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Babel (バベル)  作者: 匿名希望
第三章 中層
30/44

30.架け橋

 その日から数週間に渡り、オースティンの研究室にてアルマは彼とともにMIに己の意思を持たせるための試行錯誤を幾度となく繰り返した。

 その内容は主に、まずオースティンの体内に埋め込まれた二つのMIに温度変化、衝撃、プログラムによる命令をはじめとするさまざまな働きかけに対して示す反応を詳細に記録、次にあらかじめ規定されたMIの行動指針に沿ったものか外れたものかを分類、最後にアルマが生体電流を通じてオースティンのMIとコンタクトを取り、なぜ規定と異なる反応をしたのか、対話を通じてそこに至るまでの思考を突き詰めていくことで、「MIが主人の望みを叶えることが、必ずしも正解とは限らない」、そして「主人の望みに反してMI自身が正しい、快いと思う行動を取ることは、必ずしも間違いではない」ということをMIに少しずつ理解、学習させていく、という流れで行われた。

 MIにとって定められた規定に反する行動はエラーとして処理され、本来は修復しなければならないものだ。しかしその歪さをあえて許容し、自然なものとして受け入れる作業は、精神に不調を来した人間に対して行われるカウンセリング治療によく似ていた。

 かつてジェニィの煙草を禁じたときや、塔までの道中でミコに食料の追加を求めたとき、そしてリリアと再会の約束を交わしたときのように、アルマは人間であるオースティンと機械であるMI、双方の声に耳を傾け、互いの望みを擦り合わせ、妥協点を探り最適な着地点へ導いていく。いつしかアルマは人類とMIの架け橋となる唯一無二の存在へとなり始めていた。


「お、おお!? 勝手に火を出すな、言うことを聞け!」

 実験中に突然右腕から炎が上がったことに驚き慌てるオースティン。だがその表情はどこか嬉しそうだ。

 実験と学習を重ねたことで、オースティンのMIは主人の指示にただ従うのではなく、少しずつ自身の意見や感情を表現するようになってきていた。

「まったく……アルマも、驚かせてすみません」

 オースティンの左半身が右腕を押さえて冷却しながらアルマに謝罪を述べると、右半身はバツが悪そうな顔で目を逸らした。

 通常、ロボットには言語以外で相手に何かを伝えるという概念は存在せず、人間そっくりなアンドロイドも人間の所作をトレースしているに過ぎないのだが、MIが実際に人間の身体を動かすことで表情や声色による感情表現を学習することはアルマも身をもって実感している。その意味で、義手や外部接続ではなく身体に直接MIを埋め込むという一見無茶なオースティンのアプローチは、機械と人間の距離を近づけるための非常に理に適った方法であると言えた。

「オースティン博士は、どうしてMIに意思を持たせたいと思ったの?」

 アルマはミコとオースティンが交わした不可解な会話について、二人に何も聞かなかった。どうせミコは博士の指示に従いアルマに必要以上の塔に関する情報を教えてはくれないだろうし、ウォルターのときと同様オースティンにもその旨を伝えていることは容易に想像できた。

 ミコは以前「アルマが博士の思想に相反する行動をしても、友人としてその選択を尊重する」と言っていたから、無理やり聞き出すことはできるかもしれない。だがアルマはそうしなかった。友人として、ミコを困らせたくなかったからだ。これはMIに対するものと同じ、ただの人間に対する興味だ。これくらいの質問はミコも許してくれるだろう。

「ミコが言っていた通り私は元軍人で、戦争の指揮に特化したMIの研究開発を専門としていたんだ」

 MIの情報処理、演算能力は人間のそれを遥かに超えている。先の大戦時代においてMIは単なる戦闘兵器としてだけでなく、作戦立案や兵站構築といった軍事行動そのものに関わる重要な役割も担っていた。

「たとえば将棋やチェスのように、厳正なルールに基づくゲームの世界なら、機械の実力は人間を遥かに超えている。だが戦争はゲームじゃない。ルールの存在しない戦いで勝利するには、誰も思いつかない発想や敵の裏をかく狡猾さが必要不可欠だ。だから、ただ人間の指示に従うのではなく己の意思で、どんな手を使っても貪欲に勝利を求めるMIを創り出すことは、祖国を背負う人間としての私の悲願だった」

 ミコがオースティンに対して抱いていた懸念。それは彼が機械に己の意思を持たせることで人類に反旗を翻し、塔、そしてこの世界に再び混乱をもたらそうとしているのではないか、もしそうであるならば、上層を目指すアルマにその悪事の片棒を担がせるわけにはいかないということだった。

「のだが……もちろん、今はそんなこと微塵も考えてはいない。今の私は、祖国の未来を朝まで語り明かしていたあの頃のようにもう一度友人と話すことを夢見る、研究者崩れのただの老人だ」

 オースティンが研究室の壁に貼られている写真を遠い目で見つめる。そこにいるのは戦争で失った仲間たち、そして若かりし頃の彼自身だった。

 研究の成果が正当に評価されれば、より優れた上層の環境でオースティンは研究に打ち込むことができる。そしていつかその技術は塔全体に普及し、大切な人を亡くした人たち……例えばリリアも、もう一度母親と話ができる日が来るかもしれない。

「大丈夫。その夢はきっと叶う」

 博士、ジェニィ、キスケ……コロニーの仲間たちの姿を思い浮かべながら、アルマは自分にも言い聞かせるように、オースティンへ語りかけた。

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