【第一章 - 14】部屋から出られない!
「あの子、これからどうするの?」
リビングへと向かう廊下ーーれいりはお母さんにそう尋ねた。
「行く当てもないのでしょう?」
「たぶんね…でも、この家に迎え入れるとなると…さすがに、広さが足りない…」
現実的な視点でそう返す。
「そうね…」
お母さんは少し考えるように間を置いてから、軽く微笑んだ。
「でも、きっと何とかなるわよ。運命が導いてくれるはず」
* * *
二人がリビングに戻ると、死人のような目をしたクローマが、ソファーに深く腰をかけていた。
そんな彼に、お母さんが声をかける。
「ところで、あなたはどうするの?」
「…もう、今日は散々でしたよ…」
クローマは力なく肩を落とす。
「恐らく、逃亡の身になるでしょうね。それも、これから一生」
クローマは、深いため息を吐く。なぜ、逃亡の身になるのか…それは目に見えた話だ。セイシスト教会の掟を破っている。ただそれだけ。
今はまだ、お母さんの対策のおかげで死は免れているだろう。
だが、この先セイシスト教会に見つかればーールミナと同じ運命を辿る可能性は、決して低くなかった。
「僕はもう大人ですし…そこら辺のしがない旅人のふりでもして、生計を立てていきましょうか…」
吐き捨てるような、諦めたような声色だ。
「しがない旅人のふりって、貴方そこまで強くないのだから、わざわざ装う必要はないんじゃない?」
皮肉だろうか…お母さんは、クローマの実力を知らないまま、あっさりと言い切った。
「ひどいですね!僕、これでも魔術検定一級なんですけど!」
魔術検定ーー(魔法使い検定)
それは、この国における魔術師の実力を示す公式な階級制度だ。
一級ともなれば、試験に三大賢者が立ち会うこともあり、該当者は全体でも数十名ほどしか存在しない。
つまり、一級は三大賢者に次ぐほどの実力者であり、街一つを守ることも可能な水準だ。
「お母さんは、三大賢者歴もう五十年近いでしょ?クローマが試験を受けたとき、参加してたんじゃないの?」
れいりの問いかけに、お母さんは困った顔をする。
「うーん…確かにそのはずなのだけど、どうにも記憶にないのよね」
「当たり前ですよ。僕はセイシスト教会からの推薦枠で合格しましたから…」
確かに、セイシスト協会には魔術師検定一級の推薦枠がある。納得できる答えだ。
すると、クローマはソファーから立ち上がり、大きく背伸びをした。
「では、僕はこれで…。今日はルミナスタウンの宿にでも泊まります。また、どこかで会えること願っていますよ」
その言葉を最後に、次に目を開けた時にはクローマの姿は無かった。
「あら…まだ説教が終わっていないのだけれど…。まぁいいわ、お夕飯にしましょう」
お母さんはそう呟き、何事もなかったかのように台所へ向かう。
「れいりちゃん。私の部屋にある論文、取ってきてくれる?明日提出なの、すっかり忘れてて…」
れいりは、頷いてからリビングを出る。廊下を歩きながら、れいりは小さく息を吐く。
この季節の夜の廊下は、どうにも落ち着かない。ランプは点いているのに、どこか影が濃くてーー
〈…別に、お化けとか信じてないけど)
そう自分に言い聞かせながら、れいりはお母さんの部屋の扉を開け、論文を探し始めた。
お母さんの部屋は決して綺麗とは言えない。床には大量の論文が散らばり、足の踏み場も殆ど無い。部屋の奥には、お母さんが集めている謎の魔道具が雑然と積み上げられていた。
人のことは言えないが、いつも良くこの部屋で生活できるなと思う。
「ふぅ、さぶい…」
日が墜ちるのが一番早い凍墜の季は、やはり冷える。ランプを手にしてるとはいえ、夜の静けさと相まって、体がわずかに震えた。
「…あっ」
そこで、ふと気づく。
「そうだよ。お母さんの論文って…どの論文だ?」
肝心なことを聞き忘れていた。れいりはお母さんに聞くために部屋を出ようと、ドアノブに手をかける。
ーーその瞬間、違和感が走った。
「あれ…?」
ドアが、動かない。れいりは思わずドアを押し、引き、そして拳で軽く叩く。
しかし、外から返事はない。
それもそのはず。お母さんの部屋はリビングからかなり離れている。
この程度の音が届くはずもなかった。
「ど…ど、どうしよう…」
焦りで思考が一気に白くなる。
(だめだ。こういう時こそ、落ち着かなきゃいけない…)
れいりは深く息を吸い、ランプを床に置いた。そして、散乱していた論文をを魔法で片付け始める。その最中、ふと一枚の論文に目が留まった。
「『記憶封印術式の応用』…?」
視線を落とすと、そこにはこう記されていた。
強いトラウマ体験による精神崩壊、過呼吸、錯乱を一時的に制御するーー。
興味を引かれたれいりは、そのまま論文を読み進める。
だがー難しい。書かれているのはすべて古代魔術式、そのうえ帝国東側特有の形式で書かれていた。
読めないわけではないが、一目で理解できる代物ではない。
例えるなら、「雨」と「飴」。音は同じでも、意味はまったく違う。
ーーいや、本当はそんな単純な話ではない。実際は、その百倍はややこしい。




