第12話 ドゥ夫人とは?
イヴォンヌは誤魔化すように立ち上がる。
「嫌になってきた。アルキスさん、私の代わりに話してやってちょうだい。下の食堂でお茶をもらってくるわ」
「分かりました。お早いお帰りを」
アルキスは年下のイヴォンヌを礼儀正しく送り出し、部屋の扉は盛大に叩き閉められた。
イヴォンヌは決して悪人ではないのだが、少し、いやだいぶ、気が強いところがある。そうでなくては今の世の中で女性が多数派の男性相手に立ち向かうことはできないだろうが、それにしても気性が荒いのは本人も否定しないだろう。
部屋に男性二人で取り残され、クロードは立ったままのアルキスへ不器用な愛想笑いを投げかけた。
「大変ですね、護衛という名のお目付け役も」
王族の病歴など、王城内の個人情報を握る宮廷女医イヴォンヌは、この国の重要人物の一員だ。護衛の一人も付けなければならない——それは建前で、アルキスの本当の役目はお目付け役だろう。イアムス王国にとって不利益な発言をしないように、外国へイアムス王国の機密情報を漏らさないように、そんなところだとクロードは見ていた。
アルキスがふっと渋く笑い、こんなことを言い出すまでは。
「そうとも限りません。おかげで王都を脱出できました」
「へえ」
「Dr.セージライトもまた、私のお目付け役だということです」
真面目そうな武官の、意外な発言だった。アルキスは懐から封書を取り出し、クロードに手渡す。
「これを。ヴェルセット公爵家に繋がる伝手です、あとはお任せします」
「……なるほど、重大な任務だ」
「はい。そのメモの差出人は、ドゥ夫人です」
これもまたクロードにとっては意外どころの話ではなく、結局はドゥ夫人についての話にきちんと軌道修正された。
ドゥ夫人からの情報提供でヴェルセット公爵家への伝手を手に入れる。もしこれが本物だとすれば、とんでもないことになったものだ。
クロードは素早く封書をボロ鞄に隠し、イヴォンヌには決して見つからないよう、表情筋を両手でほぐしておいた。
王城からの情報源が二人、宮廷女医イヴォンヌとドゥ夫人が背後にいる王宮付武官アルキス、求めれば応えられるように、クロードは『行方不明のクラリッサ嬢』事件の渦中へ——引き返すことのできない場所へと、これから飛び込むことになる。
「僕について、すでにドゥ夫人は何らかの手段を用いて知っていた、というのは恐ろしいですね」
「そうでしょうか。あの方ならばやりかねない、と私などは思ってしまいました」
アルキスのその一言で、有能なドゥ夫人がいかにこのイアムス王国を掌握しきっているかが分かる。
だからこそ、王都にいながら、ドゥ夫人はロロベスキ侯爵夫人に招かれたクロードをも盤上の駒にしてしまえるだろう。何なら、ロロベスキ侯爵夫人も最初から手駒なのではないかと勘繰ってしまうが、そのあたりは疑いだせばキリがない。
「あなたとDr.セージライトとのお話についても、形だけの監視と思ってください。互いに立場があるのです」
「でしょうね」
「そして」
一拍置いて、アルキスは固い表情のまま、こう言い放った。
「これから先、あなたはイアムス王国の大変革に否応なく巻き込まれてしまうでしょう。どうか、お気を確かに」
しばらくして、宿の階段を上がってくる足音が部屋まで聞こえてきた。
戻ってきたイヴォンヌだ。アルキスから話を聞き終えたクロードがすっかり頭を抱えている姿を見て、大ぶりのティーポットを手に帰ってきたイヴォンヌは上機嫌になった。
「あら? 珍しいわね、アーニー。あなたが頭を抱えるなんて。涼しい顔して満点を量産していたあのころには見られなかった光景だわ」
「楽しそうだな、イヴ」
「ええ、あなたの苦しむさまを見るのは楽しいわ!」
「それはとてもいいご趣味だ。世間様には知らせられない」
クロードの皮肉など聞き流すほどに、イヴォンヌは満面の笑顔だ。これにはアルキスも苦笑いをしている。
部屋に備え付けのティーセットからカップを三つ持ってきて、小さなテーブルで茶を注ぎながらイヴォンヌは自分のいない間に何があったのかを尋ねた。
「で、何があったの? よっぽど面白い話でもしたの?」
「ドゥ夫人について軽くお話ししたところ、頭を抱えられました」
「ふぅん」
「イヴ、君はよく今も宮仕えを続けられるな?」
「もちろんよ。他に平民で女の医師を雇ってくれるところがある? 宮廷医はまだいいほうよ、産婆扱いよりはね」
それはそうだが、クロードは口ごもる。
何だかんだとクロードは、医師にもならないのに大学に残ることを許された身分だ。もしイヴォンヌであれば、そうはいかなかっただろう。さっさと結婚しろだの、貴族の女性に雇われる傍付きの医師になれだのと言われ、好き勝手にはできなかったはずだ。
イヴォンヌほどの才媛であっても男性と同じような栄達の道はほとんど閉ざされているのだから、この世の理不尽さ不公平さは、クロードに利している。それがどうにも居心地が悪い。
その風潮で言えば、ドゥ夫人もまた、イヴォンヌと同じく男性優位の社会で権力者として栄達の道を進む女傑だ。それも、国政を左右するほどの地位にあり——決して、国王の愛人という立場だけで得たものではないだろう。
アルキスを頭から疑うわけではないが、クロードは確認のためにイヴォンヌにもドゥ夫人について聞いておくことにした。
「確認するが、ドゥ夫人は……国王の公妾で、第二王子と第三王子の実母。少なくとも、公式発表ではそうなっている」
「ええ、私は第三王子を出産されたときに立ち会ったからよく知っているわ。第二王子については、『隠された王子』だった噂くらいしか知らないけれど」
「それは第一王子のデルバートがいたからだろう。だが、彼が失脚してからは公に姿を見せられるようになった」
「きっとそうでしょうね。正室である王妃を早くに亡くされていた国王陛下は、ドゥ夫人と関係を持っていたもののデルバート王子の手前、大っぴらにはできなかった。けれど、『行方不明のクラリッサ嬢』事件以降は立場が逆転、ドゥ夫人は失意の国王陛下を会議場における政治面でも支えるようになった」
まあそんなところでしょうね、とイヴォンヌは自分の立場を付け加えることを忘れない。
『行方不明のクラリッサ嬢』事件について、イヴォンヌは当事者ではない。それは発生当時も、白骨死体発見当時も、だ。だから、推測も多分に含まれていて、確実だと言うことはないが……まずもって、そうそう間違ってはいないだろう。
何にせよ、クロードはまた頭を抱えた。
「ああ、嫌だ嫌だ。僕はそういう俗な話が嫌いなんだ。色恋沙汰で刃傷沙汰の死体なんか飽きるほど検死してきたんだからもういいじゃないか。くそ、どうしてこうも世界はどうでもいいことばかりで争っているんだ!」
「お気の毒さま、もうあなた、出家して僧侶にでもなったら?」
「僕はああいうインチキな手合いを論破しすぎて嫌われているから無理だよ」
「身から出た錆じゃない。あなたの性分じゃ歩くだけで敵が湧いてくるでしょうし」
「放っておいてくれ。そんなことより、なぜデルバート王子は廃嫡されていないんだ?」
デルバート、廃嫡。その言葉に、イヴォンヌとアルキスが反応した。
イアムス王国は、公式にはいまだに誰も国王の後継者たる王太子がいない。王子が三人もいながら、立太子されていないのだ。
「ドゥ夫人が聞いた話のとおりの人物なら、デルバート王子の存在は邪魔でしかない。国王をそそのかすなり、冤罪を付けるなりして継承権を奪ったほうが安全だ。もちろん、イアムス王国の将来を考えてもそのほうがいいだろう。なのに、摂政のごとく振る舞うまでに成り上がった女傑は、なぜ邪魔なデルバート王子を十年以上も離宮に監禁して放置しているんだ? 自然死を待っているとか、そういうことか?」
アルキスはまるで「それは自分に答えられることではない」とばかりにだんまりで、イヴォンヌが仕方なさげに答えた。
「それに関しては、私は何も知らないわ。そもそも、私はデルバート王子と会ったこともないもの。私が宮廷医になったのはデルバート王子が自領ソルウィングダムの離宮に移ってしばらくしてからだし、離宮はまったく管轄が違うから」
「ドゥ夫人が離宮に行くことは?」
「私の記憶の限りでは一度もなかったわ。もちろん、プライベートまで全部把握しているわけじゃないから、絶対に、とは言えないけれど」
イヴォンヌはティーカップをクロードとアルキスへ手渡す。クロードが口をつけると、飲みごろに冷めた茶は、濃いめに淹れた薬草茶の一種で、すでに砂糖が入っていた。それも、クロード好みにたっぷりと入っており、横目で見るとアルキスには甘すぎたのか一口でやめてしまっていた。
「それはそうと、アーニー」
「君のその口振りは、何かを押し付けてくるときの前触れだな」
「これを見て。一法医学者として、見解を聞かせてちょうだい」




