第59話 その男……
神征魔王軍14万は、人間領との境界付近にまで到達していた。
しかし、人間たちも魔王軍の進軍を黙って見ていた訳ではなかった。
ノルトヴァルト辺境伯軍5万と、周辺王国貴族からの支援軍20余諸侯7万。
併せて12万の大軍。
そのほかに、先行してきた国王軍2万5千。
現在進行中の援軍は王軍諸侯軍併せて8万余。
総勢20万を超える王国の軍勢が集結しつつあった。
双方合わせて34万。
ルミナス王国でこれだけの軍勢が動いたのは、古代魔法帝国崩壊以来の事であろう。
魔王軍の想定以上に、人間の軍勢の集結を許してしまっていた。
計画では5日間程度で領境へ到達できるはずだった。
が、実際には10日以上の日を要してしまった。
「進路妨害の数々にしてやられましたな、人間共が防壁を築く時間を与えてしまった――」
四天王筆頭【炎】のジョーエンの、のほほんとした他人事のようにつぶやく声。
魔王ヴァルゼノスは苦々しい表情を隠さなかった。
魔族の大軍を動かす為の主要な通路に、大量の置石や土砂が積まれていた。
ご丁寧なことにすべて硬質化の土魔法でカチコチに固められていた。
まるで地下深くまで岩盤を掘り抜き、搬出した土砂を積み上げたかのようだった。
その排除や迂回に余計な魔力と時間を消費したためだった。
魔族の中に妨害者がいる筈もなく。
人間の軍が事前に越境した形跡もない。
そうなれば、たった二人で魔王城までたどり着いき、魔王への謁見を果たした。
彼の男女の顔が目に浮かぶではないか。
人間側の動き出しが早かったということもある。
辺境伯家当主フェルディナント・ノルトヴァルトは、リョージを送り出した後、即座に行動を開始した。
ルミナス国王に使者を送り、王国の窮状を訴えた。
ルミナス国王の勅命を引き出した辺境伯は、魔王軍の侵攻に備え、全国諸侯に援軍と物資の協力を要請した。
並行して辺境伯家息女エレナ・ノルトヴァルトがルミナス・ハートを御する間、ルミナス・ハートを制御しうる血縁者を招集。
血族を総動員し、日夜交代でエレナ不在でもルミナス・ハートの制御を可能にした。
これらはルミナス国王や周辺諸侯と親交の厚かった、当主フェルディナント・ノルトヴァルト辺境伯の人望によるところが大きかった。
病床を押しながらノルトヴァルト辺境伯はこの国難に立ち向かい、国境の防衛ラインを構築させた。
現場で二十万の軍勢の総指揮を預かることになった、辺境伯家嫡男ルートヴィヒも、粉骨砕身で飛び回っていた。
「――リョージは無事だろうか」
戦線を確認しているとき、補佐に控えるダリウス隊長にぽつりと漏らした。
「エレナ様が出向かれたのです、きっとあの爽快な笑顔で戻っていらっしゃる」
親衛隊長ダリウスは名誉の負傷で折れた腕を吊りながらも、とぼけた感じで応えてくれた。
少しでも心労を和らげようとしてくれるダリウスの心遣いは、ルートヴィヒの救いでもある。
「魔王軍も『源流の力』の低下には気づいているはずだ。こちらの軍勢と防壁を見て思いとどまってくれたら御の字なんだが」
ただ数だけで言うならば、ほぼ互角に思える。
が、通常でも魔族は単体で人間の10倍の強さを誇る。
ルミナス・ハートの力はそれをさらに7~8倍上昇させる。
80倍もの強さの敵と戦うことになる――。
人間側から仕掛けることはない。
が、魔王軍もなるべく戦力のアドバンテージがあるうちに片を付けたいはず——。
……——。
ルートヴィヒは空気のどよめきを感じた。
最近戦場の空気というものが肌でわかるようになってきた。
この嫌な空気は、停止していた大軍が再び進行を始めた時の大気の揺らぎだ。
伝令が駆け込んできた。
「——魔王軍、歩速前進を開始しました!」
正念場だ。
ルートヴィヒは伝令に告げた。
「かねてよりの作戦通り迎撃せよ! 皆の命は俺が預かる。でも絶対に死ぬなと伝えよ」
命令を受けた伝令たちは力強く頷き、一斉に幕舎を飛び出していった。
◇
「はじまったなぁ……」
いまだ遥かかなたより、十数万もの魔物の大軍が土煙をあげ前進してくる。
まるで巨大な生き物がジワリジワリと迫ってくるかのようだ。
「ニック、ジャン。頼んだぞ、お前たちの腕が頼りだ」
若きリーダー、ベルタの緊張した声が響く。
「グリーン・フィールド村から苦労してバリスタを運んだんだ。必ず大物を仕留めてやる」
こきこきと首の骨を鳴らし、全身をほぐす仕草のニック。
「おまえらこそ援護をしっかり頼むぜ? こっちは小回りが利かないんだ」
ジャンが緊張の面持ちで答える。
「まかせろ、リョージが残してくれた金のおかげで、強力な武器をそろえることができた。全力で戦ってやる」
ダンさん、ミルフェ、ケッチン他の面々も強力なボウガンを構えている。
◇
「グリーン・フィールドの連中、士気が高いなぁ」
グリーン・フィールド村の隣に陣取った、リベルタの冒険者部隊でレオンがつぶやいた。
「リョージの残した金で、装備が一新されたからな。気合も入っているだろうさ」
冒険者ギルドの職員、ガルドが軽口をたたく。
二人は会話しながらも、グレンの背中を注視している。
リベルタの冒険者ギルド長、グレンは遠く魔王軍の進軍の様子を静かに見つめる。
元はノルトヴァルト辺境伯軍の騎士団長を張っていた男だ、物語る背中が違う。
グレン・バルト名誉男爵はつぶやいた。
「——なんだありゃ?」
◇
同時刻。
ルートヴィヒ・ノルトヴァルトは目を見開らいた。
そして、口元を綻ばせた。
「遅いじゃぁないか、兄弟!」
◇
そして、その反対側でも口元を緩める姿があった。
「ほほう、帰って来たか」
魔王ヴァルゼノス=ゼルド・グラン=マルディウスは立ち上がった。
◇
それは突如現れた。
魔族と人間領の境界線のあたり、これまで何もない荒野だったはずの場所に。
忽然と降り立った十余名。
ルートヴィヒ率いる人間軍に背を向けて。
今まさに侵攻している、神征魔王軍十余万に立ち向かう。
一人は巨大なボウガンを担いだ女狩人。
もう一人は、分厚い帳簿を抱えた冒険者ギルドの女職員。
胸元の大きく開いた深紅のドレスを着込んだ酒場の踊り子。
ドレスアーマーを着込んだ騎乗の女騎士。
キワドイ黒のボンデージ・サキュバス。
マントの女冒険者。
薄青いドレスに包まれた女魔族と、青と赤半々の鎧を纏った魔族の娘が並ぶ。
黒い襤褸ローブが中空にふよふよと浮かびながら守るのは。
純白のイブニングドレスに包まれた長い角の魔族の女。
その女たちの前に、一人の男が立っていた。
魔王ヴァルゼノスは、羽織っていた純白のマントを脱ぎ去り、傍らに控えていた四天王【炎】のジョーエンに手渡した。
「ちょっと若い友人に会ってくるよ」
まるで散歩にでも出かけるようだった。
「ご武運を」
飛び立つ魔王の背中を見送る魔王軍四天王筆頭【炎】のジョーエンの目は、眩しいものを見るように細められた。
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