35.上層へ
音もなく開いた扉の向こう側から漏れ出す光に導かれるように、ウォルターに続いてアルマもその先へと足を踏み出していく。ただ次の瞬間、視界に飛び込んできた上層地帯の光景は、下層とも中層ともまったく異なってはいたものの、残念ながら三たびアルマの胸を震わせるようなものではなかった。
「ここは……管理局?」
そこは床も壁も天井も、すべてが未知の光沢を放つ素材で覆われた、無駄な装飾の一切が省かれた広い空間だった。ただ、管理局のようにカウンターと受付のアンドロイド、そして隅に控えるMI装甲兵の姿は見当たらない。あるのは左右、そして正面からそれぞれ先に続いている道だけ。
「いいや。ここはただのエントランスで、この先の道をまっすぐ行ったら『統率府』……下層で言う管理局にあたる場所がある。まあ、塔そのものを管理統括するのが上層の役割だから、その意味ではこの階層全体が管理局であると言えるかもしれないね」
ウォルターに促されるままエントランスを抜けて前方に続く道をそのまま先に進んでいくと、再び開けた空間へ出る。そこは四方を高い壁に囲まれた吹き抜けのような場所で、見上げると壁はどこまでも高く続いていた。ただ下層、中層のように空の映像は映し出されておらず、床や壁と同じ素材でできた天井に設置された多数の照明が地面を明るく照らしていた。
四方の壁には高層ビルのように等間隔で窓が連なっていて、その中に人間やアンドロイドが行き交っているのが見える。塔の中でありながら野外にいるように錯覚してしまう下層や中層と違い、どうやら上層はそれ自体が一つの建物のような構造になっているらしい。本来はこれが普通で、むしろこれまでが特殊だったのかもしれない。
「ここが統率府。まあ、ちょうど塔の中心だから通ったというだけで、別に用事はないんだけれど」
「? 管理局で手続きをするのではないの?」
「ああ、上層ではその必要はないんだ。その理由も含めて、向かいながら上層の概要を説明しよう」
「向かうって、どこに?」
問いかけるアルマにウォルターが向かって右、壁の向こうに続く道を指差しながら答える。
「今日からアルマが所属する『技術省』さ」
目的地へと向かう道中に聞いたウォルターの解説によれば、上層地帯は統率府を中心に東西南北で四つのセクションに分かれ、それぞれ『生産省』、『文化省』、『技術省』、『平和省』という名称が冠されているとのことだった。確かに現在アルマたちが通っているものを含め前後左右に道が分かれていた。あの場所はちょうど各セクションを繋ぐ連結部分にあたるようだ。
アルマたちが来た道をそのまままっすぐ進んだ先の北側エリアにあるのが生産省。ここは文字通り電力をはじめとするエネルギーや人々が生きるための食糧など塔の維持に必要なあらゆるものの生産を統括している。現在の進行方向の逆、西側エリアの文化省は、人間が行うあらゆる文化的活動や作品群を後世に残し、また発展させていくための活動を行っている。
そして現在向かっている技術省は、MIを基軸とした新たな技術、製品の開発を行う省で、ウォルターもここに所属している。下の階層で行っていた手続きが不要だった理由は、上層への移動を認められた人間は能力、適正に応じて必ず四つのうちいずれかの省に配属されることが予め決められているためで、MIに関する研究の成果によって上層への権利を手に入れたアルマも当然技術省の所属となることがすでに決まっていた。つまりウォルターは、アルマの上司にあたるということだ。
「平和省は?」
これまでの三つは名称から何となくその内容が連想できたが、残るひとつ、上層のエントランスがあった南側エリアの平和省だけはあまり想像がつかなかった。
「平和省は、塔で暮らしている人々が安全に暮らしていけるようさまざまなルールを策定したり、何か問題が起きればその解決にあたっている機関だ。戦前で言うところの警察のようなものだね。だから下の階層に近い、南側のエリアに配置されている」
そう説明するウォルターの表情は、どこかうんざりしたものに見える。どうやら彼はあまり平和省のことを好ましく思っていないらしい。
「じゃあ、MIを埋め込んだ人間は上層に登ることができないという規則も平和省が決めた?」
アルマが訊ねると、ウォルターは回答の代わりに自分の口元に指を一本添えるジェスチャーをしてみせた。
その後、ウォルターの指示に従い無言で通路を進んでいくと、再び開けた場所に出た。「ようこそ。ここが僕の、そしてこれからアルマのホームとなる技術省だ」
造りとしてはこれまでとほとんど見栄えの変わらない、未知の建材で覆われた極限まで装飾の削ぎ落とされた空間。しかし明らかに違っていたのは、忙しなくあたりを動き回っている何台ものMIロボットやアンドロイドの存在だった。中には人間もちらほら混じっているが、明らかにロボットの方が数が多い。さらにあからさまにロボットめいた角ばったものから人間に近いもの、脚の代わりにタイヤで動いているもの、さらには犬や馬のような動物を模したものまで、さまざまな大きさや形状のロボットが行き交っていた。
「す、すごい……!」
「僕も含め技術省の人間は、思いついたら何でも作ってみずにはいられないのさ」
思わず目を輝かせるアルマを眺めながら、どこか誇らしげにウォルターが笑う。
「ブラッド博士」
そこへ唐突に、固い床を叩くヒールの音とともに棘のある声が割り込んできた。振り返ると、アルマとよく似た金色の長い髪を後ろで一つに結び眼鏡をかけた若い女性が、白衣の裾を揺らしながら鬼のような形相でこちらへ向かってくるのが見えた。




