【第一章 - 11】魔力中毒症状
「だから私は、ただの通りすがりの者で…」
「じゃあ、その胸元にあるブローチは何…?セイシスト教会上層部のマーク。何か、他にも隠してる事あるんでしょ…?」
「それは…」
お母さんはこっちの方へと近づいてきて、ルミナのおでこにそっと手を触れた。
ーーその時だった。
お母さんの顔色がぐっと悪くなる。
「これは…重度の魔力中毒症状ね。今すぐ治療しないと…れいり、部屋使っても良い?」
ーー魔力中毒症状
それは命すらも脅かす、とても危険な症状だ。
正直、散らかり放題の部屋を他人にあまり見られるのは気が引けた。
しかし、今はそんなことを考えている状況ではない。れいりは迷わず頷く。
(最悪、魔法で記憶を改変してしまえば…)なんて、れいりの物騒な思考を見透かしたように、お母さんは楽しげに目を細めた。
「なーに、そんなに気にしなくても良いのよ?」
れいりはすっとぼける。
「べ、別に気にしてないし…」
「…なんの話です?」
横槍を入れるかのようなその発言に、れいりは男の方を無言で睨みつけた。
その視線が効いたのか、男はゆっくりと後退する。
* * *
れいりの部屋に着くと、お母さんは手早くベッドの上を整え、ルミナを寝かせた。
「これは…魔道具で何とかするしかないわね。しばらくの間は寝かせておくしかない。容体が大きく変わらなければ、あと三日といったところかしら?」
その言葉を聞いて、男は何か言いたげな、困った表情でこちらを見つめる。
「地下から魔道具取ってくるわ。ちょっと待っててちょうだい」
そう言い残し、お母さんは地下室へ向かおうと階段を下りていった。
部屋に二人になったところで、れいりは男に尋ねる。
「何か問題でもあった?」
「その…結構、大きな問題がありまして…」
男は言いにくそうに続ける。
「この呪い、魔道具が効かないんです…」
「…へ?」
れいりは思わず耳を疑った。
魔道具の効果が発動されない呪いなんて聞いたことが無い。だからこそ、魔道具は今まで神具のような扱いを受けてきたのだ。
そんな好奇心を押さえつつ、れいりは冷静に考えを巡らせる。
「それだったら…魔道具以外なら、効くってこと?」
「いいえ。大抵ダメです…魔力を使うもの全般が、ですね」
この話を聞いて心のそこから安心を覚えた。
やはり、この男を連れてきたのは正解だった。もし、一人で連れて帰ってきていたら重大事態になっていたかもしれない。
「じゃあ、どうしたらいいの?」
そう言ったところで、階段を上がる足音が聞こえてきた。お母さんが地下から戻ってきたのだ。
その直後、男がれいりの耳元で切羽詰まった声で囁いた。
「…ごめんなさい、れいり様。今は、どうか私に合わせてくださいませ。一生のお願いです」
れいりは一瞬戸惑った。
だが「一生のお願い」というほどなのだから、よほど重要なことなのだろう。
…そう判断して、れいりは小さく頷いた。
「あらあら…そんなに仲良く話してるなんて。ついに、れいりちゃんにもお友達が出来たのね?」
こんなすんなり言っているが、皮肉な発言である。
「い、いえ…部屋に並べられている論文。どれも本当に素晴らしくて…」
男は、やけに丁寧な口調で続ける。
「れいり様に、どういった内容のものなのか、直々に伺っていた次第でございます」
「あら!そうだったのね。あなたの目の付けどころがいいじゃない?れいりちゃんの凄さが分かっちゃうだなんて…」
親バカはこれまでに見たことがないほどの表情で、「にぱっ」と満面の笑みを浮かべた。
「はい、れいり様の研究論文は全て拝読しております。特に魔法陣複合に関する論文は、非常に印象に残っておりまして…」
れいりは少し驚いた。
それも無理はない。なにせ三大賢者の中でも、れいりの研究分野ーー魔法陣研究のファンは極端に少ない。
そもそも、れいりが得意とする『魔法陣』は、魔法の中でもかなりマニアックな分野の技法だ。
論文を最後まで理解できる人自体が、限られてくる。
するとお母さんは、持ってきた箱の中から魔道具を取り出した。
見た目はブローチのようで、真ん中にアクア色の魔石が埋め込まれている。
「じゃじゃーん!これが、魔力中毒症状を治すための魔道具よ!」
そう言って、お母さんはれいりと男に向けて、それを掲げてみせた。
「お母さん…別に、キャラ変えなくても…」
れいりは、呆れたように呟く。
お母さんは、昔からこういう癖があるのだ。
「あら、ごめんなさい。つい…」
この魔道具は対象者の魔力を吸収する性質を持ち、主にルミナのような魔力中毒者の治療に用いられる。いわば医療用魔道具だ。
お母さんは、ルミナが付けていたブローチをサイドテーブルに置き、同じ場所に新しく治療用の魔道具をつける。それからしばらくルミナのおでこに手を当て続けた。
ーーが。
お母さんは腕を組み、首をかしげる。
「あら…?おかしいわね。全然、魔力を吸ってくれないのだけど…。壊れちゃったのかしら?」
その言葉に、男が明らかに動揺した様子でこちらを見る。お母さんにバレないとでも思っていたのだろうか。
こんな細工、一般人ならともかく、三大賢者が見抜けないわけない。
「…うーん。やっぱり貴方、何か隠してるわよね…?」
お母さんは振り返り、男の顔をまじまじと見つめる。
男は「ヤベッ」とばかりに踵を返し、逃げ出そうとしたーーその瞬間。
お母さんが指をひゅいっとあげた。
男の身体が、まるで首を掴まれたかのように宙に浮く。この時、男の『一生のお願い』が砕け散った。
「じゃあ…ゆっくり、リビングでお話…しましょうか」
お母さんは両手を合わせ、どこか狂気じみた笑顔で男に告げる。
「だから…キャラ変えなくて良いって…」
「あら!ごめんね、れいりちゃん。でも今は良いでしょ?」
「ダメ」
お母さんにこういう癖がついたのには、ちゃんとした理由がある。
それは、お母さんがまだ学生だった頃。今から、ざっと百年ほど前の話だ。
当時のお母さんは、おっとりとして温厚な性格だったため、周囲から軽く扱われることが多かった。
嫌なことがあっても、真面目に話をして…だが相手が聞いてくれるなんてことは殆どない。
そこで、今みたいにキャラを変えてみた。すると、思いのほか大成功。
「こうすれば舐められない!それに、ちゃんと話を聞いてもらえる!」
そう学習した結果、こんな少し変わった癖が身についてしまったのだ。
しかし、普通に怖いので。れいりはずっと釘を刺していた。
「分かったわ…あとは、れいりちゃんに任せるわね…」
なんとか鎮火しかけたお母さんに、男は完全に余計な一言を放った。
「あの…そろそろ降ろしてくれません?首が、ちょっと痛いんですけど…」
「あら?あなた…今、なんて…?」
「な、なにも言ってないです⁉」
「あら、それなら良いのだけど…」
母さんは、男を魔法で宙に浮かせたまま階段を下り、リビングへと向かった。
リビングのソファーに腰を下ろしたところで、ようやく魔法が解除される。
「ほら、そこ座りなさい」
お母さんは、机を挟んだ向かい側のソファーに目配せした。
言われるがまま男は腰を下ろし、れいりもお母さんの隣に座る。
「まぁ…聞きたいことは山ほどあるのだけれど。まず貴方、名前はなんて言うのかしら?」
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕の名前はクローマ。セイシスト教会の者です」
軽くお辞儀をしてそう答えた。
「あら、クローマ。良い名前ね」
お母さんは微笑む。
「それでは本題に入りましょうか…」
お母さんは、静かに視線を向ける。
「何故、ルミナはあのような状態になっているのか…あなたは知っているのよね」
「…知りません」
クローマは、短くそう答えた。
「あら、そうなの?その胸元の紋章…私の記憶が正しければセイシスト教会の司祭である証だったはずなのだけれど…」
クローマは一瞬、焦ったような表情を見せたが、すぐに平静を装った。
「随分とお詳しいようで…。しかしながら、本当に分からないのです」
「じゃあーー」
お母さんは、すこしだけ声の調子を変える。
「先ほどから、私がスキルを使っていることに気づいているかしら?」
クローマははっとした後、みるみるうちに顔色を失っていった。
「さっきから分からない、分からないって言っているけれど…。それ、本当に分からないのかしら?」
これはつまり「嘘をついているのはとっくに分かってるんだから早く正直に答えなさい」と、そういうことだ。
嘘鑑定スキルの前では、どんな誤魔化しも通用しない。
「…いや、で…でも…」
クローマは拳を握りしめ、うつむいたまま動かない。
その表情は、悔しさと苦しさが入り混じったようにも見えた。
その様子を見て、れいりは重大なことを失念していた。
れいりは自分の首に掛けていたブローチを外し、遠隔魔法でサイドテーブルに置かれたルミナのブローチを転送した。
「これ、セイシスト教会の検問所で貰ったんだ。ただ、渡された時、一瞬だけ魔力が見えたんだ」
「あら、そうなの?それは…とても興味深いわね。ちょっと、貸してくれる?」
お母さんはれいりからそのブローチを手に取った。
ーーその時。
お母さんの呼吸が、わずかに乱れる。それから、そのペンダントを良く見つめてから指を「パチン」と鳴らした。
「これで、大丈夫なはず…」
「どうかしたの?」
まだ少し息が荒いお母さんが気になり、れいりは尋ねる。
「どうかしたの?じゃないわよ⁉れいりちゃん…」
お母さんは、震える声で続ける。
「ブローチから魔力が見えた理由…おそらく、盗聴魔法と位置情報共有魔法の複合が仕込まれていたからだと思うわ」
「って事は…もしかして…私達の家、バレた…?」
「だから、もっと慎重に行動しなさいって、いつも言ってるでしょ?」
れいりは思わず視線をそらす。
お母さんは小さくため息をつき、口を開く。
「まぁ…いいわ。家の場所がバレたところで、三大賢者が二人もいる家に、わざわざ近づいてくる物好きはいないでしょうし…」
「じゃあ、これでもう話せるわよね?クローマ君?」
乱れた息が、元に戻り始めた頃、お母さんはそう言った。
「…いいえ。まだ…」
お母さんは「あら?」と小さく声を上げ、クローマの胸元に付いているブローチを手に取ると、指を「パチン」と鳴らした。
「これで、もう大丈夫なはず…まだ他にも仕掛けがあるのかしら?本当厄介ね…」
「ちょっと待ってください!ブローチの魔法を解除されては困りますよ」
「心配しなくても大丈夫よ?ほんの少し、細工をしただけだもの」
「…細工とは?はっきり言ってもらわないと話せません」
「そうねぇ…」
お母さんは少し考えるように目を伏せてから、あっさりと言った。
「位置情報をちょちょっと書き換えて、それから盗聴魔法の術式も少しだけ変更したの。セイシスト教会側には、全部都合の良い言葉に聞こえるように、ね?」
クローマは一瞬目を見開き、そしてほっとしたように肩の力を抜いた。
「…分かりました。大した話ではありませんがーー」
そう言って、クローマは、先ほどお母さんが机の上に置いたルミナのブローチを手に取る。
「先ほどれいり様にはお伝えしましたが…このブローチには、遠隔で呪いを発動させる術式が組み込まれています」
「それで?」
お母さんが促す。
「ルミナには、どんな呪いがかけられていたの?」
お母さんは、足を組み、先ほどから遠隔魔法で温めていた紅茶をティーカップに注ぎ、机のうえに置いた。
「簡潔に言えば…記憶を失わせる呪いです」
「手段としては、魔力中毒を意図的に引き起こすことで成立させています。もっとも、魔法を用いていますから。呪いではなく魔法に分類してもいいでしょう」
「では、なぜ魔道具を使っても効果がなかったの」
お母さんは紅茶にジャムを落とし、スプーンでくるくるとかき混ぜる。
「効果は、ありますよ。ただし、前提としてーー魔力中毒を引き起こす仕組みをご存じですよね?」
別に、魔力中毒を引き起こす専用の魔法が存在している訳ではない。
これは、魔法の使い方を誤ることで起きる現象に過ぎない。
よく、代表的に取り上げられるのは回復魔法だろうか。
回復魔法は、病や怪我を治すためのものだが、使い方を誤れば、逆に身体へ深刻な負担を与える。
ーー過剰摂取。
魔法は魔力を消費することで使用できる。しかし、魔力というのは良い面も持ち合わせながら『高濃度魔力災害』を引き起こさせるような、扱いの難しい物質である。
魔力は人類にとって毒でもある。体内に存在する魔力が一定数を超えると魔力中毒症状を発症するのだ。
「回復効果が非常に強くなるよう調整されていて…結果として、魔力の過剰摂取を意図的に引き起こす構造になっています」
「あら…」
お母さんは納得したように頷く。
「つまり、あのブローチに仕組まれていた呪いは過剰量の回復魔法を放ち続ける。そして、こちらの魔道具は体内の魔力を大量に吸い取る…」
「プラスとマイナスで、結果的に相殺されていた、というわけね?」
そう言って、お母さんは紅茶を一口すする。
それから、まだ紅茶が少し苦かったのか、今度は角砂糖を落とした。
「はい。少なくとも、これ以上症状が進行することはありません」
「なるほど…」
れいりはほっと息をついた。
「じゃあ、この件が解決するまで、ここでルミナの看病をしてもいい?」
「れいりちゃんのお願いだもの。もちろんよ」
そう答えたあと、お母さんはふと視線を上げた。
「ところで…お客さんが来ているみたいだけど。誰かしら?」
そう言って、お母さんはソファーから立ち上がった。
「お客さん?」
「えぇ、家のすぐ近くに魔力反応があるのよ。普段この辺は人が滅多に立ち寄らないし…きっと、お客さんだと思うのだけれど」
「もしかしたら、セイシスト教会の追っ手かもしれないよ?」
「大丈夫よ?」
お母さんは落ち着いた声で続ける。
「だって、子猫ちゃんだもの。それに、追ってだったらもっと組織的に来るはずよ」
「…確かに」
れいりはそう呟き、ソファーを立ち上がって玄関へ向かった。




