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楽園の祈り  作者: 大拓 陽
第一章 セイシスト教会本部孤児院

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【第一章 - 18】甘猫

 リビングの椅子に腰を下ろし、ふと顔を上げる。

 そこには、両肘を机についてこちらを見つめるお父さんの姿があった。

「おはよう。僕の可愛い娘ちゃん」


「おはよう。お母さんは?」

 れいりが尋ねると、一瞬だけお父さんの姿が消えた。多分、転移魔法だろう。


「まだ寝ていたよ。昨日、遅くまで論文を書いていたみたいだ。もうそろそろ、提出時期だからね」

「…あ」

 れいりは、ようやく思い出した。

 お母さんの部屋に行った本来の目的を…。


「期限はいつも通り四時頃だろう。朝食のあとで起こしにいくよ」


 お父さんと話していると、少女が料理を運んできて、それを机の上にそっと置いた。

「今日の朝食は、ホワイトシチューとパンです」

 自信満々にそういう少女とは裏腹に、その時点で、れいりとお父さんの顔色はとっくに青ざめていた。


「ねぇ…シチューから紫色の煙が出る理由、説明してもらってもいい?こんなの、漫画とか娯楽小説でしか聞いたことないんだけど…」

 れいりの質問に、少女は少し考え込んでから答える。

「えっと…ほうれん草と間違えて、そこらへんに生えてた、ちょっと怪しい草を入れてしまいまして…」


「いやいや、なんで間違えるの?」

「たぶん大丈夫です。煮込めば平気って、本に書いてありましたから…」

 不安以外の要素がない説明を聞きつつ、れいりは恐る恐るスプーンですくったシチューを口に運ぶ。


 でも、味は思っていたものとかけ離れていた。

 そのシチューはとても美味しく、まるで死灯蜜の様に、下の上でピリっとするのだ。


 その瞬間ーー

「パタッ」

 近くで、何かが倒れる鈍い音がした。

 れいりが慌てて視線を巡らせると、そこには泡を吹いて倒れているお父さんの姿が…。


「大丈夫!?」

 れいりは、解毒魔法を瞬時に使い、お父さんはなんとか息を吹き返す。

「…味の程は、いかがでしょうか?」

 少女の問いかけに、椅子に座り直したお父さんと、れいりは顔を見合わせー

「ものすごく美味しかった!」


 ただ単にこの家が異常なのか、そもそも皆こうなのかは分からない。少なくとも、この家では毒はごちそうの範疇らしい。


 そのため、少女に対しては「おめでとう」と言う言葉がピッタリだ。

「れいり、毒耐性魔法をかけてくれないかい?僕、こういう系の魔法は苦手でね…」


 お父さんに頼まれ、れいりはすぐに術式の演算を始める。

 毒耐性魔法は、その毒の性質に合わせて毎回計算が必要な、かなり高度な魔法だ。つまり、魔法のセンスがかなりないと扱えない。


 演算を終えたれいりは、リング状魔法陣をお父さんに投げる。それを潜った時、お父さんに毒耐性魔法が付与された。


 そして何事もなかったかのように、グラタンの続きを食べ始める。

 れいりに関しては安心して欲しい。普段から死灯蜜を大量に摂取しているため、この程度の毒は効くはずもない。なんなら、れいりはむしろ美味しく感じているのだ。


「それにしても、朝ごはんありがとうね、子猫ちゃん。…そういえば、君の名前って何ていうの?」

 ふと、お父さんが尋ねる。


「名前、ですか…。確かに…」

「施設では、なんて呼ばれてたの?」

「No.13だったと思います。見習いシスターになってからは、No.7と呼ばれていて…そう言えば、友達には七猫とも呼ばれていましたね…どれでもも構いませんよ?」


 番号で呼ばれていた、という事実に、れいりは一瞬衝撃を受けた。お父さんも、何も言わずに目を伏せている。


「…番号じゃなくてさ」

 れいりは、少し考えて口を開く。

「ちゃんとした名前で、呼びたいなって思うんだけど…どうかな?」

「…?」


 少女はきょとんとした顔で、れいりを見上げた。

「猫みたいだし、甘いもの好きだし…それに、昨日からずっと泣いたり笑ったり忙しいし」

 れいりは少し、照れたように視線を逸らす。

甘猫あまねことか…どうかな」


 一瞬、沈黙が落ちた。

 少女は、その場で固まったまま、しばらく動かない。やがて、ゆっくりと口を開く。

「…それ、私の名前ですか?」

「うん。あだ名でもいいし、嫌なら別の考えるけど…」


「いいです!」

 思ったよりも強い声だった。

「すごく、いいです。番号じゃなくて、名前呼ばれるの…初めてなので」

 ぎゅっと胸元を押さえながら、甘猫は小さく息を吸う。


「…私、甘猫って名前、好きです」

 泣きそうになりながら、でも必死に笑おうとするその表情をみて、れいりは内心で小さくガッツポーズをした。


「じゃあ、今日から甘猫ね」

「はい!れいり様!」

 少し声が裏返っていたが、れいりはあえて何も言わなかった。


「まぁまぁ、落ち着けって…」

 お父さんがそう言って、甘猫をなだめる。だが、泣き止む気配はまったくない。

 しばらくして、れいりは思いついた。

「ほら、甘猫。星雫飴」


 差し出した、その瞬間だった。手のひらにあったはずの飴は、いつの間にか消えている。

 それから、甘猫の方を見ると、何かを食べている。もう、飴は少女の口の中だった。


「ありがとうございます。元気、出ました」

 ころっと表情を変えた甘猫に、れいりは思わず苦笑いする。


 * * *


 れいりとお父さんがシチューを食べ終えた頃…。

 甘猫は空になった皿を受け取り、キッチンへ運ぶ。

「じゃあ、僕はお母さんを起こしてくるよ」


 それだけ言い残し、お父さんは転移魔法で姿を消した。その隙に、れいりは甘猫に声をかける。

「ねぇ、甘猫ってサンクティア行ったことある?」

「サンクティアですか。名前は聞いたことがありますが、実際に行ったことは…ないですね」


「一緒に行かない?」

 その言葉に、洗い物をしていた甘猫の手が止まる。ゆっくり振り返り、少し考えるような間を置いてから答えた。

「本来なら、あまり推奨はできませんが…そうですね。れいり様のお願いとあらば、お供いたします」


 * * *


 ーそうして、一夜が明けた。

 翌朝ーー

 れいりと甘猫は、サンクティアに向かう準備をしていた。


「馬車の手配は、すでに済んでおります。ご準備は、整いましたでしょうか?」

 れいりは問題なかった。必要なものはすべて、収納魔法の中に入っている。

 しかし、問題は…どちらかといえば甘猫の方にある。


「…ちょっとは自分の心配した方が…?」

 甘猫の持つ鞄は、ぱんぱんに膨れ上がっている。今にも破裂しそうだというのに、本人はまだ何かを探している。


「なんで私の家に来た時は手ぶらだったのに、こんなに荷物が多いの…?」

 思わず、れいりはぼそっと呟く。

「れいり様のお世話に必要なものが、色々ありまして…」

 それから、甘猫は中を見回す。

「あっ、あとコップもーー」

 多分だけど、絶対いらないと思う。そう突っ込みたくなったが、今はそれどころではない。

「ねぇ、僕の可愛い娘ちゃん…。もう行っちゃうの?ねぇ…」

 隣には、犬のようにれいりを引き止めるお父さんが居た。


「うん、行ってくるよ」

 このやり取りをすでに何回繰り返したか覚えていない。

「甘猫、もう全部、収納魔法で入れるから…必要なもの全部持ってきて!」


 れいりがそう言うと、甘猫は両手いっぱいに荷物を抱えて戻ってきた。

「これで全部ですっ!」

 れいりはそれらを一気に収納魔法へ放り込み、甘猫はようやく軽くなった鞄を手に取る。


 それから、二人は馬車に乗り込んだ。

「れいりー!早く帰ってくるんだぞー!今日でもいいからなー!」

 …相変わらず、と言う感じだ。


 馬車の座席に腰を下ろすと、甘猫が不思議そうに首を傾げた。

「そういえば…本日はお母様をお見かけしませんでしたが…今日はどちらへ?」

「あぁ、それがね…昨日提出の論文、間に合わなかったみたいで…」


「…?」

「研究所送りってこと」

「研究所送り……お母様って、研究対象なんですか?」

「そうじゃなくって…ちゃんと論文書け、っていうお仕置き」


 甘猫は、少し間を置いてから静かに頷いた。


 ちなみに、研究所送りの刑以外にも「紅茶一週間禁止令」が下されているらしい。紅茶命のお母さんにとって、それは研究所送り以上に重い刑なのではないだろうか…。


 れいりはそんなことを考えながら、窓の外を眺めていた。それから甘猫とたわいもない話をしているうちに、ふと、れいりの中に一つの疑問が浮かぶ。


「…ねぇ。甘猫ってさ…」

 少し言葉を選びながら、口を開く。

「セイシスト教会のシスター養成所から、抜けてきたんだよね?」


 甘猫は一瞬だけ表情を曇らせ、それから小さく笑った。

「はい、ですので…正直に言えばサンクティアに入るのは、決して安全とは言えません…」

「…」

「状況次第では、拘束。最悪の場合…処刑、という判断が下される可能性もあります」

 淡々とした声で甘猫は言う。


 れいりは心配そうに甘猫を見つめた。

「それでも、私は大丈夫ですよ。れいり様のお傍にいられるなら…後悔はありません。それに、セイシスト教会は今、私一人を捕まえられるほどの余裕はないはずですから」


 ーーしばらくして。

 馬車が減速し、視界の先に街並みが現れる。

「…着いたみたいですね」

 甘猫の声に、れいりは顔を上げる。

 そこに広がっていたのは、セイシスト教会の街ーーサンクティアだった。


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