【第一章 - 16】都合の良い願い
「あら、帰ってきたのね…」
お母さんは、ちらりとお父さんを見る。
「あなたの分は作ってないけど…いいわよね…?」
その視線には、明らかに圧がこもっていた。
「も、もちろんだよ…。じゃ、じゃあ、僕は部屋に帰るから…」
お父さんは後ずさりし、そのまま部屋を出ていった。
「じゃあ、ご飯にしましょうか」
お母さんは軽く溜息をつき、キッチンから机へ料理を運ぶ。机に並べられた料理は、一般人ならまず言葉を失う見た目をしていた。
その名もーー冥府骸骨グラタン。
お母さんの得意料理である。見た目に関しては、骨という感じでそれ以外の感想は思い浮かばない。
「れいりちゃんは、お紅茶でいいかしら?」
料理を置き終えたお母さんは後ろを振り向き、れいりに尋ねた。
「今日は飲み物はいらないかな…」
れいりはスプーンを手に取り、グラタンをそっとすくって口に運ぶ。
相変わらず文句なしの味だ。とても美味しい。
まさに母の味というやつだろうか…。
お母さんは自分用の紅茶を机の上に置き、椅子に腰を下ろす。それから、カップから立ち上がる湯気を眺め、一口、静かにすすった。
それからしばらく…二人は食事をしながら他愛のない会話をした。就任式のあとに起きた出来事や、最近のことなどーー。
何か特別なことを話したわけではない。けれど、不思議と落ち着く時間だった。
やがて夕食を終えたころ、ふと、お母さんが口を開く。
「それにしても…セイシスト教会のこともそうだし、ルミナや子猫ちゃんのこと、これからどうするの?」
れいりは、正直なところ、そこまで深く考えてはいなかった。だが、ふと一つの案が浮かぶ。
「…一旦、セイシスト教会の都市にいこうかな」
サンクティアーー
それはルミナスタウンとセイシスト教会領のちょうど中間に位置する中都市だ。
信者の多い街ではあるが、観光地としても知られており、偵察目的で訪れてもそう目立つことはないだろう。
「あら、それは名案ね」
「明日は家でゆっくりしたいから…明後日くらいに行こうかな。善は急げって言うし」
「それは少し寂しいわね。じゃあ、明日はゆっくりしていきなさい」
「ありがとう」
そう返事をすると、れいりは使い終えた食器を魔法で台所へ運び、そのまま自分の部屋へ戻った。
部屋に入り、ふと違和感を覚える。
「…あれ?なにか忘れているような…」
しかし、思い出そうにも思い出せなかったので、れいりはそのまま部屋の椅子に腰かけ、チョーカーに付いた宝石へ、そっと手を伸ばした。
魔力を流し込むと、宝石が淡く光を帯びる。すると、先ほどと同じ画面が、空中に浮かび上がった。
試しに項目を眺めていると、ひとつ気になる表示が目に入る。
「…キークレディ?」
どうやら、データを保護するためのプライバシー設定らしい。少し考えてから、念のため有効にしておくことにした。
しばらく悩んだ末、れいりは自分が一番気に入っている魔法陣ー魔法陣複合術式における数値を、パスワードとして入力する。
パスワード設定を終えたところで、れいりは今日はもう休もうとベッドへ向かった。
ーーその途中で、れいりは気づく。
今、自分の布団でルミナが眠っているという事実を、すっかり忘れていたのだ。
普通なら、来客用の部屋で寝るという選択肢が浮かぶだろう。だが、れいりは環境の変化に弱く、あまり知らない場所でなかなか寝付けない。
就任式の日から、あまり疲れが取れていないのだ。
「今日こそ、お布団でぬくぬくしたかったのに…」
しかも、来客室はすでに満杯。これ以上、誰かが使える余地はない。
考えても答えは出ず、れいりはお母さんに相談することにした。
夜中でも、お母さんはたいてい研究室ーーもとい自室にいる。相変わらず、どこかお化けがでそうな廊下を進み、ドアノブに手をかけながら声をかける。
「私…どこで寝ればいい?」
部屋に入ると、予想通り、研究に没頭するお母さんの姿があった。
「相変わらず散らかしてる…」
そう呟き、れいりは無意識に魔法で部屋を片付け始めた。
「ルミナをこっちに移してくれれば、医務室で休ませてあげるわよ。さっき片付けておいたから…」
お母さんはこっちを振り返り、そう言った。
しかし、れいりは一度自室に戻るのが面倒になり、転送魔法を使う。
次の瞬間。
腕に「どしん」と、ずっしりした重みがのしかかる。
「…重い」
そして、先に魔法を使って持てば良かったと後悔する。そうしてルミナを医務室へ運び終え、れいりは自分の部屋へ戻った。
「はぁ…今日は疲れた」
れいりは布団にダイブする。本当はお風呂に入らないでそのまま寝たい所だったが、さすがにそれはマズイと自覚している。
結局、渋々済ませ、ようやく寝る準備が整った。
それから、布団に入ろうとした時…ふと、れいりはある話を思い出した。セイシスト教会には、毎晩、月に向かって祈りを捧げる風習があるという。
「今のルミナじゃ、できないし…」
意味がないことは分かっていたが、ルミナの代わりにでもなれば…とそう決めて、れいりは正座し、月を見上げる。
手を組み、短く祈った。
「…どうか、物事が上手くいきますように」
なんと都合の良い願いだろうか。
ーーそして、夜は静かに明ける。




