十七話:もっともっと
「私……は」
うまく言葉が出てこない。クローツ殿下の婚約者になったときは確実に幸せだった。それは胸を張って言える。親孝行という素晴らしいことができることは幸運だと感じていたし、何より有名で力のある人と婚約したのだと思うとルティラという一個人としても幸せだった。さらに殿下は容姿端麗。剣術に精通しており、魔法もたしなんでいる。
「昔は絶対に幸せだったと、そう言えますわ」
昔は。じゃあ今は?それが脳内でぐるぐると巡る。
「今、は……」
リスタは何も言わない。ただ待っているだけだ。
「……」
わからなかった。今が幸せなのか、そうでないのか。すでに”幸せ”の定義が変わってしまったからかもしれない。だが、それにしても……
「シュルル……」
ルティラの膝の上に少しの重みが加わった。見て見ると、そこには白蛇が大人しくルティラの膝の上に乗って、そして心配そうにルティラを見ていた。
「白蛇様……」
白蛇に恐る恐る触る。少し冷たいが、それが確かに生きているのだと感じる。
「幸せ……本当に今が幸せかどうか、考えてもわかりませんわ。ですが……願いならあります」
「願い?」
「私はお母様に言われたことがあります。他人を思い生きていきなさい。と……ですが、時々、私は自分勝手なことを思ってしまいます。それを、どうかお許しいただきたいのです……」
それはまるで懺悔のようだった。リスタも、ロマも、メアもそれを罪だとは思っていない。おそらく、この場にいない者が聞いてもそう思うだろう。
「自分勝手なこと、とは?例えば……」
「……最近願ったのは……昨日。私は殿下の隣に立つのにふさわしい人物でなければなりません。ですから、体調がすぐれなかった私の体調を治してほしい。と……眠っている白蛇様に……」
「ん?」
「せっかく気持ちよく眠っている白蛇様にこんなことを願うなど、自分勝手ですわよね?」
予想からはるかに外れた返答に、リスタは困惑する。なんて他人思いな人間なのだろう。実際に見なければ、こんな人間など本当に存在しているのかと疑うくらいには他人のことを思って生きている。
「あぁ、このようなことを許してほしいと思うことも自分勝手ですわ」
「いやいや、ちょっと待ってください?」
「はい?」
「自分勝手、っていうのはあなたみたいな人のことを言いませんからね?むしろあなたはもっと自分勝手にするべきです。あなたがしたいと思ったことはもっと積極的に行動に移さないと!」
「う~ん……ですが、今、私がしたいことは……」
そうルティラが言いかけた時、言葉を詰まらせる。
「願い……もう1つだけありましたわ」
「なんですか?」
それは、今ルティラの使用人をしてくれているアンの母親。ルティラの乳母から聞いた話だった。息子が旅をしており、旅先の土産やその地域でしか見られない花を押し花として持ってきてくれるのだと。嬉しそうに語っていた乳母の顔は今でも忘れられない。だが、いつからから乳母は息子の話をしなくなった。後にアンから聞いたが、月に数回届いていた手紙がぱたりと途絶えたらしい。それから数年。まったく音沙汰がないのだとか。
「ただ、乳母は、まだ信じています。息子が生きているということを……。ですが、私は彼女に安心してほしいと思っていますわ」
「……ふふっ、結局人のためなんですね」
「いいえ?ツェルン侯爵家のことは放棄するのですから、自分勝手ではありませんか?」
「え?」
「白蛇様から聞いたことがありますわ。あなたは旅をしている、と……私もついて行ってもよろしいですか?」
「……」
いきなりのことでリスタは一瞬止まる。
(旅に?ルティラ様が?貴族が旅についてきて大丈夫……なわけありませんよね)
リスタがそう考えていると、ルティラはまるでリスタの心を読んだかのようにこんなことを言ってくる。
「心配ですか?大丈夫です。こういう時のために魔法を覚えているのですから!」
「い、いや、でも、お風呂とか毎日は入れませんし、きれいな服も着れません。お化粧もできなくなりますし……」
「覚悟の上ですわ」
どうやらこのお嬢様、すべてリスタの想像から外れているようだ。弱気なところがあると思えば少しずれているし、貴族として生まれ、育ってきたというのに毎日のお風呂も、自らを着飾る物も投げ捨てて旅についてくると言うのだ。
「……でも、それはツェルン侯爵が……」
「心配いりませんわ。手紙を残しておきますの」
「手紙?」
「ええ。ペンとインク、それから紙はお持ちで?なければ私の部屋に行きましょう」
* * *
「お嬢様!どちらに行かれたのか心配しておりました!お怪我はございませんか?体調は?」
「大丈夫よ、アン。この通り、何の問題もないわ」
「よかった……ちょうど迎えの馬車が来たところです。荷物もほとんどまとめられているので支度をしたらすぐに帰りましょう」
「そのことなんだけど……アン。この手紙を持って、あなただけ先に帰ってほしいの。荷物も全部持って」
「え?」
「少しやることができたから。それじゃあ、頼んだわ!お父様にその手紙を渡してちょうだい!またね!」
そう言ってルティラは去っていく。アンはそれを追いかけるが、すぐに見失ってしまった。
「ちょっ!お嬢様!!……はぁ、一体なぜ……ん?こっちの手紙は私宛?」
そうしてアンは自分に宛てられた手紙を読み始める。
[私の信頼できる使用人アンにこの手紙を宛てます。ひとまず、あなたにはお礼を言わないといけないわ。あなたの母親、メイジーにも。私を育ててくれてありがとう。それから、少しの間、お別れを言わないといけないことについて謝罪をさせてほしい。直接言いたかったけれど、時間が許してくれなさそうだから。それじゃあ、もう少し詳しいことはお父様に宛てた手紙に書いてあるから、お父様から聞いてね。
ルティラより]
その手紙を読み終えたアンは、深くため息をついた。だが、その口には微笑みが浮かんでいる。
「先ほどは、本当にうれしそうでしたね」
ルティラのあの表情は実に何年ぶりだろうか。いつからかしなくなった表情が戻ったきっかけは何なのだろうか。それを知るためにも、ルティラが父親に宛てた手紙を持ち帰るために、アンは急いで支度を済ませ、馬車に乗って帰るのだった。
* * *
「いいんですか?」
「何がです?」
「いや、”破門”だなんて書いてましたが……」
「もちろん。それくらい示さないと、私のせいで家の立場が悪くなった時になんだかやるせないですから」
現在、リスタとロマ、メア、そして新たに旅の仲間に加わったルティラは王都を出て、隣国へと向かっている途中。リスタとルティラは、ルティラが父親に宛てた手紙について話していた。
「まぁ、あなたがいいならいいのですが……ほかに何を書きましたか?」
「あとはまぁ、基本はアンに宛てたものと同じことを書いて、それから……いつ帰るかもわからないので、殿下との婚約も断っておいたと書きました。その後に破門の話を入れてありますから、8割の確率で破門となるでしょうね」
正直2割の確率が残っていることが奇跡だということをルティラはわかっているのだろうか。リスタはそうツッコミを入れようとするが、わざわざ言うべきでもないので、ぐっとこらえる。
「まぁまぁそんなことより、旅の仲間になったことですし、敬語みたいな少し硬いのはなしにしま……しましょ?」
「え……それはちょっとやりづらいと言いますか……」
「私も白へ……ロマさ……ろ、ロマには普通に話しかけられるよう努力しますから!せめて名前だけでも!私の名前を言ってくださいまし!」
「る、ルティラ……」
「そう!」
「……さん」
「さんは要りませんわ~!私から見れば白蛇さ……ロマの主であるあなたのほうが事実として目上の人になるのですわ!そんな人にさんをつけられると、なんだかむずむずしますわ」
「しゃべり方はあまり変えられる気がしません……ただ、呼び方は……頑張ります」
「その域ですわ!っと、あまりグダグダはしてられませんわ。さっさと逃げますわよ!」
「またですか?撒いたはずなんですけど……というか、もっといい去り方があったはずですけど……」
そう言ってリスタはルティラにジトっとした視線を向ける。フロンツ王国から出る際、ルティラはクローツに1度ビンタをして、婚約破棄を堂々と宣言。しかもそれをした場所がなんの事情も知らない使用人がいるような王城の廊下だ。即座に騎士を呼ばれ、ルティラは王族に不敬を働いた者として追われる形でフロンツ王国を出ようとしている。
「事情を知っている国王陛下がどうにか収めてくれるか、そのままルティラ……さんが罪人としてフロンツ王国では追われるかわかりませんが、相当厄介ですよ、これ」
「おしい!今ルティラと呼んでくれそうになったというのに!」
「いや、そんなことより……」
「そんなことではありませんわ!早くリスタにルティラと呼ばれるように仲良くならないと。ということで隣国に行ったときに一緒にお茶でも飲みましょう?」
おそらくそんなお金は無いのだが、今言うことでもないのでひとまずはそのまま放置する。
「まぁ……あったら、ですからね。というかそれよりも早く逃げて……それからそろそろ冬眠するロマのためにいろいろ買ってあげないとですからね!」
「もちろん!ロマ、さま……ろ、ロマさん……うぐぐ……言いづらいですわ……」
「それが私があなたの名前を呼ぶ時の気持ちですよ」
リスタはそう言いながらも足を動かし続ける。今は心器を顕現し、更にルティラの身体強化の魔法によって簡単に騎士に捕まることはない。
「ひとまず、今は隣国に逃げることに集中しますわよ!」
「はいはい、わかってますよ!」
そうして2人は走り続ける。この国の騎士が簡単に追っては来れない隣国まで。さらにはもっともっと遠くへと。




