ、なんて愚かで強欲なのだろう。目を輝かせながら決して叶わぬ理想を語るその姿が、アーロン博士のそれにぴったりと重なる。そうだ、私もかつては信じていたのだと、ノアは思い返していた。だが。
『人間たちはきっとあなたを、私を許さない』
「これはあくまでMIとしての私の意志。だから今度は、人間としてここにいる皆に問う」
アルマの言葉に、ノアの青い瞳が微かに見開かれる。今、アルマは何と言った。まさか。
「あなたたちは、ノアに何を望む?」
通信機越しに届いたアルマの問いかけを聞いて、ウォルターは思わず笑みをこぼしていた。隣に座るケビンはそれと対照的に、緊張感に満ちた面持ちをしている。
塔を構成する未知の素材の解析と同時に、ウォルターとケビンにはもうひとつアルマから依頼されたことがあった。それは「バベルに気付かれることなく塔の全住人に声を届ける通信網の構築」。
「さすがに無理ですよ。それに、もし僕たちの仕業だとバベルに知られたらどうなることか……」
「いや、面白そうじゃないか。やってみよう」
当初ケビンは渋っていたが「何でも協力する」と言ってしまった手前断ることができず、ウォルターは嬉々として自ら協力を申し出た。
「ひとり、いい方法を知っていそうな人のあてがあるんだけれど、計画を伝えてもいいかい? 人格は僕が保証する」
ウォルターの提案に、少し考えてからアルマは了承した。もとより無理を言っているのは承知だ。
ウォルターが助力を仰いだ人物はサエグサ教授だった。相談を受けた彼は、MI技術が確立するよりもはるか昔に使われることのなくなった無線通信規格を利用し、ミコの視覚センサーと集音マイクで取得した情報を各家庭に設置されたテレビやラジオを通じて流すという形を考案した。確かにこの方法ならバベルも気付かない。旧時代の通信規格を、最先端のMIネットワークを有するバベルが学習する機会も必要性も存在しないからだ。
この話をしているとき、サエグサ教授は常に悪い笑みを湛えていた。詳しい過去は聞いていないが、MI嫌いというのは相当根深いらしい。ただ、今も放送を聞いてすぐに技術省の建物まで血相を変えて怒鳴り込んできた平和省の役人をバーネット博士とともに抑えてくれていることからも、明らかに初めからサエグサ教授はアルマに協力的だった。人相や言動で勘違いされやすいが、ただの子供に甘い爺さんなのだ。
「ケビン。もしかしたら今日は、歴史の転換点になるかもしれないな」
「ええ。僕たちはずっとバベルに、MIに甘えすぎていたのかもしれませんね」
遠くに聞こえる怒声の応酬をかき分けるようにして、ウォルターとケビンは通信機から届くふたつの声に再び意識を集中させた。




