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世界を救ったそのあとで~元聖女は新しい居場所でがんばります!~  作者: 稀葉


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29 偽物の聖女



 一睡も出来ないままに、窓の外が白みだす。もう少しすると塔の向こうに見える山から朝陽が顔を出す。

 いつもならもうそろそろ起き出して、身仕度を始める頃だ。階下では厨房でノクスが仕込みをしながら朝ご飯を作り始めるから、降りていって『おはよう』と日本語で挨拶をかわす。

 ノクス、どうしているかな。きっとすごく心配している。

 置いてきたクロカゲは大丈夫だろうか。きっとリリカさんが気付いてくれるはずだ。


 あの時……城を出され、男たちに追われていた時は、ノクスが駆けつけてくれた。お金を奪われ、言葉もわからないままに逃げ惑っていた私の手をとって助けてくれた。


 ノルテリアからここまでクロカゲで駆けても、何日もかかる。リュミエルの口振りを考えれば、きっとノクスが国境を越えることすら難しいだろう。


「ノクス……」


 つい呟いて、鼻の奥がツンとする。でも泣いてたって、何も解決しない。


 寝る前同様に着せ替え人形のように無言の侍女たちに服を替えさせられ、運ばれてきた朝食をもそもそと食べる。

 昨夜は飲み込むのも難しかったけれど、空腹を訴えるお腹の音に促されて口にすれば、夕食よりは食べられた。

 先ほどまで果物が盛られていたエメラルドグリーンの縁取りのお皿に、じっと視線を落とし、ごめんなさいと心の中で呟いてから、床に叩きつける。

 派手な音をたてて割れた欠片のひとつを手の中に隠すと、見張りの兵士が駆け込んできた。


「ごめんなさい、落としちゃって……」


 兵士に続いて入ってきた侍女が、無言で片付けていく。

 一通り下げられていく食器類を見送って、心のなかでガッツポーズをする。これでロープが作れそうだ。

 昨夜、開かない窓辺に立って、どうしたら逃げ出せるかをずっと考えていた。

 出入り口は兵士が固めているから隙をつくのが難しそうだ。となれば、カーテンやベッドの敷布を裂いてロープを作るのがいいと思った。

 とはいえ、いざ布を裂こうにも素手では無理だった。かといって食事で出されたナイフを隠せば怪しまれるのは容易に想像がつく。だから、お皿には申し訳ないけれど、割って欠片を隠し持つことにした。

 作戦はこうだ。椅子で窓をたたき割る。片方をベッドの足にくくりつけておいたロープを窓から投げたら、すぐにベッドの下に隠れる。騒ぎに便乗して逃げる。

 本当にロープにぶら下がって下まで行くほど運動神経に自信はないけれど、かけっこならばそこそこ早いつもりだ。幸いここで生活していた経験上、どこをどう抜ければ外へと出られるかはわかっている。

 次に人が来るのは昼時だろうか。敷布とか、すぐにはばれそうにない布から少しずつ裂こうか。考えていると、廊下で音がして、びくりと動きを止める。


 世継ぎを産むかもしれないお体なのですから。


 リュミリエルの言葉が耳に蘇り、バクンバクンと心臓が音を立てる。

 息を詰めてドアを見つめ、誰も入って来ないことを確認してホッと息を吐く。昨夜からこの繰り返しだ。

 大丈夫、大丈夫、と言い聞かせて深呼吸する。そこにノックの音が響き、急いで掛布の下に皿の欠片を隠した。


 入ってきたのは、ワゴンを押す侍女を従えた女の子だ。

 淡いミントグリーンのドレスを纏う華奢な肢体、白銀の髪に透けるような白い肌、藍色の瞳は夜空のようで、まさに童話から抜け出てきたようなお姫様だ。


「突然のご訪問、誠に申し訳ございません」

 

 少女が丁寧に腰を落とすと、「聖女様、このような者にそのような…」と侍女がそっと咎める。


「控えなさい。この方は殿下の大切なお客様ですよ」


 見た目の年齢でいえば高校生くらいだろうか。けれど少女は人の上に立つことに慣れた口調で、すぐに侍女を制した。


「初めてお目にかかります。ルニエラ・リュヌモントと申します」

「え、初めまして、ミワ・ソラカド、と申します」

「ソラカド様、事前のお伺いもせずに申し訳ございませんが、よろしければお茶をご一緒できればと思い用意して参りました。しばしお時間を頂戴できますか」


 この世界に来て、名乗った後に苗字で呼ばれたのは初めてかもしれない。久しぶりの感覚に、なんとなくどぎまぎしてしまう。

 どこかで会ったことがあるような気がする。考えかけてハッとする。パレードでリュミエルの隣にいた子だと気づき、「ルナ……さん……」と呟く。


「側室候補風情が馴れ馴れしいですよ」


 お茶の支度をしていた侍女が耳ざとく聞き止め、目をつり上げる。

 側室候補風情。そんな風に呼ばれたことがグサリと刺さる。


「いい加減になさいっ。支度を済ませたら呼ぶまで下がっていなさい」

 

 侍女は私を一睨みすると、しおしおと部屋を出て行った。


「ぜひ、ルナとお呼びくださいね」


 ふんわりと笑うその顔は、愛らしい少女だった。

 この人が、ルナさんか……とついつい観察するように見つめてしまう。

 ほんのり薄紅の頬は血色が良く、何年も寝付いていた人にはとても見えない。

 あの日城に戻ってすぐ、彼女の呼吸が止まったと血相を変えて魔法師が呼びに来ていたのが思い出される。

 テーブルにはクッキーやプチケーキ、ジャスミンに似た香りのお茶が並んでいた。

 席に着くと、すっと立ち上がったルナさんは「聖女の名を騙りましたこと、大変申し訳ございません」と腰を落とし、頭を下げた。


「えっ、なんでっ」


 驚いて立ち上がると、椅子がガタリと音を立てた。

 彼女が聖女だと広められていることは知っている。そして、私を聖女だと知る人はほとんどいない。それなのに、聖女と呼ばれて頭を下げられたことに、混乱してしまう。


「危険を冒し、魔王を討伐くださったこと、深く御礼申し上げます」

「いえ、そんな……、あ、とりあえず、座って話しませんか」

 

 ルナさんは、「わたくしが聖女でないことなど、誰よりもわたくし自身がわかっているのです」と儚く微笑んだ。


「なぜ、……私が聖女だと知っているんですか?」

「わたくしの父や祖父は、国の要職に任じられております。ソラカド様が最初にこの城に滞在されたことや城をお出になられた時期からある程度は……」


 あの頃、基本的に部屋から出ることは禁じられていた。それでも、注意深く状況を見ていた人には知られていたのかもしれない。ましてや、最後に私が城を出された日に、おそらくルナさんの病が治り、世界の瘴気騒動は収まったとなれば気付く人がいて当然にも思われた。


 わかってくれている人がいる。その事実が、私の胸をあたたかくする。

 そして今、命の危機に瀕していたはずの彼女が、こうして元気でいる。それだけで、いろんなことが報われた気持ちになる。


「ありがとうございます」


 ぽつりと言えば、ルナさんが不思議そうに小首を傾げた。


「ルナさんがそうして元気に過ごしていてくれたら、もうそれだけで私は嬉しいんです。旅の間、私はいつも助けられてばかりで、誰かを助けられたことなんてひとつもなくて……」


 いつも一番危険なのは、剣や魔法を振るうノクスたちだった。私は一歩下がった場所で、守られながら瘴気を祓っていただけだ。

 間に合わなくて、訪れた村の人が誰も生きていなかったことも何度もあった。

 私が聖女じゃなかったらと、苦しくて堪らなかった。

 それでも、少なくとも、確かにひとりの命を救えた。その事実が溜まらなく嬉しかった。


「皇妃になられるとうかがいました」

「まさかっ、お断りです!」


 目をぱちくりとした少女は、「そう、でしたか」と安堵したように微笑んだ。

 それは、彼を分け合わずに済むということへの安堵だろうか。


「リュミリエル……様のことが、お好きなんですね」

「好き……さあ、どうでしょうか。わたくしは幼い頃から殿下の妃になることが決まっておりましたから」


 恋も知らずに結婚相手が決まるというのは、どんな気分だろうか。きっとある程度身分の高い家に生まれた彼女にとっては、それが当たり前といえば当たり前のことなんだろう。

 ふいに、コツコツ、と窓の方から音がした。


「あら、伝令鳥ですね」


 ルナさんが歩いていき、窓を開けようとする。その仕草で、ルナさんは私がここに閉じ込められているのだと知らないことを覚る。


「開きませんよ」

「え……?」

「……私が、逃げ出さないように」

「そんな」


 白い鳥は諦めずにコツコツと窓硝子をつつき、開けてほしいと催促をする。伝書鳩のような鳥がいるとは聞いていたけれど、こうして目にするのは初めてだった。

 ザッと音がして、鳥の翼に矢が刺さり、そのまま下へと落ちていく。


「──っ!」


 窓硝子にはねた血をふたりで呆然と見つめていると、すぐにドアがノックされニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた兵士が血まみれの鳥を手にやってきた。


「──っ、こ、これは聖女様、聖女様がいらっしゃるとも思わず、お目汚しをっ、大変申し訳ございませんっ」


 ルナさんがいると知らなかったらしい兵士は、慌てて膝を突いた。


「淑女の部屋をいらえもないうちに開けるとは何事です」


 強い口調でルナさんが咎めると、兵士は「この部屋には淑女などおりませんよ。殿下に取り入る娼婦まがいがいるだけです」などと言い放つ。

 先ほどの侍女といい、この兵士といい、私はいったいどういう人間だとふれられているのか。腹立たしいけれど、真っ向から相手にするのも悔しい。


「無礼者っ! 口を慎みなさいっ!」

「こちらをお渡ししたらすぐに退出いたします」


 赤いシミが小さくはねた紙を渡して寄越す。


「そっちの男には捨てられたようですね」


 捨て台詞のように言った兵士は、すぐに部屋を出て行った。


「いったいなにゆえ……なぜこのような扱いを……」


 混乱した様子のルナさんに軽く肩だけ竦めて見せて、渡された手紙を開く。

 読んだ瞬間、くっと息が詰まる。落ち着かなければと思うのに、唇がわななく。


"二度と帰るな"


 手紙にはそう書かれていた。けれど──。

 ほとりと涙が零れる。


「ソラカド様……。聖女様にこのような扱い、あってはならぬことです。リュヌモント家を通して、王家に申し入れを」

「いえ、いいんです」


 ルナさんにそっと声を掛ける。この涙は、悲しいのでも悔しいのでもない。


「けれど……夜には殿下も戻られます。その時に」


 急いで涙を拭う。泣いている暇なんてない。


「リュミリエルは夜まで戻らないんですね?」

「……はい。今日は視察に出ていらっしゃるので、お戻りは夜とうかがっております」

「わかりました。すみません。少しひとりになりたいんです……夜まで、誰もこの部屋に入れさせないということは可能でしょうか」


 手紙をぎゅっと抱き締めて、ルナさんにお願いしてみる。今この場で、こんなお願いができそうな相手は、彼女しかいなかった。


「わかりました。ではソラカド様はお加減が悪く、伏せっていると……お食事も召し上がることはかなわなそうであると伝えましょう」

 

 こんな手紙が届けられたあとだ。それはとても説得力があるだろう。


「ありがとうございます」

「いいえ、このようなことしかできず誠に申し訳ございません」


 そう言って出て行くルナさんを見送ってから、もう一度手紙を開く。


"二度と帰るな"


 この世界の文字の下、唐草模様にまぎれて小さなカタカナが並ぶ。


"カナウズ タスケル"


「"ラ"が間違ってるよ」


 ここにはいないノクスに、小さく呼びかけてもう一度手紙を抱き締めた。





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