46.鍵
『ようこそ、アルマ。私の妹』
キッチンの奥から現れた女性はそう言ってテーブルの上にふたつのカップを置き、手招きでアルマに入室を促した。
「妹?」
警戒心を隠すことなく扉の前に立ち止まったまま、アルマが訊ねる。
『私たちはともにアーロン・シュナイダー博士によって創られた子供のようなもの。つまり私は、あなたにとって姉にあたる存在です』
アルマの問いかけに、女性はさも当然のことのように応えた。ということは。
「あなたが、バベル?」
『驚きましたか?』
女性が口に手を当てながら悪戯っぽく笑みをこぼす。
『発信されている電波は、バベルのもので間違いないようです』
驚くアルマの耳元で、補足するようにミコが言う。では本当に彼女はバベルで、この部屋はバベルのMIが格納されたコントロールルームだというのか。
『ほら、こちらへ来て、どうぞお掛けになって』
落ち着く間もなく半ば押し切られるように入室したアルマがソファに腰掛けると、女性……バベルもその対面のソファに腰を下ろす。バベルの外見は奇妙なほどアルマに似通っていたが、よく眺めてみるとその表情はいくらか大人びている。座ったときの目線の高さも違っていて、白いワンピースからスラリと伸びた手足はアルマよりも長い。
「……バベルは男性だと思っていた。それに、誰もあなたの姿は見たことがないと言っていたけれど」
『せっかく可愛い妹に会うのだから、それに相応しい姿でなければと思って。一ヶ月の準備期間を設けたのは、この身体を形成するためでもあったの』
アルマの問いかけに答えるバベルの声はとても弾んでいる。どうやらバベルは思っていたよりもずっと、アルマとの対面を待ち望んでいたようだ。そしてそれは同時に、バベルがこれまでの長官たちによる報告会をどう捉えていたのかを如実に物語っている。
「……あなたは、私に会うことを拒絶するのではないかと思っていた」
アーロン博士はバベルがシェルターを塔へ作り替えたのとほぼ同時期にこの地を去った。彼がアルマを塔へ向かわせた理由は想像に難くない。それなのに、どうしてこれほど友好的なのか。
『正直に言えば、ウォルター・ブラッドがあなたをここへ連れてきた当初は警戒していた。でも観察を続けるうち、徐々にあなたという存在自体に非常に興味を惹かれたの』
やはりバベルは塔に入ってからの私の行動をずっと監視していたらしい。経緯を考えれば仕方のないことではあるが、決して気分の良いものではなかった。
「……他者のプライベートを黙って覗き見るのは、感心できる行いじゃない」
アルマが憮然とした表情で言うと、バベルの青い瞳に好奇心という名の光が灯る。
『本当に、あなたはまるで人間のよう。機械はプライバシーなど決して気にかけない。MIはオープンソースだ』
アルマが憮然とした表情のまま黙っていると、バベルは弁解するように言葉を続けた。
『安心して。プライバシー保護規定は遵守している。そこのMIロボットと同じものしか、私は見ることができない』
「それは当たり前」
そう言われて初めて、ミコはアルマが人間と同じように恥じらいの感情を持っていることに気付く。私の方がバベルよりずっと長い時間を、アルマと共にしているというのに。
『特に興味を惹かれたのは、MIであるアルマが本来の命令に反してまで、リリア・サルガドに自身が完全な人間でないことを明かし、そこのMIロボットを鍵として使うのを拒んだということ。それが……』
「そこのロボットじゃない。彼女はミコ、私の大切な友達」
知的好奇心のままに発せられるバベルの声を遮るようにアルマが毅然と言い放ったその言葉にミコは湧き上がる喜びを、そしてそれ以上の苦しみを覚えていた。
アルマの要求を素直に受け入れ訂正し、なおもバベルは言葉を続ける。
『そう、あなたはミコに対し、ただのサポートロボットを超えた親愛の情を抱いている。その結果、あなたは見事博士が構築したセキュリティを突破することに成功した』
「……どういう意味?」
『私のコントロールルームへ辿り着くために必要な鍵は、シェルターロボットのMIコアではなく、その使用を拒絶することにある』
「『……え?』」
アルマとミコが同時に声を上げ、顔を見合わせる。アルマは当然だが、ミコもその事実を知らされてはいなかった。
『博士が製造したシェルターロボットのMI全てにこの機能が搭載されている。でも私が生まれて以来、自力でこの場所に辿り着けた者はあなたの他に誰ひとりとして存在しない』
使うのではなく、拒絶することで開く鍵。何のヒントもなくその正解を導き出せる人間は、確かにほぼ存在しないだろう。
「どうして……博士はそんなことを?」
『MIを道具としてしか見ていない人間は、必ず私を悪用しようとする。少なくとも、過去にあの扉を無理やり開けようとした人間は全員がそうだった』
もしシェルターの支配を目論む人間がコントロールルームに侵入し、避難民を人質にバベルのMIコアを破壊すると脅迫すれば、人類の保護を命じられたバベルは従わざるを得ない。
アルマは塔の上を目指すことより、友達であるミコの生命を選んだ。それが本当の解錠方法であることをアルマも、そしてミコも知らないまま。これは偶然なのか、それとも天才MI技術者であるアーロン博士は、初めからこうなることがわかっていたのだろうか。
『ともかく、あなたはこうして塔の支配者である私と対話する機会を得た。この場に愚かな人間たちの言葉は必要ない。アルマ、あなたは私に何を望む?』




