第13話 『仕返し』のカルテ
そう言って、イヴォンヌは強引に革張りのファイルをクロードへと押しやる。
革張りのファイル表紙を開けば、情緒も何もなく、クロードには見慣れた文字が踊る書類が挟まっていた。
「病理解剖カルテ? こんなもの、僕が見て何かが変わるわけでもないだろうに」
いいから見ろ、とばかりにイヴォンヌの目が険しく、クロードはそれ以上抗弁しなかった。 仕方なく、カルテに書かれている内容へ目を通す。
(対象は男性、三十代。手足の打撲痕、浮腫、内臓の損傷は……目立つのは肝硬変か。全身の皮膚に赤み。直接の死因は心臓発作とされているが)
文字だけでなく、ページをめくれば、なかなか写実的な死体の鉛筆スケッチも添えられていた。
顔から足先まで、全身のむくみは不自然なほどひどく、随分と不健康な生活を送っていたようだ。特に腹部は異常で、おそらく肝硬変由来の腹水が相当溜まっていた。にもかかわらず、適切な治療がなされたかどうかはここに記載されていない。
死体のスケッチを描いた画家は、これほど具体的に打撲痕を残せと指示されたのかどうかは分からないが、一種執着的なほど死体の皮膚の模様として写し取っていた。
そのおかげで、クロードは彼の死因が単純なものではない、と察することができた。
「どう?」
「君の手元にきちんとしたカルテがあるということは、彼は生前、高い身分だったんだろう?」
「まあそうね」
「なら、心臓発作は表向きの死因だ。誤魔化すときにはちょうどいい。これだけ特徴的な長期間の飲酒がたたった人間なら、薬を盛られたって暗殺と自然死の区別がつかない」
そのくらいなら、ちょっと目端の利いた医学部の学生でも分かることだ。
しかし、この案件の最大の問題は、観察者が言うべきことと言うべきでないことの区別が付くかどうか、だ。
「ただ、もし彼が生前王侯貴族だったにしては妙に打撲痕が多い。確実に世話人や医師が近くにいるだろうに、これほど暴れてとなると、事故死、あるいは」
別の可能性は、クロードも易々と口にはしない。
ジルヴェイグ大皇国でも、王侯貴族の暗殺事件など日常茶飯事だ。検死を専門とする法医学者の需要は引きも切らない。おかげで自分は飯の種にありつけている、という不謹慎なジョークが漏れそうになるくらいには、クロードもその恩恵を受けて身を立てていた。
それゆえに、引き際はわきまえている。イヴォンヌが答えられない質問をすれば、この話は終わる、と。
クロードはファイルを閉じ、イヴォンヌへと突き返す。
「イヴ、一応聞いておこうか。これは一体、誰のカルテだ?」
案の定、イヴォンヌは答えなかった。ファイルを受け取り、さらっと流す。
「ご苦労様。貴重なご意見をありがとう」
クロードはそれ以上追及しなかった。すべきではない、と勘が告げていた。
互いにコップに口をつけ、沈黙がしばし続く。
涼しい顔をしたイヴォンヌは茶を一杯飲み終えてから、軽く手を叩く。
「まあ、話せることは大体話したから、もういいでしょう。アーニー、似合わない探偵ごっこはさっさと切り上げたほうが身のためよ」
「そうだな、僕もそう思うよ、奇遇だな」
「ふん、貴族の争いなんてあなたが一番嫌いでしょうに」
よくご存知で、とクロードは小声で皮肉に返したが、イヴォンヌは嬉しいのかニヤニヤと笑っているだけだ。
ティーカップと茶で口を塞ぎ、喋らなくていい間を作って、クロードは別のことを思案する。ドゥ夫人と今のカルテについては、今考えてもまとまらないだろうからさておき——『行方不明のクラリッサ嬢』事件でのある一幕について、改めて考えてみてもやはりおかしな点があった。
(そう、そこも不可解なんだ。当時、第二皇女キルステンがクラリッサ嬢を貶めるために使った理由が、『ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは、実は隣国ジルヴェイグ大皇国で反乱を起こそうとしたポーラウェーズ伯爵の遺児である』という主張だが)
証拠もなく、ただの風聞でそう主張したのだろう、というのが現在大方の見解ではあるが、それにしても妙だった。
(果たして、それは事実か? ポーラウェーズ伯爵家というのは……元皇国貴族の僕だってその存在が偽りだと分かるぞ?)
なのに、第二皇女キルステンがそれを知らないことなどありえるだろうか?
そんな不確かなことで他国を揺るがせにした時点で、第二皇女キルステンの罪は重い。事実かどうかではなく、貴族は疑いを持たれること、それを払拭できないことが最大の醜聞なのだから。
すでに昔の話とはいえ、ジルヴェイグ大皇国の上流階級であれば嘘だと見抜けるということを、誰もが今も無視して、確かめようともせず、ヴェルセット公爵でさえも対策していない。
それとも、もうどうでもいいことなのだろうか?
他に、明確な答えを出さない何か理由があるのか?
それをイヴォンヌとアルキスに尋ねても、答えが出ないことは分かりきっている。
クロードは疑問の数々を一旦胸の裡にしまい、その後はイヴォンヌのご機嫌取りがてらしばし雑談して、夕食前にはお開きになった。
次の日には王城へとトンボ帰りするというイヴォンヌとアルキスは、それ以上クロードの味方にはならないだろう。だが、今のクロードならば次の手が打てる。
宿の食堂で夕食もそこそこに切り上げ、クロードは手持ちの中で一番質のいい封筒と便箋を使って、手紙を書きはじめた。




