第4話 設営
4月上旬、桜も散った頃、就任披露宴の準備は佳境に入っていた。
「シーツを早く洗って!」会場となる宮殿の大広間では、リルが指示を飛ばす。
「大広間のお掃除をお願い!」大広間には、足音が響く。
「銀食器が足りません!」とメイドの一人から、報告が上がる。
「宮殿内の各部屋から集めてきて!ナプキンは2種類用意して!」ガチャガチャと、銀食器が触れ合う音がする。
「フィンガーボウルの水は天然の湧水を使うわよ!」
リルは、テーブルクロスの皴を指でのばし、花瓶の位置を数センチ動かした。
一方、帝国お抱えの家庭教師や書庫の職員は、帝国に出仕する諸侯や陪臣の貴族リストを作成する。儀式書の古い紙の匂いが、部屋に充満する。司書見習のマリーも参加しているが、見慣れない貴族の名前を聞いては書き写す作業に苦戦していた。「えっと…アーサー子爵…」「違うわ!」とマリーが突如叫ぶ。「マーサー辺境伯だ!また間違えた!パーソナルな、上の名前が、ややこしくて覚えられないわ!」
「アーサー様だけでも、当主で6人はいるからね…」とリュカ。
「それに、兄弟そろってカールという家もあるのよ。」マリーが嘆息する。
「陛下との主従関係を確認するためだから、式典では貴族を誰一人間違わずに呼ばないといけないからね。」
「うーん。これだと、公爵様が、納得いただけない。でも、これだと尊爵様が怒りだしそう…」
ヘレナは式典の式次第を何稿にもわたり改稿する。ヘレナの家は、カトゥル帝国きっての「有職故実の家」として知られる。古来の先例に詳しく、代々の皇帝の即位式や祝賀会の支度や作法を指南してきた。ヘレナが古い儀式書を開き、ページをめくる。「うん、第7代皇帝の即位式では、この順番でした。それでどうでしょうか?」
「それでいこう。」とリュカは頷いた。
リュカは、リル、マリー、ヘレナから度々上げられる報告を聞いて、全体を監督する。
「リル、食器は?」
「あと百枚。」
「マリー、名簿は?」
「8割終わったわ!」
「ヘレナ?」
「席順だけです!」
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それとともに、何より重要なのは、テレサ陛下と相談のうえで、各貴族にどんな権益を認めるかという区分カテゴライズについてだった。
「とりあえず、何を認可するかという点ですが、貴族の権益のカテゴリーとして、以下の6つを想定しております。」
リュカが紙へ一つずつ記していく。
爵位
教育
領地
課税
都市
街道
従来の代始宛行では、単に貴族の封土と爵位を追認するだけだったが、リュカは以上の6つのカテゴライズを打ち出した。これは先日、執務室でリュカが貴族宛ての招待状をこしらえる作業をしている時の会話にヒントがあった。
招待状の宛先を確認するマリーが、「貴族さん方がたの書類が膨大で、煩瑣はんさすぎる!」と言ったのに対し、リルが「お掃除みたいに、どこに何があるかわかればいいのですが…」と相槌を打ったのに、マリーが「そう!それ!いっそ貴族ごとに、百科事典の項目みたいにまとめてあればいいのに…」と、言っていたのがそれだ。
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そんな感じで、今回挙行する領地宛行の一大イベントの準備は、式典の流れも、式典で認める貴族の諸権益の整理という政策目的も、一定の目途が付きそうだった。しかし、式典まで、あとおよそ一週間という今日、突然横槍が入れられた。
僕はテレサ陛下の前に呼び出されている。
「およびでございましょうか。陛下。」「リュカよ、忙しいなかすまない。」「いえ、陛下の呼びかけに臣下が応じぬわけにはまいりません。それで、ご要件というのは?」
「うむ」とテレサ陛下が、カルロ殿に指示を出す。カルロ殿は、現在の宰相でリュカの前任者にあたり、リュカと入れ替わりでもうすぐ宰相を引退する。テレサ陛下の信任厚く、人望も厚く、絶対に笑ってはいけないが、お腹周りの肉も厚い御仁である。
カルロ殿が、何やら書状が置かれた黒檀と瑪瑙の盆を持ってくる。その盆がリュカの前に置かれた。リュカは、テレサ陛下に目配せをして、拝見する許可を得てから、書状を開いた。
リュカは読む。一行目を読む。「…。」もう一行読んで、眉が動く。二枚目をめくる。読み終えても、すぐには口を開かなかった。「どう思う。」テレサが静かに尋ねる。
どうやら、宮廷執事でもあるのナッシュ侯爵から、陛下への奏聞があったらしい。
「内容は、今回の領地宛行では、ナッシュ家の周りの自由都市がすべて帝国の直轄に組み込まれるから、ナッシュ家領では財政が立ち行かなく恐れがある。そこで、ナッシュ家と東国サンクロウ王国との間にある回廊、その一部にあたるアポワスの地を拝領したい。速やかな裁可を求む。とのことであった。」とナッシュの言い分は、テレサ陛下のこの言葉に要約できる。-なぜ今、この要求なのか。理由が、見えない。「妙な話でな。あの男にしては急いている。」とのことだ。
ナッシュ側の言い分を聞き、リュカは怪訝な顔をした。
「自由都市の自治権認可は、これまで通りですよね?」
「もちろんだ。」
しかし、なにかがナッシュの気に障ったのかもしれず、あるいはナッシュ家と自由都市との旧来の結びつきを断たれると懸念して、この論点を持ち出したのかもしれない。だが、ナッシュの意図がわからない以上、対応をとるにも難しい。今この時期に、これほどまでに急ぐ理由も、どうにも見えないのである。
「思い当たる節がありません。御下問への答申は、訴状の内容を確認してからでも構いませんか?」と申し上げる。「もちろん、かまわない。」と陛下の許可を得たので、とりあえず謁見の間を退室した。
リュカの退室後、テレサとカルロが話す。
「あの男が急ぐときは、必ず裏がありますからな。」とカルロ。
「余も嫌な予感がする。」とテレサ。
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そして、祝典披露の準備を進めている会議室にしていたメイド室にリュカが帰ってくると、「お帰りなさい!」とリルに抱きつかれた。替えたてのリルのメイド服からは、洗剤のいい匂いが漂ってくる。「もう!イチャイチャしちゃって!」と、なんだかご機嫌斜めなマリー。ヘレナは「わたしも…」と、リュカに飛びつこうとはしたいものの、恥ずかしいばかりに躊躇する。
「マリーがご機嫌斜めだね…どうしたの?」
「リュカ君、きいて!私がヘレナからもらったクッキー!仕事終わりの記念にって、とっておいた最後の一枚を、リルが食べちゃったの~」と、マリーが涙ながらに訴えてくる。
「ごめんなさい!い、一枚だけなら、いいかと思って…」とリルはタジタジである。「最初と最後の一枚は、一枚以上の価値があるの~」と駄々をこねるマリー。
「最終チェックに入ろうか。」
リュカの用意した宛行リスト、ヘレナとリュカで確認した式次第、マリーが整理した貴族リスト、リルが整理した備品リストや料理のメニューを、4人ですべて確認していく。試行錯誤を繰り返すなか、どの項目も入念に練り上げて全員で情報を共有していたため、特に大きな変更点はなく、4人で特に大きな見落としもないことも分かった。
「あーおわった~。みんなお疲れ!」とヘレナ。その横にコトンとリルが紅茶を置く。「みんなで、一服しない?」「するする!もう、ヘトヘト~」とマリー。「マリーは体力が無いから、途中バテテたね。」と微笑みながらヘレナが言う。リルは、リュカにもお茶を出して、休憩を促してくれた。しかし、リュカは書面ににらめっこしてるばかりで、気が付いていないようだ。「美味しいわね。甘くて生き返る!」とマリー。「今日は蜂蜜を入れてみたの。…リュカくん?」とリルが声をかける。「あ、ごめん。気が付かなかった。」「リュカ君、何をそんなに険しい顔をしているの?」とリルが訊いてくる。リュカは、胸中を占める悩み事を打ち明ける。「アポワスの土地なんだけど…」
「うーん…これといって、アポワスの土地をもらうメリットが、思いつかないんだよな…」と地図を開いて、リュカはボヤく。
「昔の地図にも、東国の領土から帝国の直轄地に移行してから、何も変わっていませんし…」とヘレナがいう通り、アポワスは帝国への編入以降ずっと帝国直轄地だ。
「農地?」「塩害です。」とリル。
「鉱山?」「ありません。」とヘレナ。
「税収?」「雀の涙。」とマリー。
「交通の要衝?」「休める場所がないわ。」とリル。
「じゃあ、建築と土地開発?」「周囲は峻険な山脈よ」とヘレナ。
「そうですね…帝都から東国へ一直線で行くなら、ここを通ることにはなるんでしょうが…」とリルが言う。
僕は自分の頬を両手で叩く。「気持ちを切り替えなきゃ!明日が式典だから、最後まで気を抜かずに行こう…」と、さっき気合を入れたばかりのはずのリュカに眠気が襲う。ペンを持ったまま舟を漕ぎ、インクが紙に垂れる。
「あらら、リュカ君寝ちゃった。」とリル。「珍しいね。私もなんだか、眠くなっちゃった…」「わたしも…」とマリーとヘレナも疲れからか、寝落ちしてしまった。マリーは本を持ったまま眠り、ヘレナは机に突っ伏す。
寝てしまった3人にそれぞれ毛布を掛けたリルは、ドアに向かって歩いていく。「あらあら、寝てしまって。もう、こんな時誰かが攻めてきたらどうするのかしら…」とドアの前で呟いた彼女は、そのまま部屋の外へと出て行った…




