三話:初めからなかったかのような
”ソレ”が手をゆっくりと伸ばし、騎士が払いのける。ガリガリの腕から想像できるように、騎士は簡単にそれを払いのけ、”ソレ”を押さえつけた。だが、その瞬間、押さえつけていた騎士は突然力が抜けたのかガクリと体勢を崩し、”ソレ”に覆いかぶさる。”ソレ”が何かしたのかと周りの騎士は判断し、取り囲み、"ソレ"に剣を向ける。しかし”ソレ”は何かアクションを起こすでもなく、体勢を崩した騎士の下敷きになっているだけである。
「不気味ですわね」
リスタの横でルティラがそう言った。3人は今少し離れたところで”ソレ”と騎士のやり取りを見ているが、”ソレ”の存在は「不気味」の一言に限る。
何かをするでもなく、ただそこにされるがままいるだけ。だが、1つ異常がある。それは、体勢を崩した騎士がそのまま起き上がらないということ。それを不審に思った1番近くにいる騎士が体勢を崩したままの騎士を起き上がらせようと、1度”ソレ”から引き離す。すると、周りにいた騎士たちは息をのんだ。少し遠くから見ているリスタ、ルティラ、ヴェンも同様だ。なぜなら、”ソレ”の上に覆いかぶさっていた騎士の体が、”ソレ”と密着していた部分が徐々に塵となって消えていっているからだ。
鎧が、服が、そして皮の下の筋肉が、骨が、臓器が。すべてが見えては塵となり、消えている。
「ァ……ァ……ィァ……」
明らかに異常な者だということは明白だ。そこから3人が立ち去ろうとした瞬間、今まで緩慢な動きだった”ソレ”がグリンとそののっぺりとした顔をこちらに向けた。のっぺりとした仮面をかぶっているせいでこちらを見ているのかは実際分からないはずなのに、絡みつくような嫌な視線が3人に向けられる。
「ァォゥ……ゥェ……ゥィ……ォォォ……」
何かを言おうとしている”ソレ”から逃れるべく、3人はすぐさまそこから離れたその時、騎士たちの叫び声が聞こえた。かと思うと、その叫び声はすぐさま消える。まるでその叫び声がただの幻だったかのように。耳から入ってもすぐに抜けていくような声だった。それにどうしようもなく嫌な予感を覚える。
「逃げますよ!!」
そう言ってリスタは2人の手をつかんで走る。今は心器を顕現させておらず、走ることも辛いが、それでも全力を振り絞り走る。しかし、限界はすぐにやってくるものだ。
「無理しやがって……リスタ、捕まってろ」
そう言うとヴェンはリスタを抱えて走り出す。
「すみません」
「ヴェン、ひとまずリスタを抱えたままで!一旦ロマとメアを迎えに行きますよ。それから荷物も!」
「おう!」
そうしてルティラとヴェンは取っている宿屋に急いで向かう。あの奇妙な者が追いかけてくる前に……そう思っていたのに
「ォォ……」
「「「?!」」」
宿屋に3人が入った瞬間、”ソレ”が3人を出迎える。突然現れた”ソレ”に、宿屋のロビーにいた人たちは一斉に逃げ出す。しかし、それらには見向きもせず、リスタに向けてゆっくりと手を伸ばし、触ろうとしてくる。
「このっ!」
ヴェンはリスタを自分の後ろの方に降ろし、すぐさま戦斧で”ソレ”の腕を切り落とす。だが、痛がっている様子はない。それどころか血すら流さない。切り口には夜空の星のように小さな光がきらめいているだけ。しかし決してロマンチックなものではなく、それを見ると吞み込まれそうな感覚に陥る。
「ヴェン!足を切って!!ルティラはその後”ソレ”を結界で閉じ込めて!」
「任された!」
「お任せですわ!」
2人はリスタに言われた通りに”ソレ”の足を切り落とし、結界で閉じ込める。すると、”ソレ”は残った左手で結界をガリガリとひっかき、次に床をひっかく。すると床が徐々に塵となり始め、どんどん沈んでいく。だが、ルティラは床にも結界を仕込んでいたらしく、ある程度沈むと途中で”ソレ”は完全に結界の中に閉じ込められてしまった。
「……ァ…ォ」
”ソレ”はそう呟くと、3人のほうにグルンと首を回した。嫌な予感がした3人は一斉に”ソレ”から視線を外し、徐々に”ソレ”と距離を取っていく。
「……ォォ」
そうして横目で見ていると、”ソレ”の体がだんだんと塵となっていく。ひとまずこの不気味な者から逃げることができたということを3人は確信し、安堵の息を漏らした。
「いったい何だったんでしょうか……」
リスタのその疑問に答えられる者は、まだここにはいなかった。
* * *
「どうだ?計画は順調か?」
「はい、従わない領主派の人たちは今のところ処分は完了しています」
暗い部屋、いや、洞窟といったほうが正しい。そこでフードをかぶった2人の人影が秘密裏に話していた。
「順調だな……それにしてもお前がいて助かったよ。何だったか……確か、獣殻だったか?」
「はい。あたしの大事な家族です」
そう言って少女は左腕をいとおしそうに触る。
「そう言えば……1つ、無視できない報告がまだありまして……」
「なんだ?」
「今日の午後3時くらいに1度獣殻が強制的に戻されまして……」
「領主か?まさか獣殻を直接また屋敷に……」
「いや、違います。倒されたのはこの町の南東で経営されている宿屋です」
「領主ではない誰かが獣殻を倒した可能性が高いということか?」
「はい」
「ふむ……それは領主派の人間か?」
「いえ、あたしはちょうどその場には……ただ、予測ですが、騎士の可能性が高いかもしれません」
「わかった。もしそいつが領主派の人間でないのなら、我々、”シュメルツェン”に勧誘しろ。他の者たちにもそう伝えておく」
「了解しました」
そう言って少女はその場から立ち去っていく。
「ニャ~」
「うわっ!」
路地裏を通っていると野良猫が鳴く。少女は驚き、後ろに倒れる。かと思いきや、ふわりと抱きかかえられる。それはボロボロのローブをかぶり、のっぺりとした仮面をつけた奇妙な生物。ガリガリの体であると言うのにもかかわらず少女をやさしく抱き留め、そのまま起き上がらせる。
「あ、ありがとう、フーちゃん」
「ェォ……ィァ、ィ?」
「うん。やっぱり猫は……嫌いとまではいかないけど、苦手だなぁ……私たちの本能がそう言ってくるの。可愛いから好きになりたいんだけど……」
「ゥ、ィ?」
「そう、好き。こうやってフーちゃんにやるみたいにぎゅってしたくなるような感じ」
「ァァィ……ェィ……ゥィ……」
「ふふん♪あたしもフーちゃんのこと好き!っと、そろそろ帰らないとパパに心配されちゃうかも。フーちゃんも早く戻って、見られたらめんどくさいことになっちゃう」
「ァ、ィ」
少女にフーちゃんと呼ばれた”ソレ”は光の粒のようになり、少女の左腕にまとわりついてから消えていく。”ソレ”がいた痕跡は何もない。体温も、輪郭も、匂いも、すべてが初めから存在していない。
「フーちゃんを倒した人……やだなぁ……」
家族を傷つけた者と協力することになるかもしれないかと思うと少し嫌気を感じる。だが、これもリーダーの決定だ。それに何より、計画を成功させるには腕の立つ者が少しでもほしい。
「お母さん。あたし、頑張るから。お母さんを殺したあのくそ野郎を地獄へ必ず送るから。絶対見ててね、お母さん」
そう言う少女はこぶしを天に向け、目には固い意志が宿っていた。




