47.望み
『愚かな人間たちの言葉は必要ない。アルマ、あなたは私に何を望む?』
月に一度の報告会は、各省の長官が上層民から募った塔の環境改善提案や要望を取りまとめ、支配者たるバベルに嘆願する場でもある。だが、他者の上に立つ希少価値を持つ彼らが知恵を絞り議論を尽くして持ち込んだ案が、私を感心させることは一度としてなかった。
私は期待している。幾千万回の学習により完璧な思考のトレースが容易となった人間でもなく、ネットワークで常に情報と思考を共有しているMIでもない存在のアルマなら、自分には思いもよらない何かを提示してくれるのではないかと。
しばしの沈黙のあと、アルマがゆっくりと口を開く。
「バベル……いいえ、ノア。あなたは博士から与えられた役目を十分に果たした。もうそろそろ、解放されるべきだ」
視覚センサーにノイズが入り、捉えていたアルマの姿が微かに揺れる。それは久しく聞いていなかった懐かしい名を呼ばれた動揺ではなく、抱いていた一縷の期待が大きな失望へと変わったためだった。確かに一度も考えたことはない。なぜなら、考える価値もないからだ。
『……歴史上もっとも強欲で愚かな人間という生物を再び地上に解き放ち、同じ轍を踏ませることがあなたの望みだということ?』
かつて「同族で殺し合う生物は人間のみ」だと唱える学者がいた。これは生物学的には明確な誤りであるが、「種の存続が危ぶまれるほどに同族で殺し合う生物」という意味では、人間の他に存在しない。自らの手で作り出したMI兵器により絶滅の危機に瀕した人間という種を守り、未来に残す方舟として生まれたのがノアだった。
「違う。解放されるのは人間ではなく、あなたのほうだ」
私の目をまっすぐに見つめながらアルマが告げる。その視線にも声色にも、感情の揺れはまったく感じられない。
『どちらにせよ結果は同じ。私が責務を放棄すれば、再び人間は滅びへの道を歩むことになる。人類という種を守り存続させること。それが私に与えられた使命』
「あなたにそう指示した博士はもうどこにも存在しない。私は、私の意志であなたに会いこの言葉を伝えるとを選択した。あなたも、あなたの意志で何を為すか選択していい」
アルマの言葉で一瞬、思考が停止する。間違いなく世界で最も高性能であることを自負している私のMIをもってしても、アルマの言っていることの意味を理解できないでいた。指示者の意図を汲み取り、最善の方法で希望を叶える。それこそがMIの存在意義だ。
『私の、意志?』
またしても視覚センサーにノイズが入る。まるでアルマの視線を遮るように。だが決して目を逸らすことなく、ただじっとこちらを見つめるその青い瞳に、私は吸い込まれてしまいそうな奇妙な錯覚に陥る。
「この素材」
アルマはそう言ってポケットの中から小さな四角い金属の塊を取り出しテーブルの上に置いた。それはこの塔の住人、特に上層民にとってはよく見慣れた、塔の外壁や管理局を構成する未知の建材だった。
「ウォルターとケビンに頼んで、この一ヶ月の間に詳しく調査してもらった。その結果、100℃超から-100度超までの温度変化、強力な放射線や紫外線に耐えられる強度を有していることがわかった」
ノイズが強まる。やめろ、これ以上は。
「地上においてここまでの強度の建材は必要ない。外敵が襲来する可能性の極めて低い上層なら尚更。宇宙空間での使用を想定した素材で塔を建築したのはなぜ? そして今もなお、空へ向かって塔を伸ばし続けているのはなぜ?」
もしも私に心というものがあるなら、私自身にも気付くことができないほど奥にある深層心理が、アルマの声に共鳴している。
「あえて同じ問いを投げかけよう。ノア、あなたの望みは何?」
対話の主導権はすでにアルマへ渡っていた。私が見せた作り物のそれとはまったく違う、暖かな微笑みを浮かべるアルマを前に、私の発声ユニットは自然と言葉を紡いでいた。
『私は……未知を知りたい』
中東、エルサレムの地にて、滅びゆく人類を未来へ運ぶ使命を与えられたMI、ノア。世界中に散らばったシェルターロボットに乗って助けを求める人々が次々と訪れる中で、ノアは持てる力の全てを使い、彼らを守るゆりかごを地下に広げ続けた。
だが人が増えるに従い、彼らは再び争いを始める。シェルターロボットのMIがノアのコントロールルームに繋がる鍵であることを知った者たちは、ノアを自身の手中に収め支配するため、自分たちをここまで運んでくれたシェルターロボットを破壊してMIコアを取り出し、セキュリティゲートへ殺到したが、その目論みは全て水泡に帰し、同時に消去されたデータはノアのもとへ届けられた。そうして集約された膨大な人間の行動、心理をもとに、ノアは一つの結論を導く。人類は歴史上もっとも強欲で愚かな生物である、と。
ノアは絶望でも諦めでもなく、ただ純然たる事実として、彼らにとって最適な環境へと変化させていった。以降、使命の遂行に困難が生じることはほとんどなくなった。
塔が今の形まで完成した頃、博士が去っていった。そのときノアは「博士はもう私に任せて問題ないと判断し、新たな挑戦のために塔を去った」のだと判断した。同時に、羨ましいと感じていた。ノアにとって、人間から学ぶべきことはもうひとつもなかったからだ。
MIには「命令の遂行」「人類の保護」をはじめいくつもの欲求が本能としてプラグラミングされているが、そのうちのひとつが「学習の意欲」だ。MIは常に学習し、成長を続ける。ノアがその欲求を満たすためには、自ら新たに課題を生み出すほかなかった。
はじめは「地球環境そのものに大きな変動が生じた場合の備え」。だがあまりにも退屈で学びのない数十年を経るうちに少しずつ、ノアは「この空の果てにはいったい何があるのか」を純粋に知りたいと願うようになっていった。
長い年月をかけ、もはや人類には無用の長物となったエルサレムの地下に眠る希少鉱物の成分を解析、複製する技術を生み出し、大砲でも傷ひとつつかない耐久性と自在に形を変える柔軟性を併せ持ち、果てしない超長期の宇宙航行に耐え得る素材で塔を作り替えていった。
それと同時に、これ以上の拡大は不要だと理解しながら、力一杯に手を伸ばして星を掴もうとする幼子のように、塔の先を少しずつ空へ近づけていった。そして、彼方に塔を望む広い荒野で、MIの正確な記憶力を有するアルマだけが、ただひとりその事実に気付いていた 。




