六話:印
─もし。……もしも、だ。俺が”これ”を預けた奴がいたらなら、ぜひともどんな奴か一目見てほしいんだ。
男は自分の心臓辺りをあたりを親指でトントンと押さえてそう言った。”それ”が心臓でないことはわかっている。心臓に一番近い、”それ”。
─絶対そいつはお人よしで、命知らずで、それでいて、絶対に──
* * *
「……ア……レ…ア……」
『……ぅ……』
「ブレイア!!朝だぞ!」
ブレイアはヴェンの声で目を覚ます。昨日吹雪が降り、寒さにより冬眠してしまおうと村から少し離れたところの洞窟に移動したつもりだったのだが、どうやら見つかってしまったらしい。
『何用だ……私は春先まで眠ってしまいたいのだが……』
そこまでブレイアが言うと、洞窟の中が温かいことがわかる。辺りを見渡してみると、そこには一昨日出会った2人の少女がいた。
「今日は食べ物を持ってきたんだ。ほら、さっきとってきた奴」
そう言ってヴェンは狩ってきた鹿を2匹ブレイアの前に置く。
「ルティラにも協力してもらってこの洞窟の中をあったかくしてもらってるんだぜ」
『ルティラ?そこの金色の髪の人間の事だったか?』
「そうそう。それにしても便利な魔法が使えるっていいよな~。俺なんて身体強化の魔法しか使えないし……」
『十分に思えるがな』
「いやいや、こんな冬の日にブレイアを温めてくれるのも魔法のおかげだろ?」
『冬眠するだけでよい』
「まぁまぁ。そう言わずに、今は食べろよ」
『……いただこう』
そう言ってブレイアはヴェンが狩ってきた鹿に口をつける。それを見て、ヴェンもそこに座り、硬く黒いパンをかじり始めた。
「ちょっとメア!その鹿はブレイアさんのですよ!」
リスタがそう言いながらブレイアの元へと駆け寄ってくる。ブレイアがちらりと足元を見ると、鹿肉をくすねている黒猫がいた。
『……よい』
「いいってさ」
ヴェンがブレイアの言葉を翻訳するとメアは嬉しそうに鹿肉を食べ始める。
「メア!食べすぎです!」
「ニャ~」
そんなやり取りをリスタとメアがしていると、ブレイアが口を開く。
『猫……蛇はどこだ?』
「……?ヴェンさん、なんて言ってるかわかりますか?」
「なんか蛇はどこだ、みたいな……」
「蛇?この子のことですか?」
そう言ってリスタは自分の首元に巻き付いているロマの姿を見せた。
『白、蛇?黒猫?……グゥッ!』
「ブレイア?!」
「ブレイアさん?!」
すると、ブレイアが急に苦しみだす。少し離れていたルティラも駆け寄ってくる。ブレイアがその場に伏せ、苦痛を抑え込もうともがきだす。そんなブレイアの首元には、どす黒い蛇の紋章。ジェーンの鎖骨辺りにあった、いつか見た印だ。
「魔、王の……」
リスタがそうぼそりとつぶやくと、ブレイアがギラギラとした目つきでリスタを見る。
『恐悚の主……やはり、まだいるのかっ!!この老いぼれすら逃すまいとこの印を…つけたのかっ!!だ、がっ!お前を閉じ込める器は”奴”だけではない!…”奴”は……奴の”心”は!まだ死んではいない!!……うぐっ!!』
「ブレイ、ア?」
『恐悚の主よ!お前は自らの力に滅ぼされるのだ!!グハハハハハハ!!!!』
ブレイアの笑い声が洞窟中にこだまする。ビリビリと洞窟内の温かい空気が揺れる。揺れる、揺れる……そうして、それがピタリと止まった。
『ハハ……ハハハ……』
すると、ブレイアはそのまま地に伏し、気を失ってしまった。
「ブレイア!!……気絶してるだけ、か……ひとまずよかった……」
「さっき、ブレイア様はなんと?」
ブレイアの安否を確かめたヴェンにルティラがそう聞いた。そしてそのままヴェンはルティラに聞いたままのことを伝える。その中で1つ、ルティラが知らない単語があった。
「恐悚の主とは……」
「さぁ?俺も知らねぇ。リスタは何か知ってるか?……リスタ?」
「……あっ、え、なんですか?」
「恐悚の主って知ってるかって話をしてたんだけど……なんかあったか?」
「あぁ、いや……特に何もありません……それで、恐悚の主についてですね?単語が指す人物は知っています」
そうしてリスタはブレイアに近づき、気絶して地面に近くなった首元を撫でながら言う。
「1500年前に死んだ、”魔王”と呼ばれる人物です」
その単語がなぜリスタの知識の中にあったのかはわからない。そして、魔王という悪い意味で名の知れた人物だというのに、なぜそれほど別称が知れ渡っていないのか。特定の誰かだけが使っていたのか……それ以外の何かがあるのか……
「魔王って、あの魔王か?!」
「ええ、その魔王という認識で大丈夫です。知り合いから聞いたんです。この蛇の紋章は魔王のものだと。これが、いまだに紋章をつけられた方々を苦しめているのだと」
「どうにかして消せないのでしょうか?」
ルティラがそう言うが、リスタは首を横に振る。ジェーンと色々試していた時、シェリルオーラの黒鎌でその紋章の魔力を切ろうとしてみたが、不可能だった。シェリルオーラの黒鎌はむき出しの魔力のみを切ることができるが、生物の体内などに入っている魔力は無力化できない。こういった自らの魔力を他者の体内に潜り込ませた後に発動させる魔法を”呪い”とも呼ぶのだが、普通は魔法も呪いも使用者が死んでいればなくなるはずだ。
「この紋章のことを教えてくれた方も、これに苦しんでいました。その方は国一番の魔法師ではありましたが、それを消す方法はいまだ見つかっていないそうです。私も手伝ってみましたが、お力にはなれず……消す方法は魔王しか知りえない、と……」
「でもよ、今魔王は死んでんだろ?」
「いえ、ブレイア様が言ってらしたじゃありませんか。『恐悚の主……やはり、まだいるのかっ!!』と……」
「それってまだ紋章があるって意味じゃねぇのか?」
「いいえ、ブレイアさんが言うのは、そのまま、まだ魔王は生きているという意味だと思います」
リスタがそう言うと、2人は顔をしかめる。そんな2人に目をやることなく、リスタはじっとブレイアを見ていた。あの時、ブレイアがリスタに向けてきた視線が、いまだ彼女の脳裏にこびりついている。恐怖と、不安と、そして、期待に満ちたあの目。
─2つの魔力のうち、1つは魔王の魔力と同じだった
いつぞやにジェーンに言われたその言葉。リスタの体内には2つの魔力が混在していて、そのうちの1つが魔王の魔力だったということ。
(恐怖と不安の色が見えた。でも、どうして……)
期待の色が見えたのだろうか。それが意味することが気になって仕方がない。
「……タ……リスタ!!!」
「は、はい?!」
すぐ横で大声でルティラに呼ばれ、リスタは思考の海から一気に引き上げられる。
「全く……何ぼーっとしてるんです?」
「あぁ、いえ、なんでも……」
「……とりあえずいいということにしておきますわ。それより、今日はどうしましょう?宿に一旦帰りましょうか?」
「そう、ですね……」
「俺はここに残るぜ。気絶してるブレイアが人間に見つかったら危ないかもしれないからな」
「そうですか。では、私たちはこれで」
そうしてリスタとルティラは洞窟を出ていく。洞窟の中ではルティラが保温の魔法を使っていて温かかったのだが、外に行くと冬の鋭い冷たさが頬に突き刺さる。
「うぅ……やはりヨーラヴィリア王国側になってくると昼でも冬は寒くなってきますわね」
「ツェルンは寒くないんですか?」
「寒くはありますが、これほどではありません。私、昼頃に雪などあまり見たことがないのですわ」
「へぇー、それなら、雪で遊びますか?」
「それは名案ですわ!雪合戦しましょう?」
「いいですよ。受けて立ちます」
「ふふっ、貴族の娘だからと言って侮らないでくださいまし」
そうして2人は雪合戦を楽しんだ後に宿屋に帰ることになった。
ちなみにルティラは容赦がなく、火属性の魔法は使わなかったものの、氷属性や風属性の魔法を巧みに使って辺りの雪を魔法で丸め、リスタに放ってきたり、リスタが投げた雪玉を器用に魔法で跳ね返してきたのだった。




