36.技術省と平和省
「ブラッド博士。仕事を放り出していったい何をされているんですか」
「げっ」
見るからに頭の切れそうな白衣の女性の姿を見た途端、ウォルターがあからさまに「しまった」という顔をする。その表情や口調から、明らかに女性は怒っていることが見て取れた。
「今日は平和省との会議があると予めお伝えしていましたよね?」
「いやー、別に僕がいなくても君がいれば十分だろう。そんなことより……」
「そんなこと?」
突き刺すような視線と声に怯みかけたウォルターがアルマの肩を掴み、まるで盾にするように女性の前まで引き寄せた。
「僕らの新たな仲間を迎え入れる方がよほど大事だろう。こんなに小さな子なんだぞ」
突如目の前に現れた幼い少女に、女性は喉から出かけていた言葉を押し留め、コホンとひとつ咳払いをして姿勢を正した。
「……お見苦しいところを見せて申し訳ありません。それじゃあ、こちらが……」
「本日からうちの研究室に所属するアルマ・シュナイダー、それからサポートロボットのミコだ。アルマ、ミコ、紹介しよう。彼女はエミリー・バーネット博士。私の助手を務めてもらっている」
『バーネットというのは……もしかして、フランツ・バーネット博士の……』
ミコがそう言うと白衣の女性……エミリーはひどく驚いた様子を見せた。
「父をご存知なのですか?」
『はい。私のデータベースに記録されているお父様の研究論文を拝見したことがありますが、非常に興味深い内容でした』
「凄い……アルマさんはとても優秀なMIサポートロボットをお連れなのですね」
ミコとの会話で幾分か機嫌を直したエミリー。その隙をウォルターは見逃さなかった。
「さて、挨拶も済ませたところで、まだ案内の途中だからここで失礼するよ。会議には顔を出すから、それまで場を繋いでおいてくれ」
自分の言いたいことだけを言い残し、ウォルターはその返事を待たずしてアルマの手を引き足早にエミリーのもとを去っていく。
「……30分以内に戻ってくださいね!」
「了解!」
ひらひらと手を振るウォルターの背中を見送りながら、エミリーはいつものことだと諦めるようにため息をついた。
「さっきは助かったよ、ミコ。エミリーは優秀な学者なんだけれど、どうにも頭が固くてね」
『あなたを連れていかれたら、その後どうしたらいいのか分かりませんでしたから』
「でも、勝手に仕事を放り出すウォルターが悪い」
「アルマは真面目だなあ……エミリーと気が合いそうだ」
『確かに、ウォルターよりエミリーの方がアルマには良い影響を与えてくれそうですね』
「一応、僕は君たちの上司になるんだけれど……」
そんな軽口を交わしながら、アルマたちはウォルターに連れられて技術省内の別の部屋に入る。しかしそこは未知の素材で覆われているだけの何もない空間だった。
「少し待っててくれ」
ウォルターはそう言うと右手首に装着された端末の操作を始める。すると突然床が隆起し、以前中層の管理局にあったものに近いソファーとテーブルへと変形したのだった。
「え……!?」
驚きに目を丸くするアルマに、ウォルターが解説する。
「この素材はMIによる操作で自由に形を変えられるんだ。下の階層には情報が秘匿されているから、知らなくても無理はない」
管理局も闘技場も、これを建材として造られていた。特に中世ローマのコロッセオを模したあの巨大な闘技場をどうやって建てたのか不思議に思っていたが、これなら建材と設計図さえあれば簡単に造れてしまう。
「いったい、誰がこの素材を開発したの?」
「うーん……この塔へ来たときにはすでにあったものだから、僕にもわからないな」
この素材は塔の外壁にも使われている。つまりこの塔が建設された頃にはすでに存在したということだ。この塔がいつごろできたものなのかは定かではないが、これほどの機能を持つ素材についての情報が、アルマのMIに記録されているこの世界の歴史の中に一度も記述されていないのは奇妙に思えた。
「さあ、座って。ここでなら何を話しても構わない。さっきの質問は……そうだ、MIを埋め込んだ人間は上層に登ることができない、という話だったね」
ウォルターが手を叩き、アルマへソファーに座るよう促す。指示に従いウォルターの対面に座ると、部屋の奥から現れた配膳ロボットがアルマの前にコーヒーカップを置いた。
「そう。もしかして、あの場で話すのはまずいことだった?」
コーヒーを一口飲み、アルマが訊ねる。
「塔のルールに不満があるなんて噂を流されて平和省に睨まれると厄介なんだ。ここみたいにプライバシーが確保されていない共用の場での会話は、基本的に筒抜けになっていると思った方が良い」
そう聞いて、もしかしたら上層民は私がリリアにした話を聞いていて、だからMIが埋め込まれていることを知っていたのかもしれないと思う。ミコが言っていたように、塔の内部はMIネットワークが常に張り巡らされている。会話を盗み聞くのはそう難しいことではない。
「君が言っていた通り、あのルールを提案したのは平和省だが、その採択は上層民全体の投票によって行われる。僕は当然反対したけれど、多数派の意見には逆らえない。たとえ開発者でもね」
ウォルターは自嘲するように笑みを浮かべた。
「だがまあ、この件については彼らの判断は正しかったと言わざるを得ない。現にオースティン博士のMIは暴走し、君に危害を加えたわけだから」
やはりウォルターも中層管理局での出来事をすでに知っている。通りで髪が短くなったのを見ても驚かないわけだ。
「それと同じ理由で、上層への移動許可も僕の一存で決められるわけじゃない。上層民の総意で選ばれたのだから、君は素直に自分の功績を誇っていい」
そう言われても、簡単に納得はできない。人間とMIが良き友人となることを目指すこの研究は、オースティンが始め、そして積み上げてきたもので、決してアルマ一人の功績ではない。だが、アルマはすでに理解していた。この塔で己の意見を通すためには、上に立たなければならないことを。そしてそれは結果的に、アルマ自身の目的を達成することにも繋がっている。
「ただ、酷なことを言うようだけれど、この研究が君たちの望む形で実を結ぶ日が来る可能性は、限りなく低いだろう」
定まりかけた覚悟を嘲笑うかのようなウォルターの言葉に、アルマの語気が思いがけず強いものになる。
「……どういう意味?」
そう訊ねられたウォルターが口を開こうとした次の瞬間、胸ポケットから大きな機械音が鳴り響いた。
「すまない、呼ばれてしまった」
話し込んでいるうちにかなりの時間が過ぎてしまったようだ。エミリーの怒りを表すように、通知のアラームが延々と鳴り続けている。
「今日はもう休んでもらって大丈夫。君たちの部屋への案内はアンドロイドを呼んでおく。以降の予定はまた明日の朝に連絡するよ」
ウォルターはそう言って立ち上がり、ドアの方へ向かった。部屋を後にする直前、ウォルターが思い出したようにアルマのほうを振り返る。
「言い忘れていたけれど、新しい髪型よく似合っているよ。やっぱり人間のほうがMIより優れている点はまだまだたくさんあるね」
それだけ言うと、ウォルターは今度こそ部屋を後にした。この塔にいる人間 の99%以上は専用のMIロボットに散髪されているが、下手だと思ったことは一度もない。髪を触ってみても、アルマにはいったいどこが違うのかまったく分からなかった。




