【第一章 - 19 前編】宗教都市サンクティア
馬車を降りると、目の前には高い塀がそびえていた。どうやら、サンクティアへ入るには検問を通過しなければならないらしい。
賢者と名乗れば、即座に通してもらえるだろう。
だがーー今回の目的は潜入調査。
目立つ行動は避けるべきだ。
でも、そんなのとっくに想定済み。家を出る前から、変装用の服装はすでに整えてきていた。
検問所に入ると、そこには大柄な女性が受付に立っていた。
「身分証をご提示ください。…隣のセイシスト教会のシスターは、そのまま通行を」
れいりは、用意していた偽造身分証を差し出す。偽装とはいえ、これはちゃんとした一つの戸籍として作られ、生まれた年に設定されている。
三大賢者の仕事上、潜入捜査など普通に存在している。その時のため、帝国が用意してくれたものだ。見破られる心配などない。
「…セイシスト・レイナ様、ですね」
女性は書類に目を通し、短く頷いた。
「問題ありません。このままご通行ください」
それから女性は、少し声を上げ、淡々と言う。
「ようこそ、セイシスト教会。そしてーー聖なる街、サンクティアへ」
* * *
街へ足を踏み入れたれいりたちは、互いに言葉を交わすことなく歩き始めた。
サンクティアの街並みは穏やかで、人通りも多い。
信仰都市なだけあって周りにはやはりセイシスト教会の服装をした人が多い。
それに、この街にもセイシスト教会の孤児院があるらしい。その存在は当然気になるところだが、まずは今回の滞在先へ向かうことになっている。
宿の手配は、昨日甘猫が急いで済ませた。
「奇跡的に立地のいい宿が取れました」と嬉しそうに言っていた。
しばらく道を進むと、視界の先に大きな聖堂が姿を表す。
その聖堂は、セイシスト教会本部の聖堂以上に人を集める場所として知られている。理由は、聖堂の裏手にある滝にある。
山から湧き出る水がそのまま流れ落ちるその滝は、「聖水」として語られ、多くの巡礼者が一度は浴びたいと願うほど美しい水だという。
甘猫の背を追っていると、その聖堂のすぐ隣に建つ、ひときわ整った宿へ入っていった。外観だけでも、かなり上等な宿だと分かる。
宿は、その聖堂の隣に建っており、とても綺麗な造りをしていた。一目で、良い宿だということが分かる。
部屋は、思った以上に静かで広かった。
バルコニーの向こうには街と滝が見えていて、そこでは沢山のセイシスト教会信者が祈っていた。
宿について真っ先にやったことといえば…、れいりは刀の手入れをしていた。
甘猫も特に緊張した様子はなく、バルコニーから外の景色を見つめている。
「孤児院の方、見てこようかな…」
「もう行かれるのですか?」
「でも、偵察だし…すぐ戻ると思うよ」
「でしたら、私もご一緒した方が…」
しかし、甘猫は少し考えて言い直した。
「…いえ。孤児院の方は、あまり近づかない方が良さそうですね」
「だよね」
れいりは、少し苦笑いしながら頷いた。
「じゃあ甘猫は、この辺でぶらぶらしてて。教会とか、街の様子とか見といてもいいし…」
「分かりました。何かあったら、すぐ連絡しますね」
れいりは頷いて、刀を収める。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
短いやり取りを交わして、れいりは部屋を後にした。
甘猫を宿に残し、れいりは一人で街へ出る。
目的地は、噂に聞くセイシスト教会の孤児院だ。レンガ造りの家々が立ち並ぶ通りは、人で溢れていた。
酒場の笑い声、市場の呼び声、行き交う人々の足音。宗教都市とは思えないほど、街は活気に満ちている。
そもそも、お酒なんて飲んで良いのだろうか…。
「そこのお嬢ちゃん」
突然、声をかけられた。声のした方向を振り向くと市場の露店に立つ男が、じっとこちらを見ている。
「なんだか…賢者様に似てるな」
一瞬、心臓が跳ねる。だが、れいりは即座に表情を整えた。
「き、気のせいじゃないですか?ほら、世の中にはそっくりさんもいますし」
「ははっ、そうだな。あの賢者様がこんな街に来るわけないか」
男はあっさりと納得した様子で、そのまま話題を切り替える。
「そうだ。そんなそっくりなお嬢ちゃんに、いい物がある。最近、帝国魔導学院付属研究所が出した新しい魔法陣の論文書だ。今なら金貨2枚。どうだ?」
帝国魔導学院付属研究所ーー
帝国内でも屈指の研究機関であり、特に魔法に関しては、数多くの有名な論文を出している。
「…中、見せてもらっても?」
差し出された本を開いた瞬間、れいりは息を呑んだ。ページいっぱいに並ぶ、美しく整理された定和。
しかもー昨日、目にした「祈りと魔力の関係性」に関する記述まである。
「…これ、買います」
金貨を差し出すと、男は満足そうに笑った。
「毎度あり」
今すぐ読みたい衝動を抑え、れいりは本を袖に入れるふりをして収納魔法に収める。
* * *
昨日クローマに送ってもらった、その地図の、その通りに進んできたはずなのだがーー
「…行き止まり?」
確かに、示されていた地点だ。れいりは首を傾げ、もう一度ゆっくりと周囲を見回す。
すると、壁と壁のあいだに、かろうじて人ひとりが通れそうな細い路地を見つけた。影に沈み、意識しなければ見落としてしまいそうなほど目立たない。
まさか、ここなのだろうか。
半信半疑のまま、その路地へ足を踏み入れる。
そこにあったのは、孤児院という言葉から想像していたものとはかけ離れた、ひときわ立派な建物だった。
白を基調とした外壁に、金色の装飾。大きな窓には色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、陽の光を受けてきらきらと輝いている。
手入れの行き届いた花壇には季節の花が咲き、正面の門も丁寧に磨き上げられていた。
まるで小さな聖堂か、由緒ある学院のようだ。
れいりは思わず、うっとりと目を細めた。
門の脇には金属製の看板が立てられており、そこには端正な文字でこう記されていた。
ーーセイシスト教会付属 聖育孤児院
その文字を確認し、れいりは軽く息を整える。
門の前で少しだけ逡巡したあと、れいりはゆっくりと敷地へ足を踏み入れた。
中庭は外観以上に整っていた。白い石畳の通路が噴水を囲むように伸び、噴水の水は澄んでいて、陽光を反射してやわらかくきらめいている。
その周囲では、子どもたちが数人、職員らしき大人に見守られながら遊んでいた。
笑い声。
走り回る足音。
それらはごく普通で、どこにでもある穏やかな光景だった。
子どもたちは清潔な服を着ていて、表情も明るい。
痩せ細っている様子もなく、怯えた様子もない。
れいりが想像していた施設のイメージとは、ずいぶん違っていた。
するとーー
「こんにちは。見学の方でしょうか?」
柔らかな声がかかった。振り返ると、淡い色の修道服を着た女性が立っていた。
年齢は二十代後半ほどだろうか。物腰は穏やかで、微笑みも自然だ。
「え、あ……はい。少し、興味があって」
とっさにそう答えると、女性はにこりと頷いた。
「そうでしたか。でしたら、よければ中もご案内できますよ」
「突然で大丈夫ですか?」
「ええ。特別な手続きは必要ありませんから」
それから、女性は建物の方へ手を向ける。
「こちらは、子どもたちの生活を最優先に考えた施設です。教会の支援もありますし、寄付も多いので、設備には自身がありますよ」
歩きながら説明を受ける。
建物の中は外観と同じく明るく、天井も高い。廊下には絵や刺繍が飾られ、窓からは柔らかな光が差し込んでいる。
「食堂はあちらです。教育棟は奥にありまして、読み書きや基礎魔術の指導も行っています」
「…基礎魔術も?」
「ええ。将来、教会に仕える道を選ぶ子もいますから」
その言葉に、れいりは内心で小さく頷いた。
甘猫が居たのもこの系統の施設だったのだろうか。
案内は終始丁寧で、質問にもきちんと答えてくれる。違和感を覚えるような点は、少なくとも今のところ見当たらなかった。
「もしよろしければ、子どもたちの授業も見ていかれますか?」
「…いえ、今日はこのくらいで」
れいりはそう答え、軽く頭を下げる。
「突然お邪魔して、すいませんでした」
「とんでもありません。また、いつでもどうぞ」
建物を出て門の外に戻ると、れいりは一度だけ振り返った。
白と金の建物。
明るい声。
整った環境。
ーー少なくとも、表向きは。
「…簡単には、分からせてくれないか」
そう小さく呟いて、れいりは孤児院を後にした。




