第8話 旅立ちの朝
「リョージ、元気でなー!」
ペータが、いつものおどけた調子で手を振っている。
旅立ちの朝。
ほかの村人たちも、名残を惜しんでくれていた。
「ペータもな。村を頼んだぞ」
「おうよ、どの口が言う? こちとらずっと護ってきたんだぜ~任せとけ!」
軽い口調。
出会ったときの陽気なペータだ。
この世界に来てたった三日。
元の世界の何年分も、生きた気がした。
「リョージ、道中気をつけてな」
「はい、村長。本当にお世話になりました。装備までいただいちゃって」
「なんの、装備も使ってナンボじゃ。有効に使ってくれたらそれでええ」
きっと、思い入れのある防具と剣のはずなのに。
昨日、返そうとしたらそのまま使うように。
と、言われてしまった。
いくらチート様があるとはいっても、商都リベルタまでの道のりを丸腰で歩くのは流石に心細かったんだ。
「村長、最後にお願いがあるんですが」
昨夜から考えていたことを伝えてみた。
「もしこの先、お前の故郷はどこかと聞かれたらグリーン・フィールド村だと答えてもいいですか?」
村長とペータは弾かれたように目を見開き。
「もちろんじゃ! いつでも帰ってきてくれ。この村はお主の故郷じゃ」
村長はリョージの手を両手で強く握りしめ、上下に強く振った。
村長の目から熱いしずくが溢れていた。
「グリーン・フィールド村を忘れるでないぞ!」
「はい。絶対に忘れません」
そしてリナが、リョージの前に立った。
周りのおばちゃんたちの視線が、ものすごく生暖かい。
バレてる?
涙をこらえて、必死に笑顔を作っている。
「リョージ、気をつけてね」
「ああ」
「手紙、書くから」
「届いたら必ず返事する」
「……うん」
リナの目から、涙がこぼれた。
「いっぱい冒険して、いっぱい強くなって、カッコいい話をたくさん聞かせてね」
「任せろ」
「楽しみにしてる」
リョージはリナを抱きしめた。
「行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
いつまでたっても名残は尽きない。
断腸の思いで身体を離し、村人たちに一礼する。
さあ、改めて冒険の始まりだ。
思いを秘めて草原へ足を踏み出す。
まずは商都リベルタで冒険者になる。
それから世界中を旅して、強くなって――
今日中に野営地へ着かないとな、草原で野宿は多分ツライぞ。
チート様の示す矢印ナビに従って歩みを進める。
振り向けば、村が小さくなっていく。
この村での日々は一生忘れない。
リョージは笑顔で向かう。
前へと――
一方、グリーン・フィールド村では――
おひさまが中天を迎える頃。
今日の野良仕事を終えたペータが、村に帰って来ると。
中央公園ではリナが、バリスタと呼ばれる据え付け型の大型弩を磨いていた。
「ついて行ってもよかったんだぜ」
一心にボロ布でバリスタを拭いているリナに、おどけた軽口を叩いた。
「うるさいわね。リョージの足手纏いにだけはなりたくないの」
「おー。いっぱしの女房気取りだねぇ」
口調とは裏腹に、妹の背中を優しい目で見つめる兄の姿があった。
――――その時だった。
ゴォォォォォォ!
空が翳った。
「な、何だ!?」
村人たちが口々に叫ぶ。
空を見上げる。
巨大な影が村の上空を旋回していた。
漆黒の鱗。
二十メートル程もある巨体。
「黒い……ドラゴン……!」
リナの顔が蒼白になる。
「《災厄のドラゴン》じゃ! 皆、訓練通りに女子供から逃がすんじゃ!」
村長が叫んでいる。
「行くぞっ」
ペータが叫んだ。
バリスタに飛び付いたペータは、何度も繰り返した手順通りに安全装置を外していく。
「クァァアアーーーーー!!」
天空から獲物を捕捉したのか——《災厄のドラゴン》は咆哮をあげ、村に向かって降下してきた。
「逃げろぉぉ!」
ペータが渾身で叫ぶ。
恐怖に硬直し、ドラゴンの餌食になるばかりであった村人たちはその声で我に返った。
悲鳴を上げて散り散りに逃げ出していく。
半分遊びなのか、ドラゴンは執拗に村人を狙い、逃げ惑う姿を見て楽しんでいるかのようだった。
面白半分に村の建物の屋根を吹き飛ばし、壁を崩し、畑を踏みつぶしていく。
「くそっ……!」
鉄のハンドルを回し、鋼の槍のような矢をセットした。
しかし、縦横無尽に空を飛ぶドラゴンに、重いバリスタの照準が合わない。
この日を待ち望み、血反吐を吐くほどに訓練を繰り返してきたのに。
ドラゴンの俊敏性は、ペータの予想をはるかに上回っていた。
「ペータ!」
リナが息を切らせながら駆け寄ってくる。
「バカっ! 避難壕へ入ってろ!」
「嫌だっ! 父さんと母さんの仇が居る! 隠れていられない!」
掲げたソイツは、リナのボウガンより2周りも大きい。
機械式の巻き上げ機構が付いている、クレインクイン・ボウガン。
この村で、バリスタの次に破壊力を持っている遠隔攻撃武器。
二人の父の形見だ。
「あたしが囮になって、アイツを引き付けるから」
口元だけが笑う。
ペータの返事も聞かず走り出した。
「バカっ!」
それじゃ――父さん達の二の舞じゃないか!
胸が詰まり、叫びは言葉にならなかった。
数年前、ドラゴンが村を襲ったとき。
次期村長と目されて来たペータとリナの父親は、このクレインクイン・ボウガンだけでドラゴンに立ち向かった。
村人達を逃がす時間を稼ぐ為に。
母の援護を受けながらたった二人で。
無情にも村最強の武器は、ドラゴンの硬い鱗に掠り傷をつけるのが精一杯だった。
それでも父も母も逃げなかった。
ドラゴンは猫が獲物をもてあそぶ様に、父と母を嬲り――
幼い兄妹は物陰に身を伏せながら瞬きもせず、両親の最期を目に焼き付けたのだ。
ピシュン!
クレインクイン・ボウガンの鉄の矢は、心細げな音を立てた。
ドラゴンの鱗に、当たり前の様に弾かれる。
しかし、数年前の記憶がよみがえりでもしたのか、
ドラゴンの注意はリナに向いた。
ペータの背筋にゾッと恐怖が走った。
ドラゴンの表情が、まるでお気に入りのおもちゃを見つけた、悪ガキの様に見えたからだ。
「リナ! 逃げろ!」
叫びながら、バリスタの照準をドラゴンに合わせようとする。
が、バリスタはその威力に見合うほどに、大きく、重い。
「くっ……」
物陰から物陰へと、ドラゴンの気を引くように誘いながら逃げ、効かないと分かっているボウガンの矢を射掛けるリナ。
ドラゴンが本気を出せば、すぐにでも噛み殺されてしまうかもしれない。
不意にバリスタが軽くなった。
驚いたペータが脇をみれば。
「ダンさん! ミルフェ! ケッチン!」
村の若男衆達だ。
「女房と子供は逃がしたからな、おれだって爺様殺られてんだ。力仕事なら任せろ」
ダンさんの言葉に悪ガキ仲間たち、ミルフェとケッチンがうなずく。
ピューーーッ!!
カン高い笛の音が鳴る。
全員が気を取られそちらを見た。
ドラゴンも釣られて視線が向いている。
ドラゴンの視線が外れた隙に、リナは距離を取り呼吸を整えた。
ピューーーッ!
再び笛の音が走る。
その音は、空を駆ける矢から発していた。
笛矢を放っているのは。
村の狩人、ニックとジャン。
『俺達の矢はドラゴンを貫けないが、気を引く事なら出来るんだぜ!』
親指を上げ、にやりと白い歯を見せているニック。
これなら行ける!
ペータとリナの父と母が死んだとき、見ていることしかできなかった村人たち。
次こそは自分が出来ることを。
と、考え抜いてきた証だった。
笛矢が次々と放たれる。
ドラゴンの注意が分散する。
リナが物陰から飛び出し、別の建物の影へ駆け込む。
「よし……!」
ペータがバリスタの照準を合わせようとする。
狙いが定まりかけた、その時――。
「グルルルル……」
ドラゴンは低く唸った。
遊びに飽きたのか。
それとも、人間たちの予想外の抵抗に苛立ったのか。
ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。
「いかん……!」
村長が叫ぶ。
「ドラゴンブレスが来るぞぉ! みんな伏せろ!」
ゴオオオオオオ!
ドラゴンの口から放たれた灼熱の炎が、村を薙ぎ払った。
家屋が一瞬で燃え上がる。
みるみる畑が焼け焦げる。
「うわああああ!」
ニックとジャンが慌てて物陰に転がり込んだ。
ダンさんたちも、地面に伏せて炎をやり過ごす。
だが――
「リナ!」
ペータの悲鳴。
リナが逃げ込んだ建物が、炎に包まれていた。
「リナ! リナァアアア!」
ペータが妹の名を叫びながら駆け出そうとする。
その時――
炎の中から、小さな影が飛び出してきた。
リナだ。
服の裾が焦げ、髪が煤けている。
「お兄ちゃん!」
リナが泣きながら走る。
だが――
ドラゴンの目が、リナを捉えた。
「クァアアアアアア!」
ドラゴンが急降下してくる。
開かれた巨大な口。
鋭い牙が並ぶ。
遊びは終わり、確実に獲物を捕らえる気だ。
駄目だ! だめだ、だめだ、だめだ、だめだ!
「リナぁぁ! 逃げろぉ!」
ペータの叫びは、血を吐く悲鳴だった。
リナが瓦礫に躓いて――転んだ。
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