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楽園の祈り  作者: 大拓 陽
第一章 セイシスト教会本部孤児院

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【第一章 - 19 後半】七猫

紅月の祝祭(こうげつのしゅくさい) 一方その頃、甘猫はというとーー


 宿のベッドに横になったまま、天井を見つめて小さく唸っていた。

「…行かなきゃ、いけないっていうのは分かってるんですけど…」

 胸の奥が、じわじわと重くなる。甘猫は、この後教会で起きる出来事を知っていた。


 ーー紅月の祝祭。

「この行事を、れいり様に見せるわけにはいきません…」

 起き上がり、布団を握る指に力が入る。もっと早く気づいていれば、この宿を選ばなかったのに…。そんな後悔が今になって襲ってくる。


 聖堂のすぐそばだなんて、完全に失敗だ。

 紅月の祝祭は、華やかな名とは裏腹に、甘猫にとってはどうしても目を背けたくなる行事だった。


 ヴァンパイアの聖女を象徴する存在が、滝の上で血を流し、その水を「祝福」として分け与えるーー

 そういった形で語られる儀式。内訳を語れば長くなる。

 甘猫が知っているのは、ただ、その由来だけだった。


 昔、帝国に感染症が広がった時代。

 一人の少女が街を巡り、人々を救ったと伝えられている。

 紅い瞳、白く長い髪。

 名をエーオスと呼ばれたその少女は、ある川に血を流し、その水を飲んだ人々の症状を鎮めたという。


 代償として、彼女は命を落とした。

 それでも、帝国全土から感染症は姿を消した。

 ーーそれが神話。

 ーーそれが、今に残る祝祭。


「…だからって、同じことを繰り返す必要なんて…」

 甘猫は深く息を吸い、勢いをつけてベッドから降りた。それから大きく息を吸って言う。

「こんな、ふにゃふにゃしててはいけません! 外に出ますよ! 甘猫」


 * * *


『外に出る』

 そう決めて宿を出た所までは良かったのだが……。


 聖堂の前で、足が止まった。白い石造りの建物。人々の祈りを受け止めてきた場所。

 分かってる。

 ここは敵じゃない。


 それでも、身体が言うことをきかない。

 ーー怖い。

 膝が小さく震え、前に出ようとした足が戻ってしまう。



 すると、耳元で囁く様な声が聞こえた。

「…ガーデンへ来なさい」

 はっとして振り返るが、そこには誰もいない。それなのに、不思議と、今度は足が前に出た。


 甘猫は、導かれるように聖堂の中へ入ろうとする。だが、入り口で声がかかった。

「あれ?落ちこぼれちゃんじゃない」


 胸が凍る。

「こんなところで何をしてるの?脱走したって聞いたけど?」

 振り向きたくなかった。声の主は、かつての同級生ーー甘猫にとって、忘れたくても忘れられない存在。


「…知りません。人違いです」

 言葉を絞り出し、甘猫は走り出した。しかし、そう一筋縄ではいかない。


 追ってくる足音。

 逃げ場のない階段。

 息が切れ、視界が滲む。


『間に合ってっ!』

 願うように扉を開け、ガーデンへ飛び込む。勢いよく閉めた扉の向こうで、足音が止まった。

「…七猫」

 静かな声。柵の向こう、景色を見つめていた少女が振り返る。

「元気にしてた?」

 その横顔は、昔と変わらない。どこか頼もしくて、懐かしい。


「…うん。元気だよ。でも…今は、逃げてて…」

「噂には聞いてる」

 少女は小さく笑った。

「本当、昔と変わらないんだから」


 ーその時。

 背後の扉が、乱暴に開いた。


 甘猫は思わず一歩下り、反射的に親友の背後へと身を隠す。


「あれ?落ちこぼれちゃん。隠れちゃったの?みっとも無い」

 その少女はいかにも愉快そうに、口元に手を当てて笑う。

「やめなさい。貴方、ただ嫉妬しているだけでしょ…」

 親友は、ぴしりと言い切った。


「どの口が言うのよ。貴方だって目が見えないじゃない。それに、こんな泣き虫に何を嫉妬するの?」

「七猫が特待生だったからでしょ?No.7ーーそれは特待生だけに与えられる番号だって、貴方も知っているはずよ」


 少女は「チッ」と舌打ちをし、感情をむき出しにする。

「だってこの子っ、別に何かがずば抜けていたわけじゃないじゃない!それに、こんなに泣き虫で…施設から逃げ出してーーなのに、どうしてこの子が!」

「それは貴方たちがいじめていたからよ」

 親友は一歩も引かなかった。


「精神的に追い詰められて、力を出せなかっただけ。本当は凄い子なの。この子が何歳であの養成所に入ったか知ってる?六歳よ。それからずっと、貴方たちに目を付けられて、逃げるしかなかったの」

 一拍おいて、静かに言葉を続ける。


「もう私たちは二十三歳。立派な大人よ。いい加減、過去と向き合いなさい」

 その言葉が癪に障ったのか、少女は荒々しく詠唱を始めた。

 だがーー

 魔法の渦円は歪み、力も定まっていない。


 甘猫は瞬時に簡易結界を展開し、さらに複合魔術で消滅術式を重ねる。


 飛んできた魔法は、触れる前に分散した

「…もうやめなさい」

 親友が低く告げる。

「これで分かったでしょ。甘猫がどれだけの才能を持っているのか」

「…認められない」


 再び詠唱を始めようとした瞬間、その魔法陣が崩れ落ちた。

「術式形成破壊…?」

 甘猫が思わず呟く。

「私だって、少しは魔法が使えるようになったの」


 親友は、どこか誇らしげに微笑んだ。甘猫は一瞬だけ迷い、それから覚悟を決める。親友を守るため、転移魔法陣を展開し、少女を遠方へと弾き飛ばした。


「…七猫も、ちゃんと成長したじゃん」

 親友は穏やかに言う。


「もしかして、あの賢者様のおかげ?それとも…あのシスター?」

「…どっちも、ですね」

 甘猫は小さく笑った。


「それに、貴方だって成長してるじゃないですか」

 その何気ないやり取りが、甘猫にとっては何よりの救いだった。


「それにしても…なんでここに来たの?逃亡中なのに、セイシスト教会の聖堂だなんて」

「それは…少し事情があって」


 * * *


 甘猫は、れいりのこと、そして今日行われる儀式の話を打ち明けた。

「あー…やっぱり」

 親友は苦笑いする。

「あの儀式、正直グロいよね…でもさ、今日血流す役、私なの…」

「…え?」

「私、ヴァンパイアだって言ってなかったっけ?」

 親友は、驚くほど軽い調子で言った。

「まぁ、もう血族の血もだいぶ薄まってきてるから。見た目じゃ分からないよね。日光も、全然に平気だし」


 確かに、黒い髪に伏せた目元。

 牙も見えず、一見すれば分からない。

「まぁ、でも環境行事みたいなものだしさ。それに、あの賢者様、ヴァンパイアと人間のハーフなんでしょ?なら、神話の儀式もきっと知ってるよ。純血のヴァンパイアの村にも、似たようなのあるし…」

 甘猫は、その言葉を胸の中で静かに反芻した。


 もう、れいり様に隠す必要は無い。


 * * *


 こうして、親友との再会に喜びつつ、たわいもない会話をする。

 例えば、名前を貰えた話だったり、なんでれいりの家に逃げてきたのかだったり…。


 でも、そんな幸せな時間は長くは続かない。教会の屋上から鐘の音が「ゴーン」と鳴り響く。

「ごめんね。もう、儀式の準備が始まっちゃうみたい」


「えっ、もう?」

 別れを悲しむ甘猫は親友に抱きつく。

「泣き虫さんなのはいつまで経っても変わらないのね…」

 親友は甘猫の頭を軽く撫でてもっと強く抱きしめる。


「だって、だってこれが最後かもしれないし…。逆に泣かないのです?」

「私は死なないから。きっと大丈夫またいつか会えるわ? きっとね…」

 親友はもっと強く甘猫を抱きしめた。


 * * *


 甘猫が落ち着きを取り戻した頃、親友は甘猫にこんな事を提案してみた。


「ねぇ、これからの二人の運命を神託に聞いてみない?」

 その言葉に、甘猫は首を縦に振る。甘猫の親友は、あまり魔術が得意ではないのだが、昔からこういった神のお告げを聞くことは得意だった。


 そもそも、これに関しては努力とかではなく才能なので、この子は聖女にもなれただろう。

 何故、彼女がそれを拒否したのかは知らないが精度が高いのは確かである。

「神よ、我が力のもと敬意を示し神託を託すことをお許し下さい」


 親友がそう言った瞬間ーー周りがパッと明るくなり、何やら呪文のようなものが聞こえる甘猫には何を言っているのかさっぱりだったが、どうやら彼女には分かっているらしい。

 しかし、甘猫には神託を聞いている彼女の顔がどうも悲しく見えた。


 それから、親友はこっちを見て少し微笑んだ後こう言った。

「甘猫はね、れいり様のおかげでこれから良い方向に進むって!」

 それを聞いた甘猫は、少し嬉しい気持ちになった。


「で、私なんだけど、何故だか分からないんだけどね。神託が読めないの…」

 甘猫はそれを聞いて悪いことじゃないんだ、と一瞬胸を撫で下ろす。

「でも、神託が読めないっていうのは…?」


「ほら、さっき呪文みたいなのが聞こえたでしょ?あれ、私には何故か言っている事が分かるんだけど、今回は分からなかったの…」

 神託が分からない、それはつまり、何か特別なことを示している。それか、運命が何者かによって変わる可能性がある。

 もしくは…。


「何か、知って欲しくない事を言っていたってこと?」

 甘猫はそんなことを言って背筋が「ゾワッ」と凍り、そんなことを言ったことを後悔する。

「もう、これ以上は深堀しないでおきましょう…」


 そんな事を話していると、後ろの扉がそっと開く。

(えっ、何?オバケ!…)


「あの、えっと、No:104さんもう儀式の準備を…そちらの方は?」

 そこにいたのは、親友を迎えにきた聖女だった。


「えっと、この子は私の知り合いで、敬虔な信者方で…」

「あ、そうだったのね。初めまして」

 そう言われて甘猫は、軽くお辞儀をする。そして、少し開かれたドアから、準備へと向かおうとしたその親友はこっちを向きこういった。


「じゃあ、またいつか…」

 そう言った親友の表情に、一瞬だけ影が差した気がした。

 甘猫はその違和感に気づきながらも、胸の奥が冷たくなっていくのを感じた。


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