第二話 私は人と話すのが、あまり得意ではありません
アデライードという『最強の通訳兼サポーター』を失ったヴィルフリートの転落は早かった。
王宮というのは不思議な場所で、秘密は秘密のまま広まっていく。
アデライードが王太子の婚約者を外れたことは、翌週には宮廷中に知れ渡る。
表向きの理由は「双方の合意による解消」だったが、実際のところは誰もが何となく察していた。
なぜなら、アデライードの表情が晴れ晴れとしていたからだ。
婚約を解消された令嬢が、これほど清々しい顔をしているのはおかしい、と人々はひそひそ言い合った。
彼女自身は、その後しばらく実家に戻り、読書と乗馬と、たまに父の仕事を手伝って過ごした。
宮廷の噂は、時々侍女が運んできた。
「殿下、また晩餐会でやらかされたそうですよ」
「やらかした」
「宰相夫人のご自慢の刺繍を『地味ですね』と仰ったとか」
「……夫人は」
「三日、床に伏せられたそうです」
アデライードは本から目を上げた。
「私がいたら、何と言ったでしょうね」
「『殿下は細部までよくご覧になりますのね』とでも言って、宰相夫人には『殿下はその落ち着いた色合いをお気に召したのかもしれませんわ』とでも取り成されたのでは?」
「……そんなものですわね」
アデライードは静かに言って、また本に目を落とす。
それから二ヶ月ほどの間に、似たような話が次々と届いた。
ヴィルフリート殿下が、隣国の大使の前で「御国の料理はどれも塩辛すぎる」と言った。
大使は顔色ひとつ変えなかったが、翌月の貿易協定の条件が少々厳しくなった。
ヴィルフリート殿下が、老伯爵の長い挨拶を遮って「で、要点は?」と言った。
老伯爵は静かに微笑んだまま黙り、その翌週、伯爵領から王都へ送られる献上品の質が目に見えて落ちた。
これまでは、ヴィルフリートが失礼なことを言っても、アデライードが即座に「殿下は、皆様の献身をこのように評価しておいでなのです」と美しく翻訳していた。
彼が外交の場で自慢話を始めても、アデライードが絶妙なタイミングで話題を逸らし、相手国の機嫌を損ねないよう立ち回っていた。
その防波堤が消えた。
代わりに彼の隣にいたのは、ヴィルフリートが『私を理解している』と気に入った侯爵令嬢だった。
彼女は、ヴィルフリートの言葉が相手を傷つけているのか、それとも怒らせているのか、そもそも判断できない。
ただ、彼が何か言うたびに、意味もわからぬまま頷いた。
「殿下のおっしゃる通りですわ」
それが火に油を注いでいることにも気づかずに。
決定的になったのは、隣国との通商条約締結式だった。
相手国は、前年の飢饉と災害で大きな被害を受けていた。
こちらの支援と、あちらの技術提供。
双方の利を慎重に探るための会談である。
その場で、ヴィルフリートは相手国の女王に向かって、あろうことかこう言い放った。
「女王陛下、話が長いですな。で、我が国への譲歩はいつ聞けるのですか?」
女王の笑顔が消えた。
アデライードがいれば、即座に言葉を差し込んだだろう。
殿下は、女王陛下の深慮遠謀の先にある、両国の真の繁栄を心待ちにしていらっしゃるのです、と。
だが、隣にいる侯爵令嬢は、いつものように頷いただけだった。
「殿下のおっしゃる通りですわ」
広間の空気が凍った。
女王は、ゆっくりとヴィルフリートを見た。
「今、何と仰いましたか?我が国の飢饉、災害の件を聞いてなお、その発言ですか?」
通商条約は白紙。
国交断絶の危機。
国王はついに決断する。
「ヴィルフリート。お前には人の上に立つ資格も、会話の機微を解する知性もない。廃太子とする」
その言葉が下ったとき、ヴィルフリートは初めて叫んだという。
「なぜだ!私は何も間違ったことは言っていない!」
その一言こそが、彼のすべてだった。
エドマンド王子がアデライードの実家を訪ねてきたのは、廃太子の沙汰から十日後のこと。
彼はヴィルフリートとは似ていなかった。
同じ父から生まれた兄弟だが、ヴィルフリートが金髪碧眼の華やかな外見を持つのに対し、エドマンドは茶髪に灰色の目をした、どちらかといえば地味な印象の青年である。
年は十九。
ヴィルフリートより三つ下。
アデライードは応接間で彼を迎えると、エドマンドは椅子に座り、少しの間、自分の手を見ていた。
「クラーレンス公爵令嬢。率直に申し上げます」
「エドマンド殿下。……いいえ、エドマンド王太子殿下とお呼びすべきですね」
「はい。王太子に指名されました。しかし正直なところ、その……」
彼は少し言葉に詰まった。
「私は人と話すのが、あまり得意ではありません」
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