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転身物語(ある田舎における)  作者: 入江晶
2. あるホテルの一室
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2-3. 餌

 笑って答えながら、だんだんと、この人との会話の感じがどうだったか、思い出してきていた。そしてそのおかげで、何も心配することはないんだと気楽な気持ちになっていく。カラオケでキーを調整するような感じ。歌い始めはどう歌えばいいのか分からなくなっても、感覚を取り戻してつかんでしまえば、後は思い切り声を出すだけでいい。


 ――ああ、その姿が見れなくなるのは残念だね。それに、こうして会えなくなるっていうのも、残念だよ。

 ――そっすねえ。でもお別れは仕方ないと思わないと、どうにもならないですよねえ。


 私は不思議なほど余裕を感じていた。こういうふうになってみると、向こうがどんな言葉を続けてくるのか、ほとんど予想できるようにまでなってしまう。実際、私の顔を覗き込むように視線を投げかけながらその人が言ったのは、私の思った通りの言葉だった。


 ――大学は、どこだったかな。


 私が一瞬これに答えるのに詰まったのは、あまりにも予想通りすぎた質問だったので面食らってしまい、用意していた答えを、これでいいのかと、わざわざ確かめてしまったからだ。結局は、決めていたように答えた。つまり、大学の名前は言わず、「東京です」とだけ。向こうの、微妙な笑顔を作りながら一瞬黙るという反応も、想定した通りだった。そして私の様子を伺うように視線を向けたまま、言う。


 ――ああ、そうなると本当にお別れだね。都会は危ないし、一人暮らしも大変だろうからなあ。改めて聞いてしまうと、お別れなのを実感して、本当に寂しくなるよ。

 ――私はそうでもないっすけど。


 内心ではドキドキしながら、私は答えた。そっけなく聞こえるようにあえて意識しながら、あっさりと。それがうまくできたという印象のせいか、思わず口元が緩み、私は笑ってしまっていた。向こうも微苦笑といった様子を見せながら、答える。


 ――悲しいなあ、そんな冷たいことを言わないでよ。

 ――だって、仕方ないじゃないですか。どうしようもないですよ。


 言いながら私は、自分が口にしている言葉と自分の気持ちの間に、なんというか、まったくギャップがないことに驚いていた。そこには目の前のおっさんに対する嫌悪もなく、さっさと別れてしまいたいという焦りや苛立ちもなく、やっとこの関係の終わりが来てせいせいしたという感じもなく、ただ目の前に迫った別れを強いる事情を素直に受け入れようという、妙にすっきりした、ほんのいくらかの寂しさも混じった気持ちがあるだけだった。しかし同時に、予想していた不安はむしろ近づいているという予感もあった。なのに気分はかえって爽やかに高揚しているというのも不思議だったけれど、アニメやゲームのように、決戦の場に向かう時にはこういうふうになるのかもしれないと思えた。舞台と相手はクソみたいだけど。

 しかしその予感はまだ果たされず、


 ――そうか……まあとりあえず、いつもの約束だからね。


 と、いったん引き下がったような様子で、その人は言った。そしてその人の脇、腰かけていたベッドで鞄の隣に置かれていた、無地の封筒を差し出してくる。

 ベッド越しに体と腕を伸ばして受け取ると、その見た目の厚みの通りに、ずっしりとした重みを感じる。指で厚みを計ってみたり、曲げるようにしてみたりした。封筒を開けないまま。それでも、紙幣が二十枚ぐらい、いやたぶん、ちょうど二十枚重なっているのだというのが分かった。一年もかからずにこんな技術を習得することになるとは思っていなかった。ついでに言っておくと、偽物の可能性とかを考えなかったのは、別に渡してきた相手を信頼しているからではなく、そういう小細工ができるほど利口なタイプではないと知っているというだけのことだ。このくらいのお金なら出してくるだろう、という意味では、信頼はある。財力に。

 その厚み、そしてそれが意味する封筒の中身の価値には全く驚かなかったけど(ある程度予想していたからでもある)、実際に手にしてみると、そして同じように渡される経験としてはこれが最後になるんだと思うと、自分には不釣り合いなものがそこにあるようで、不思議な感じがした。今更何を言っているんだという話だけど。もしくは、最初の頃の、たったこれだけでこんなにお金をもらっていいんだろうか感じたのを、思い出したのかもしれない。実際、最初のうちは、食事に付き合うだけだったりもした。そういうことを考えてみると、その頃に比べて、今では対等な取引になっていると言えるかもしれない。私の金銭的価値(ここで言う「私」は、概ね純粋に物理的な対象を指す)なんて、考えたこともないけど。

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