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転身物語(ある田舎における)  作者: 入江晶
2. あるホテルの一室
12/22

2-8. 幕引き、そして舞台裏

 がっくりと肩を落としたその人の様子をしばらく観察した後、私は手の中の名刺や、脇に置いていた分厚い封筒を鞄にしまい、鞄の口を閉じて、肩にかけながら立ち上がった。その人は動かない。私はドアに向かって歩き出した。何度か振り返りながら。やはり動かない。ドアの前まで来たとき、私は言った。


 ――ああそうだ、あの写真、消しといてくださいよ。盛りすぎで気持ち悪くて、人に見せられるようなのじゃないんで。


 反応を待とうかとも考えたけど、思い直し、私はすぐに部屋を出た。ドアを後ろ手に閉める。安全のためとかでそうなっているのか、いくら力を入れても、そのずっしりしたドアは、なかなか閉まってくれない。ノブに連動する出っ張りがガチャンとはまり込むと、私は歩き、やがて足音を立てないように走り出して、エレベーターまで大急ぎで向かった。下へ降りるためのボタンを連打し、待つ間、歩いてきた廊下の方を何度も振り返った。

 エレベーターが来る。扉が開く瞬間、中に誰かいたらどうしようと思い、取り越し苦労で済んで、心の底からほっとした。しかし緊張はまだ続いている。もう一度廊下を振り返り、飛び込んで、今度は扉を閉めるボタンを連打。

 ゆっくりと(速度なんて知らないけど、私はそう感じた)降りていくエレベーターの中は静かだった。でも、異様に狭く、暗く感じた。押しつぶされそうなくらいに。一階に到着し、ここで乗ってくる人に出くわしたらどうしようかと思ったけど、今度も杞憂で済んだ。

 駆け出してしまいそうな気持を意識して押さえつけ、私はゆっくりと、不愉快なほどに明るいロビーを歩いた。フロントから何か声をかけられたら、どう答えるべきかを考えながら。エレベーターを降りてから自動ドアを通過するまでに、あり得ないほど長い時間がかかった気がした。

 外に出た瞬間、目の前の道路を、大きなトラックが何台か通過していった。異様に野太い音を立てながら。ぞっとさせられたその存在感の余韻を追いかけるように最後の車を見送ると、そちらは駅の方向で、街灯や信号がまばらに並び、そんな景色の中に、いくつかのテールライトが紛れていった。気づくと、周囲は全くの静寂で、暗かった。

 私は歩き、ホテルのロビーから漏れる明かりが届かなくなったあたりで、一度振り返って、恐れたようなこと(例えば誰かが追いかけてくるとか)が起きていないのを確認してから、狭い脇道に入ると、長々と息を吐き、膝を曲げて、それを抱えてうつむきながら、座り込んだ。そして、終わった、終わったんだと、心の中で何度もつぶやく。

 いつまでもそんなままでいてしまいそうだったけど、そうもいかなかった。次の約束がある。だから、顔を上げないといけない。

 飛び上がるか跳ね起きるように立って、私は歩いた。頭の血がついてこれないせいでクラッと来たのを感じながらも、最初はかなりの速足で、何度も振り返りながら。しばらく行ってからようやく、普通の速さで。

 次の約束の相手に連絡をするということに思い当たったのは、コンビニに入る直前だった。明るすぎる冷たい光と暢気すぎる音楽と馴れ馴れしすぎるアナウンスに満たされた空間に入るために、そうやって勇気をもらう必要があったらしい。


「うまくできたみたいだね。おめ!」


 あまりにもビビりまくっていた気持ちが、この返信を見て、やっと落ち着いた。というか、落ち着いてみて、自分がどれだけビビッてキョドっていたか、やっと自覚した。そんな自分に心の中で苦笑しながら、気合を入れ直した私は、次の約束に向けた準備のために、まずはATMを使ってあの封筒の中身を紙から電子の流れに変え(私の予想した枚数はぴったりと正解だった)、そしてトイレに入った。これまでとは違う、もっと自分の望む形の、自分になるために。

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