【第一章 - 12 後半】紅茶理論
「…それで、どこが堕ちるの由来なの?」
れいりは腕を組み、首をかしげた。
「正直、まだピンと来なくって…」
「まず…〈ヘリオス〉という言葉、ご存じですか?」
クローマが、少し声の調子を整えて問いかける。
「帝国西部の呼び名で…こっちでいう『太陽』のことだよね?」
「はい、その通りです」
「あっ…分かった!孤児院〈ヘリオス〉ーーつまり、太陽が堕ちた出来事が、この季節だったってこと?」
「おっしゃる通りです」
「…でも」
れいりは、ふと眉をひそめる。
「孤児院の警備、甘すぎない?こんなに簡単に侵入されてるの?」
クローマは一瞬だけ言葉に詰まり、やがて空中に図を浮かび上がらせた。
それを見たれいりは目を見開く。
「どうかされましたか?」
「いや…その」
れいりは目を輝かせる。
「当たり前みたいに空中に図を出してるけど…これ、何が起きてるの?」
賢者という称号を持ちながら、知らない。その事実に、れいり自身が一番戸惑っていた。
「これですか?」
クローマは一瞬きょとんとしー次の瞬間、顔色を変えた。
「…え。れいり様でも知らない?え、これ外に出回ってない技術だったんです…?」
急に焦り始めるクローマ。
「ま、まぁ…」
クローマは苦笑いして肩をすくめる。
「今日でもう、セイシスト教会の掟をいくつも破ってますし…これくらい、誤差ですよ」
「いや、誤差じゃない」
れいりは即座に突っ込んだ。
「大 問 題」
「まぁまぁ」
クローマは軽く手を振りながら言う。
「少しだけ、チョーカーを貸してください」
「…え?」
その言葉を理解するより早く、クローマの手が、れいりの首元へと伸びる。
次の瞬間ーー
チョーカー中央のクローバー型の宝石が、淡く光を放ちはじめた。
一体、何が起きているのか全然理解が追いつかない。
「その宝石に少し魔力をこめてみてください」
クローマに言われるがまま、れいりは宝石に手を当てて、わずかに魔力を流し込んだ。
すると、空中に淡い光が揺らめき、文字が浮かび上がる。
文字にそっと触れた途端、表示が切り替わり、名前や識別情報らしき項目が空中に並んだ。
「なにこれ…」
「さすがに個人情報は、ここでは入力しなくても大丈夫です」
クローマは苦笑いしながら続ける。
「魔力を込めれば、いつでも起動できます。時間がある時にでも設定してください」
れいりは表示を眺めながら考え込む。
「魔力の粒子を光らせて、空中に情報を投影してるって原理か…よく使われる技法だね。でも、この図…一体どこからデータを引き出しているの?」
れいりは一瞬、目を細める。
「もしかして、思考そのものを図式化してるとか…」
「それは、僕にも分かりません…正直、こっちが聞きたいくらいですよ」
クローマは肩をすくめたあと、思い出したように言った。
「あ、そうだ。この図、れいり様の方にも共有しておきますね。設定が終わればいつでも開けるようになるはずです」
「なーに、面白そうな話をしているの?」
横から声がかかった。
振り向くと、そこにはお母さんと、例の少女が…。
「さっきは…ごめんなさい…」
少女はそう言った途端、ぽろぽろと涙をこぼし始める。
「あらまぁ、…困ったわね…」
お母さんは少し考えてから、ぱっと表情を明るくした。
「そうだわ! こういう時は…カモミールティーなんてどうかしら?」
お母さんは、そそくさと台所へと向かった。
れいりは内心「こういう時こそ、魔法で全部済ませればいいのに…」と思った。でも、口には出さなかった、なぜならーーそんなことを言ったら、一体何が起こるのか、れいりには想像がついたからだ。
「れいりのお母様…あれ、名前なんでしたっけ?…とにかく。こういう時こそ、魔法で用意した方が合理的では?」
クローマの発言は一見、何の問題もないように見える。むしろ正論ですらある。
だがーーお母さんには、ある厄介な理論が存在していた。
紅茶理論
その一。
紅茶は人の鏡である。
選ぶ茶葉の種類によって、その人の性格がじんわりと滲み出る。
その二。
淹れ方には性格がでるものだ。
抽出時間、所作、丁寧さー全てに性格が滲み出る。
その三。
自分の紅茶は自分のお好みに、お出しするお茶は、相手の性格や感情の疲れを見て淹れるべし。
つまり、今の発言は、紅茶理論・その三を真正面から否定する行為である。
無駄な思考を浪費していることに、れいりは心の中でため息をついた。そして、心の底から応援する。
「あら、今…なんて?」
台所の方から、お母さんの声が飛んでくる。
「私には、紅茶へのこだわりがあるの。あなたには分からないでしょうけど…紅茶理論、聞きたい?」
「はい!?」
クローマは驚きすぎて、完全に裏返った声を出してしまった。
「紅茶理論、耳に胼胝ができるまで聞かせてあげる」
にこやかな笑顔でお母さんは言った。
「紅茶理論っていうのはーー」
(以下、省略)
その頃、少女はというと。お母さんの迫力に完全に気圧され、さらに泣き出してしまっていた。
「あぁ、ど、どうしよう…大丈夫?子猫ちゃん」
れいりが必死に少女を宥めようとしているその横で、お母さんは相変わらずクローマに紅茶理論を語り続けている。
このままではまずい。
半ばパニックになりながら、咄嗟に少女を抱きかかえると、そのまま部屋を飛び出し、自分の部屋の隣にある来客用の個室へと駆け込む。




