30 ≠囚われの姫
動かすだけならそうでもないけれど、頭上にまで持ち上げると背もたれ付きの椅子というのは結構な重さだった。腕が少し震えるけれど、これならば充分な威力がありそうだ。
ルナさんを送り出したあと、私は早速ロープ作りを開始した。
カーテンははずすと目立ち過ぎるから、ベッドの敷布や掛布を、お皿の破片を使って裂いていく。カッターやハサミで切るようなわけにはいかず、破片は時折私の指も傷付けたけれど、ここで癒やしの力を使ってバレるようなことがあってはいけないと、多少の痛みと布に滲む血には目を瞑る。
人がつたって降りそうなだけの太さが必要だ。一瞬でも兵士の目を欺けるように。
そうして黙々と裂いては編む作業を繰り返し続ける。
ルナさんがうまく手配してくれたのだろう。窓の外がすっかり夕闇に沈むまで、この部屋を訪れる人は誰もいなかった。
寝る前には私を夜着に着替えさせるための侍女が二人来たけれど、既に着替えを済ませているのを確認すると早々に部屋を出て行った。
ノクスが助けに来るというなら、必ず来てくれる。でも、まだ数日かかるだろうし、城の中にまで来るのは危険すぎる。
なにより、リュミリエルのものにされるだなんて絶対に嫌だった。
城の外に出られなくても、ここから逃げだして敷地の奥の森まで行ければ身を隠す場所はたくさんある。
動きにくいドレスから、裾を膝のあたりで破ったワンピース型の夜着へと着替える。布の薄さは少し心元ないけれど、透けるほどではないし、これのほうが思い切り走れる。
ロープの片端をベッドの足に結びつける。もう片端を肩に掛けて、窓硝子めがけて振り下ろす位置を考える。ここからはもう時間の勝負だ。
椅子を掴む手に力を入れ直し、渾身の力を込めて振り下ろす。
ガシャーンッ!
夜気が流れ込み、髪を揺らす。破片が顔に跳ねて痛みを呼んでも、もうそんなものには構っていられない。割れた窓硝子の向こうに肩に掛けたロープを放り投げて、素早くベッドの下に隠れる。
同時に「何事だっ!」と兵士の太い声と、扉の開かれる音が響いた。
耳元で心臓がバクバクと鳴る。
ベッドの下を少しずつ廊下側へと這って移動する。
眼前を駆け込んできた兵士の足が過ぎ、窓辺に立った。
──今だっ!
急いでベッドの下から這い出して、開かれたドアから廊下へと駆け出す。
何事だっ、賊かっ、逃げたぞっ、兵士たちの声が飛び交う。鎧の金具が打ち合う音と重なり、城内は蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。
このまま一階の出口へと駆け出せば、恐らくそこには見張りがいる。目指すは二階の一室だ。大きなバルコニーに階段がついていて、そこから庭に降りられるようになっている。あそこなら、普通に出口から出るよりはきっとマシだ。
階段を飛ぶ勢いで降りて、石の廊下をまっすぐに駆ける。
こっちだっ!
背後で太い声が響く。きっと見つかったに違いない。
悔しい!と思う。
なんで聖女の力は、戦いに使えないんだろう。
例えばアニメで見たように、光の玉を投げつけて、戦うことができたらいいのに。
息があがる。空気が足りなくて喉がひりつく。それでも足を止めることなんて出来ない。
記憶の通り、金の十字と鎖の紋章のついたドアにたどり着く。目当ての部屋だ。
幸い鍵はかかっておらず、開いたドアから室内へと飛び込む。そのまま大きな窓からバルコニーへ出なければいけない。
「待てっ!!」
すぐ背後から声がかかり、力強い足音が響く。
振り向けるはずもない。
蹴破る勢いでバルコニーに飛び出したけれど後ろの足音は間近で、とても階段を駆け下りるだけの余裕はないように思えた。
飛びつく勢いで闇に沈む庭を見下ろすと、フードをかぶった人たちが篝火に照らされ、周囲を探るように歩いている。
──先回りされてたっ!
絶望感に支配されかけたその時、ふいにフードの男がこちらを見上げ、目が合った。
──っ!!
迷わず手すりを乗り越えて、空中へと身を躍らせた。
彼が受け止めようと手を広げるのが見える。
ああ、もう大丈夫だ。そう思えた。
どさり、と重い音をたてて受け止められる。
名を呼びたいのに、息が上がって音にならない。
「はは、囚われの姫にしちゃあ、お転婆な登場だな」
よく知る声に顔をあげると、ガルさんは既に追っ手の一撃を剣で受け止めていた。
ローブに縋った手を急いで離す。このままでは彼が剣を振るえない。
チッ
短い舌打ちの後、ノクスもまた剣を抜いた。
立ち上がらなくては。そう思うのに、膝が笑って力が入らない。
肺はまだまだ酸素が足りないと、喉がひりつくほどの呼吸を繰り返す。
兵士たちが続々と庭へ集まってくる。
ガルさんも剣の腕前はかなりのもののようで、軽やかに刃先をさばいては、斬りかかってくる兵士を地面に転がしていく。
ノクスも、怒りをぶつけるように剣を振るい、時には相手を蹴り飛ばしていく。
やがて庭で立っているのは、ノクスとガルさんのふたりだけとなった。
「馬鹿がっ!!」
歩み寄ってきたノクスに怒鳴りつけられる。その怒気に、空気がびりびりと震えるような錯覚を覚えた。
背中にばさりと彼の着ていたローブがかけられる。それで胸元をかき合わせるようにして顔をあげると、膝を突き、少し息の上がったノクスの目が正面になった。
「ごめ……──っ!」
謝罪の言葉言い終わるより早く、強く抱き締められた。
閉じ込められた腕の中、頬にノクスの鼓動を感じる。
「これはどういうことですか」
響いた声に、心臓を握り混まれた心地で、ノクスの腕の中で縮こまる。
「リュミリエル」
胸越しに響くノクスの声は、警戒露わな硬い声音だ。
腰を支えられ、どうにか立ち上がってリュミリエルを窺えば、彼はガルさんを凝視していた。
「他国の王家の人間がなぜこんな場所に?」
「へぇ……オレの顔まで覚えていてくれるとはな。大変光栄でございます、リュミリエル殿下」
大袈裟に礼をしたガルさんは、ニヤリと口の端を引き上げる。
「他国の……王家って、言った?」
誰に問うともなく呟くと、大丈夫だとでもいうように、ノクスに背を叩かれる。
「こちらこそ、お会いできて光栄ですよ。タシビナガル殿下。こんな騒ぎを起こさずとも、お声がけいただければお迎えいたしましたのに」
「ハハ、姫の救出に赴く騎士の登場は、とかく派手なものと相場が決まっておりますよ」
軽やかに答えたガルさんは、私の視線に気付くと、ぱちりと片目を閉じて微笑んだ。
あと2話で完結です!




