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Babel (バベル)  作者: 匿名希望
第三章 中層
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31.報告書

 その日、アルマは久々にエレベーターを使って中三層にあるオースティン邸へと赴いていた。管理局へ提出するための研究報告書が完成したとオースティンから連絡があったからだ。

 根気強く実験と学習を重ねた結果、オースティンの体内に埋め込まれたMIを搭載した燃焼装置と冷却装置は、オースティンの指示に対する反応としてではなく、己の意志と温度変化や身体動作をリンクさせて感情表現を行うことを覚えるに至っていた。オースティンがMIを褒めれば喜び、時には勝手に踊り出し、叱れば悲しみ、時には拗ねて反応を示さなくなり、また生体電流ではなく口頭を通じて、拙い口調でアルマやミコと会話することを楽しんだ。

 その様子はさながら言葉を覚えたばかりの幼子のようだったが、人間の真似ではなく己の内から溢れる感情をありのままに出しているという意味で、大きな進歩であると言えた。これらの行動はあくまでオースティンの希望に応えるためのものであることは否めなかったが、それでもMIが『人類の奉仕者』ではなく『自律した意志を持つ機械』になるための第一歩であることに相違はなかった。

 オースティン邸に到着したアルマは、呼び鈴を鳴らすことなく勝手に家の中へ入っていく。毎回出迎えるのが面倒になったオースティンが、自由に出入りすることを許可したからだ。

「遅いぞアルマ、ミコ! 今日は我々……いや、この塔にとって歴史的な日だというのに! さあ、早速管理局へ向かうとしよう」

 研究室のドアを開けると、普段はきっちりと左右で色分けされている頭髪が混ざり合って赤と青のまだら模様となり、髭の形は歪に崩れ、皺だらけでよれよれの服を着たオースティンが、連日の睡眠不足によって暗く落ち窪んだ目をギラギラと輝かせながらこちらへ駆け寄ってきた。

「……その前にまず、お風呂に入ったほうが良い」

 オースティンの全身から放たれる異臭に顔を顰めながら、アルマが浴室のほうを指差す。ここまで寝食を忘れるとは、どれだけ研究レポート作りに没頭していたのか。やはり研究者という人種は一般的な人間からは大きく外れたところにいるらしい。

「む……そうか。確かに、上層民たるもの身だしなみにも気を遣わなければならんからな」

 年頃の少女に露骨な嫌悪を示され、オースティンが肩を落としながら浴室へと向かっていく。

『自分もお風呂が嫌いだったのに……成長しましたね、アルマ』

 オースティンの背中を見送るアルマを眺めながら、ミコがしみじみと呟いた。


 しばらくして、風呂上がりのさっぱりとした身なりのオースティンが、アルマたちの待つリビングへと姿を現した。手には分厚い書類の束が冊子にまとめられている。

「これが報告書?」

「ああ、我々の血と汗と涙の結晶だ」

 少なくとも血と涙を流した記憶はないが、アルマはその点には触れなかった。

「今から管理局へ持っていく?」

「うむ。先ほど迎えの車を呼んでおいた。もうじきに到着するはずだ」

 オースティンの言葉どおりほどなくして車が到着し、アルマたちはもうすっかり見慣れた流線型の車両に乗り込んだ。

「そういえば……ひとつ気になっていたことがある」

 出発してすぐ、アルマが口を開く。

「何か不安なことでも?」

 報告書の内容について聞き取り調査が行われたとしてもそれは後日で、少なくとも今日のところは提出して終わりだ。特に不安要素はない。あるとすれば、研究内容そのものだが。

「オースティンの体内に埋め込まれたMIは、あなたの身体を使って他者とコミュニケーションを取っている。つまり、あなた自身は私たちのようにMIと話すことができない」

 旧い友人ともう一度話してみたい、それがオースティンがこの研究を始めたきっかけだった。だが皮肉にもオースティンだけが、それを叶えることができていない。そのことがアルマはずっと気に掛かっていた。しかし訊ねながらアルマは最も単純な解決法に気付く。それは、オースティンでなく別の人間にMIを埋め込むことだ。そう、ちょうど今のアルマのように。

 もしかして私は、この身体の持ち主の意識を乗っ取って、ここに存在している?

「その点については、私もずっと考えていた」

 オースティンの声で、遠くなりかけていたアルマの意識がはっと車内に戻ってくる。

「あくまで予想だが、十分に人間の感情を学習したMIならアンドロイドに移植した後、それ以上の成長は難しくても同等の性能は保てると私は考えている。ただ、そもそもMIが人間の身体を直接動かす技術は比較的最近生まれたもので、まだ未知の部分も多い」

 最近とは、いつ頃のことだろうか。そもそも私は、いつ生まれたのだろうか。

「上層に、この技術の開発者であるウォルター・ブラッド博士がいる。上層に行ったら彼の知見も借りながら、より深く研究を進めていくつもりだ」

『「ウォルター?」』

 アルマとミコが同時に言うと、オースティンは感心したようにほう、と声を上げた。

「彼を知っているのか? まあ、確かに若き天才としてMI技術の世界では有名人ではあるが」

 今の反応からしてミコは、そして必然的に博士もウォルターの素性を知らない。つまり、私とウォルターの開発したMI技術に、繋がりはない?

 確証は持てなかったが、どちらにせよMIと人間を繋ぐ可能性を秘めた技術の生みの親は、偶然にもアルマたちが初めて出会った塔の住人だった。その事実に妙な胸の高鳴りを覚えながら、アルマたちを乗せた車は管理局へと真っ直ぐに向かっていった。

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