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一撃〜干戈と抵抗〜

クーデターが起きている時、リュカはいつものようにメイド室で寝ていた。ベッド入りの前に、リュカは組閣の案を練っていた。首相はリュカ自身が任命され、陸軍・海軍・財務・外務の4省は、あらかじめ割り当てられている各国から推認された人物が任命されるしきたりになっている。


組閣案が終わった深夜に、リュカは普段から過ごしていたメイド室へと戻る。リュカは日頃から宮中のメイドとして勤務していたため、宮殿のメイド専用スペースに個室が与えられていた。しかし式典の前日にあたる今晩、リルと一緒に寝ていた。これは、リュカが奴隷として使用人室に引き取られた時からのならわしである。


リュカは宮中唯一の男性メイドであり、明るく愛想も良く、とはいえ自信なさげな様子がほっとけないのか、女性ばかりのメイドたちのなかで人気があった。そのため、一緒に寝たい(*性的な意味合いは皆無)希望者が、毎日我を我をと争うので、メイドたちはかわりばんこにリュカと寝所を共にしていた(*性的な‥以下略)。


リュカは、彼女たちと一緒だと安心するのか、すぐに寝入って爆睡するのが常であるが、この日もそうだった。

ただ、リルは何事にも注意が行き届くという彼女のメイド魂がなせる業なのだろうか、寝ることに関しては過敏な性格だった。窓を震わす台風の音や、夜間見廻りの兵士がコツコツと立てる足音にも反応してしまうので、よく眠れずにいた。この日は、兵士たちの鬨の声が響き、軍靴と馬蹄が絶え間なく響くという、至極アブノーマルな音声環境だったので、当然リルは跳び起きてしまった。


「おそらく、リュカ君の宰相就任披露会の警固の最終調整かしら。」

しかたないので、リルはホットミルクでも作ろうと、すぐ隣の台所で竈に火をくべた。



やがて薪をくべた火がぱちぱちと燃えてきたので、リルは地下室から牛乳の入ったガラス瓶を取り出し、牛乳をコポコポと青い陶製の容器に注いだ。陶製の容器を火にかけてしばらくすると、あたりにホットミルクの香ばしい匂いが漂う。その香りが隣の寝室にまで広がり、寝ているリュカの鼻腔をくすぐる。


「おはよう。リル。」リュカが眠気眼ねむけまなこをこすりながら、台所にやってきた。

「おはよう。リュカ。まだ、3時前だけどね。」リルはリュカに微笑みかける。

「ホットミルクを作ってたんだね。」「うん、一緒に飲む?」リルの誘いと同時にリュカのお腹がグ~っと鳴ったので、少し照れながらリュカはコクンと頷く。リルはクスクス笑って、2人分のコップを用意する。コップは錫と鉄でできたゴブレットで、取っ手は分厚い木製だ。リルは温めた牛乳を、2つのコップへ慎重に注ぐ。


「それじゃ、かんぱーい!」とコツンとコップを合わせてから飲んでみる。やっぱり、リルの作るホットミルクは格別だなぁ。

「リルのおかげで、あったまるよ。」「そんなことないよ。」リュカに優しい言葉をかけられた嬉しさが、自然と出た感じの声で返事するリルは、そのままリュカに微笑んで、こう考えた。こんな日常が続けばいいのに―


***************************


そんな希望は儚くもすぐ砕かれた。あたりに軍靴が響く、兵士のざわめきが聞こえる。「-こわっぱめを捜し出し、首を刎ねてしまえ!」ざわめきから、そんな物騒な声がする。こんな夜遅くになにがあったのかしら、リルは不思議に思う。そのうち、その声が微かながらもはっきり聞こえるようになると、リルは愕然とした。


「探せ!探せ!必ずや、あの奴隷のこわっぱめを捜し出し、首を刎ねてしまえ!やつが、宰相など認められぬ!」

声の主は、奴隷であり、宰相である者を探している。天下は広く、帝国は大きいとはいえ、そんな人物は一人しかいない。自分の作ったホットミルクを、いま目の前で飲んでいる人物である。


「美味しいなぁ」とホットミルクに舌鼓を打つリュカは、まだ異変に気付いてはいない。

「リュカ!」と思わず叫んでしまったリルは、すぐにしまったという顔をして両手で口をおさえる。

「誰かそこにいるのか?」万事休す。明かりを付けてはいなかったから、今までは気付かれなかった。しかし、今となってはリュカの身が危ない。リルはすくっと立ち上がった。


「リル、どうしたの?」というリュカの声も気にせず辺りを見回す。ふと、棚にかけてある古びた銅の鍵が、リルの目にとまった。よくメイドや見習いメイドが、悪戯わるふざけをして叱られる時に放り込まれる折檻部屋の鍵である。リルはそれを掴んで、急いで折檻部屋を開ける。あっけにとられるリュカをよそに、自分よりも大きいはずのリュカの体を、火事場の馬鹿力でズングと持ち上げ、半畳ぐらいの広さの空間に押し込んだ。


「え?」突然のことに戸惑うリュカ。何がリルの機嫌を損ね、怒らせたのかわからないで戸惑っていると、部屋の扉が無造作にバーンと開けられ、兵士が入って来る。

「逆賊リュカ・チェザーレは、どこだ。」

「(逆賊?僕が?いったいなぜ?)」リュカはさらに疑問を隠せない。

「存じております。」持ち前のスマイルでリルが答える。ただあれは、普段のリルとは違う対外用のほほえみだ。

「ほうどこだ。」「ねぼけて、図書室の方に向かわれてしまいました。それだけ、本が好きなのですね…」と頬を赤らめるリル。「(どこに恥じらいポイントがあったんだろう?)」とリュカ。


「なるほど。情報提供感謝する。貴殿は、リュカ殿と一番親しいと思っていたが。」「嘘を教えてもあなたたちは、必ずやリュカを捜し出すでしょう。それなら、手っ取り早く最初から教えた方がいいかと思いまして。」リルはそう言いながら、折檻部屋を少しだけ開けて、メモを差し出す。メモを差し出されたリュカはそれを受け取って目で読む。「そこから右へ向かって!」メモにそう書かれている。


メモを受け取るや否や、リュカは向かった。ただ、メモにある指示とは反対の「左」の方向へ向かった。その姿を、寝室と折檻部屋にある壁のすき間から見たリルは絶望した。


***************************


その日、女帝テレサとリゼ皇女は、久々に親子一緒のベッドで寝ていた。異性禁制である皇帝の寝室は宮殿の一番奥にあり、寝ている女帝の傍にもあまたの女性の侍従が控え、屈強な女性の兵士がひしめきながら警固している。久々に愛娘が甘えてくるので一国の君主たるテレサも、この日ばかりは夜遅くまでチェスやトランプなどの遊戯を一緒に楽しみ、とりとめのない会話が弾んだりと、久々に親子水入らずの時間を過ごしている。しばらくぶりにやってきた、そんな静寂で平和な時間…のはずだった。


ナッシュとパンチの軍勢およそ3万がなだれ込んできた今となっては、ついさきほどまであったはずの親子水入らずの刹那が、一劫いちごうの彼方に感じる。


はじめ2人は、宮殿の近くで宮女たちが喧嘩でもしてるのかと思い、気にも留めなかった。しかし、声が近づくにつれザッザッという軍靴の音が聞こえる。さらには鬨の声が上がり、幾万の馬蹄が闇夜に響く。時至りて、テレサ皇女とリゼは顔を見合わせ、ただ事ではないという思いを共有する。部屋の廊下に出ると、一人の宮女がやってきた。「これは何事か!」とテレサはその宮女に問う。その声に恐怖は微塵も感じられず、帝国に君臨する皇帝としての威厳にあふれていた。


「正体不明の軍勢がなだれ込んできました!どうやら、謀反のようです!」と狼狽した様子で宮女が返答する。そこに、矢が射かけられる。矢は王の寝床、つまりテレサとリゼがさっきまで寝ていた場所に当たった。そのことにリゼが怯えていると、刀傷で負傷した兵士たちが寝室に殺到し、第二報を告げる。


「申し上げます。敵が判明いたしました。」

「早速申せ!」「ハハッ!敵軍勢はおよそ3万!旗印は、ロベリア !」

「ロベリアだと…?帝国最古参の譜代貴族・ナッシュ家の家紋ではないか!」

ナッシュ家はユニマル王国創業以来の譜代の貴族であり、その家柄は王家に次いで古く、王国でもNo.2の地位を占める。また、貴族界のトップに君臨しており、帝国内の政界・財界に数多の既得権益を有している。また双方の政治的立場の相違だけでなく、現在の当主は奴隷をひどく忌み嫌っており、その点においても反リュカの急先鋒である。

「さらに、黒鴉の旗印…東国の加勢にございます!」「東国だと…!?」

東国・サンクロウ帝国は、帝国屈指の陸軍力を持つ国である。かつてユニマル帝国との争いに敗れ、以後はその属国となった。いまではカトゥル帝国を構成する四ヵ国の一角を成している。



兵士の言葉とともに、不意にバーンと扉があけられた。

「ここにおられましたか。」ナッシュが、東国の猛者パンチを脇に連れて現れた。みずからの手勢と東国の手勢に守られたナッシュは、ズカズカと皇帝の御前に踏み出していく。


テレサは、寝間着姿ではあるものの堂々とした様子で、皇帝だけが座ることを許される長細い椅子である龍椅に座る。娘のリゼも、テレサの傍からジッと離れずにいる。

「このような夜分に、物騒な者どもを引き連れて何の用じゃ。」テレサが下問する。

着慣れない甲冑にぶつくさ言いながらナッシュが、王の御前ごぜんに進み出で、片足を跪いて申す。

「先日、陛下が宰相に任命された奴隷、リュカ・チェザーレの件にございます。文武百官の諫めでございます。なにとぞ叡慮により彼の者を解任し、帝国に安寧をもたらしてくださいませ。」

「朕の許しなく剣を抜くか、ナッシュ」とテレサはナッシュを睨む。


皇帝の寝室ではリゼが、母帝とナッシュとの悶着を目の当たりにしていた。

ナッシュはリュカの数々の罪状を列挙した弾劾書を読み上げて、彼を宰相から解任し、さらには彼を討つ追討軍を挙げるようにと勧めている。幼いリゼには何のことか、まだわからない。

「あのぅ…」恐る恐るリゼは、母を見つめる。「リゼ、どうしたのじゃ?」テレサは、ナッシュに向けていた敵意のまなざしと打って変わって、さきほどまでの優しいまなざしでリゼを見つめる。「ナッシュたちは、何を要求しているのですか?」とリゼは疑問を口に出す。「それは、わたくしから説明いたしましょう。」とパンチが口を開く。


パンチは、帝国に仕える多くの貴族が、現在の帝国の秩序を破壊するリュカの政策に危惧を抱いている状況を説明した。曰く、東国のパンチを陸相から左遷して、チンキムの兄にあたる北国の王族を陸相に据える。曰く、元は東国の領土であるアポワス回廊をリュカの領土とする。曰く、一家一議席という議会の大原則を崩しにかかり、親リュカ派で議会を壟断する。曰く、それだけでなく、リュカに親しい貴族と結託して自分が任命するメンバーからなる枢密院なる新組織を立ち上げ、貴族の意見を黙殺しようとしている、などであった。


「そのため、我々はリュカ・チェザーレを帝国の逆賊に指定し、彼の処刑をお認めになる勅令を発布していただきとうございます。裁可が遅れれば、現場の判断で鎮圧が始まる可能性もございます。」ナッシュの言葉を聞き、リゼは言いえぬほどおぞましい恐怖を抱き、愕然とした。なぜ帝国の立て直しに一生懸命な彼を、殺さねばならないのか。リゼは知っていた。リゼが母のテレサと会えず一人寂しく寝落ちしてしまった夜には、いつもそっと布団をかけてくれたのがリュカであることを。リゼは知っていた。母・テレサが多忙なため、皇帝への謁見を希望する人々1人1人に面会して、それぞれの要望や不満を聞いて、母のプライベートを邪魔しないタイミングで口利きすることで、数多くの要望を実現させたリュカを。リゼは知っていた。メイドや使用人の間で、誰よりも-帝国のどの王侯貴族よりも―、人気や人望があるのは他ならぬリュカであることを。リゼは知っていた。だからこそ、分からなかった。なぜ、この人を帝国から奪わなければならないのか。なぜ、この人ほど人を救おうとする者が、命を狙われなければならないのか。


「そなたたちは、何を言っているのですか!」皇女の突然の叫びに、場はシンとなった。普段はとても寡黙で、おとなしいと評判のリゼが、これほどまでに感情を露わにしたことで、ナッシュやパンチ、その部下や一兵卒までびっくりした様子である。

「リゼ様、いかがなさいましたか。」普段は陸軍総帥として部下に慕われ、帝国随一の勇気と剛毅を持つというあのパンチ陸相が、とてもおろおろした様子で尋ねる。

「いかがした、ではありませぬ!“帝国一の忠臣を殺せ”など、なぜ”太陽をもう一つ持ってこよう”とするような馬鹿げたことを申すのだ!」


リゼの言葉を待ってましたとばかりに、ナッシュが返答する。「それはすでに申し上げました通り、就任からまだ1ヶ月も経たぬこの短期間にも拘らず、初の奴隷の出であるリュカ宰相が敷いた圧政から、民草を開放するためであります。」

「なにをいう。この短期間、就任披露と領地宛行の準備しかしておらぬではないか。」

「その2つが問題なのです。」憤慨するリゼに対するパンチの答えに、テレサ女帝の眉がピクリと動く。

パンチは帝国の地図と、帝国の財務状況を示す会計シートを持ってきて、説明を始めた。

「新任の宰相・リュカ殿は貴族ではない。そのため、議会において発言権を持たない。そこで、議会における発言権を持つため、皇室領から領土の一部を拝領して自らを貴族に列するという噂がございました。」

「そこで、わしが帝室直轄領の一部であるアポワスの地を拝領したいと申し出たところ、かの小童(こわっぱ)の反対で潰えたとか。先の一件は、この噂を裏付けるものに他なりませぬ。」そこにナッシュが口を挟んだ。

話を遮られたパンチは、コホンとしてから話を続けた。「そして、先日このようなものを部下が入手しました。」といって取り出だしたのは、「領地宛行計画書」と書かれた書類である。よく見ると、アポワス回廊にあたる部分が「皇婿・リュカ領」と書き込まれている。「これをわたくしの複数の部下が、わが東国以外の3か国の首脳から情報を漏らされたと口々に申します。見覚えはございますか?」

テレサは受け取ったその紙を、じっと見つめながら眉間にしわを寄せる。「いや、知らぬな。」それを横のリゼにも見せると、なぜかリゼはモジモジしている。

その言葉を受けて、パンチが話を続ける。「そうでしょうな。このような代物、偽造品しかありえませぬ。このような大罪をほおっておけば、いずれ天下の害悪となります。」

「いい機会です。首を切って、王都の市中に晒せばよいではないですか。」まるであたりまえだというかのように、ナッシュが放言する。

「とりあえず、皇婿の地位を狙ったリュカがリゼ様を襲う可能性も考えられます。ささ、リゼ様は、こちらへ。」と、パンチがリゼを母親のテレサから引き離す。

その瞬間、リゼは叫んだ。「私の気持ちなど、わかるはずもない!」そして、自らを今しがた母から引き離したパンチの手を、””ガブリ””と噛んだ。

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