3-7. 歌、言葉
歌い終えた彼女に拍手をしながら、屈託なく笑って大げさにお辞儀をする彼女が、その頃どんなふうだったのかと考えた。計算してみれば、小学生ということになる。きっと、将来の(つまり今の、そしてこれからの)美貌を予感させる、とてもかわいい女の子だったに違いない。そしてもしかしたら、今よりも気難しかったのかもしれない。あの映画は当時の私の周りがみんな観ているくらい話題になっていたから、きっと彼女も観たんだろう。無邪気に夢中になっていたのかもしれないし、あるいは、早熟でひねくれた、しかし的確な批評の目を向けていたのかもしれない。今の彼女を見ていると、どちらもあり得ると思う。
――流行ったよねえ、懐かしいなあ。私も観たよ。
――今の私に、ぴったりじゃないですか? 田舎を捨てて、都会に行く女子高生の話なんだし。
――あはは、確かに、最後はそういう展開になってたね。
何にしても、きっと彼女のこのまっすぐで鋭い目や感覚、敏感な神経といったものは、昔から変わっていないんだろうと思える。幸運にも、私はそれで刺されることはなかった。誰かは、あるいはどこかは刺されたのだろうけれど。
さて、彼女が歌い終わると、私も逃げ道がなくなる。というわけで、私も一曲歌うことになった。こういう場所で会うと、暇つぶしというかほとんど時間稼ぎのためだけにしばらく時間を過ごすこともあったけれど、そんな時は、互いに勝手なことをするか話をするかだったから、私の方が歌いはしなかった。だから彼女の前で歌うというのは、初めてではなかったけれど、かなり珍しいことだったわけだ。そういう理由で、そしてそもそも普段あまりカラオケに行ったりもしないために、余計な緊張をしながら、私は曲を入れて歌ってみた。
自分の声を聞く、というのは、スピーカー越しで、その上エコーをかけられていても、違和感ばかり起きる。それに、彼女の歌の上手さに引け目を感じてしまって、だいぶぎこちなくなってしまったと思う。歌の出来栄えもそうだし、さらに、選んだ曲について、どう思われたものやら、と心配していた。もっと無難な選択もできたけれど、相変わらず私は、彼女に甘えようとしてしまった。
それは彼女が歌った曲の使われた映画と同じ監督の、別の映画に使われたものだった。その映画について、彼女と少し話したことがある。と言っても、一回か二回の言葉の往復で終わった程度で、彼女も「わけ分かんなかったから何回か見ましたけど、わけ分かんなかったです」というくらいで済ませていた。私の感想も、似たようなものではあった。
ではそこでなぜ私がその曲を選んだのかと言うと、それが私の精一杯の気の利かせ方で、彼女との別れに対する気持ちを乗せようとしたのだと思う。そのために適した選曲だったのか、伝わりようがあるのか、というのは、甚だ疑問ではあるにしても。
歌詞は、要するに失恋に対する未練というか次への期待というかを語ったもので、映画の中でその曲が流れた場面では、彼女と同じ年頃の女子高生が出張っていた。ちなみにその女子高生は田舎(この町よりも遙かに田舎)に住んでいて、都会からその田舎に来た男の子に一目惚れして片思いを長く続けた挙げ句、失恋するハメになる。私には(どうやら彼女にも)理解できないほどの、深い理由で。あるいは単に、その男の子が初恋相手との思い出を小学校以来いつまでも未練がましく引きずっていたから。
歌いながら私は、もっとうまくやれれば良かったのにと思った。歌も、その選び方も、これまでに彼女との間にあった諸々も。あるいはもっと、素直に言ってしまえればと。しかし拍手をしながら無邪気に笑う彼女の様子を見ていると、この笑顔を、どういう形にしろ、身近で動揺させることは、ためらわれた。彼女には、そのままでいてほしいと思えた。私とか、あの交際相手(一般的な用語ではパパとでも言うのかな?)との関係なんて存在しなかったようなくらいに、そこにあった時間を素通りするように、そのままで。
――最高っす、お疲れ様でした。
彼女の大げさな言葉と拍手に、彼女もそうしていたように、深々と頭を下げて答えた。何か言葉を探しながら。言うべきこと、言った方がいいこと、言わなければいけないことを。




