第58話 つなぐ(2)
すべてを終え、夕の渚のように穏やかになった水面に横たわる。リョージとアグレシア。
「……上手くできたかな……」
これまでの言動が嘘のようにしおらしく、かわいらしく、リョージの胸にほっこりとした温かさが芽生えた。
「最高だったよ……」
ぎゅっとリョージの腕に縋り付く。
重なる肌が熱い。
「うれしい……ルーシーもシャンドゥも初めてだって言ってたのに。凄かった……お母ちゃん……フリーゼのあんな姿も初めて見たよ……あたいも初めてだったからすごく不安だった」
囁く声が、わずかに震えていた。
「……」
リョージの受け取っているイメージと現実世界で起こっている出来事はどこか違うらしい。
本当は何が起こっているのか不安にもなるが、どの道このままでは立ち上がることもままならない。
すべてを素直に受け入れよう。
ふたたび二人は若さという熱渦の中に身を躍らせて、今というときを楽しみ愛しんだ。
規則正しい呼吸。
よせてはかえす波打ち際の泡のように、くりかえす。
フリーゼとアグレシアは爽やかなる息吹と熱い血潮の鼓動をくれた。
手を握り、自身の感触を確かめる。
まだうまく力が入らない。
もうすこし、もうすこしだ。
するり、と。
霧霞のように。それでいて確かな重みと熱を持った何かが、リョージの全身に溶け込んで来た。
たゆんとリョージの全身から浮き上がった姿は何度も褥を共にした裸体だった。
「リリア……ごめん」
「まったくよ……置いて行かれたと分かったときは少し荒れたわ」
メルディアとカイロス、相当苦労したろうなと直感する。
「でもゼノヴィア様とルシアンナ王女からリョージが死にかけてるって聞いて、心臓がつぶれるかと思った」
リョージが何か言う前に、唇はやわらかな唇でふさがれた。
「今はあなたの体を治して、私の命を分けてあげるから——」
リョージは自分の体が満たされていくのを感じた。
「リョージ」
いつのまにかエレナに抱きしめられていた。
「ルミナス・ハートは無事に停止に向かっているわ、辺境伯家の血を引く外戚たちが集まって交代で対応している」
「そうか……よかった」
「でも、神征魔王軍は人間領との境界に集結しつつあるの。王国軍も防衛線を構築しているけれど……今のままでは」
「ごめん、止めるって言っておきながら俺の力が足りなくて……」
リョージの詫びの言葉にエレナは首を横に振った。
「リリアがゼノヴィア様を連れてきてくれたの」
エレナは微笑んでいた。
「唯一、魔王様に拳を届かせたのはあなただけだって。魔王様を止める最後の希望があなただって——だから、私たちの命を使ってあなたを癒す」
そういって口づけたエレナから、やさしい光があふれだし、リョージを満たしていく。
「「リョージ」」
二人の声が左右から聞こえる……ザーラとサラだ。
「イケてる男だとは思ってたけど、魔王女から王女様までコマしてくるとは思わなかったよ」
ザーラは相変わらずだ、あけすけに突っ込んでくる。
「ゼノヴィア様とエレナ様がギルドに駆け込んできて、リョージがピンチだから助けてほしいって頭を下げられた時には心臓が止まるかと思いました」
サラも屈託のない笑顔は健在だ。
「「私たちの命を、あなたの糧に——」」
二人の唇から熱い命の奔流が流れ込む。
「リョージぃ……」
あー。懐かしいこの声は。
ジトっとした半目がリョージをねめつけている。
「はぁ……」
やっぱり裸のリナがリョージの胸に顔をうずめていた。
「……少しくらいの浮気は仕方ないかなって思ってたけど、手紙が来る毎に恋人が増えていくって何なの?」
「ごめん……でも、けして浮ついた気持じゃなくて……」
「……わかってる」
リナはリョージを送り出したときと同じようにまっすぐな目で見つめていた。
「今は、あなたの本当の力を取り戻して。王国を、みんなを——救って」
妻たちはかわるがわるにリョージに愛を吹き込んでくれた。
リョージは立ち上がっていた。
自分の両足で大地を踏みしめて。
「——復活したようね」
初めて聞く女性の声だった。
目の前に白く朧に表れた姿が一人の女性を形づくる。
まるで白き女神、深紅の瞳と少し紫味を帯びた長い髪。
どす黒く禍々しく歪に伸びた二本の角が、魔王の姿を連想させた。
「あなたが、ゼノヴィア……」
「そうよ。魔王に届きうる唯一の拳リョージ。私はすべてをあなたに掛けることにした」
白く透き通るような肌が美しい。
「あなたはもう父と……魔王と対峙していた時の力を取り戻している」
いや……いくら呼び出そうとしても神チートからの反応がない。
「すみません……実は——」
リョージは正直に話した。
自分が異世界からやってきたこと。
この世界の神と思われる存在から神チートスキルを授かり、そのおかげでここまでこれたこと。
先の魔王との一戦で、アルマトゥーラと共に神チートをも失ってしまったこと。
「——だから……すみません、期待には応えられない」
ゼノヴィアは黙ってリョージの話を聞いていた。
「そうでしたか、わかりました。ここから先は私だけでやってみます」
「え?」
「——なるべく早く魔族領からも王国からも脱出してください。あなたの妻となった者たちを連れて」
リョージには意味が全く分からなかった。
リョージの表情で察したのか愁いを帯びた顔で、ゼノヴィアは言った。
「魔王軍と王国軍が衝突し両者損耗したところを、隣接した国々に攻め込まれます」
「——なんですって?」
「ルーシーとも話し合ったのですが見解は一致しています。私は空間転移のスキルを持っています、周辺諸国の様子をもつぶさに観察してきました」
ゼノヴィアは少し疲れた顔で微笑んだ。
「ルーシーもそのことに気づいたからこそ、自分の身を捨ててまで魔族との融和を図ったのです。諸外国の侵入を許さないために」
「……」
「父にも注進は致しましたが、魔族の中に根強い古代魔道帝国の復権思想と、慢性的な食糧不足の解消のためには、蜂起するしかないとの結論に達したようです」
「……実の娘の話を聞かないというのですか?」
「——魔族の流儀では、己の言葉は拳で通すもの。移動能力しかなく、武力を全く持たない私の言は誰も聞き入れてくれません」
ゼノヴィアは力なく微笑んだ。
「父は、ルミナス・ハートを再起動させ。魔族の圧倒的優位で挑めば、短期間に最小限の流血で王国を併合し、周辺諸国の干渉は防げると考えたようですが——」
「俺たちがルミナス・ハートを鎮静化してしまった……」
ゼノヴィアは静かに微笑を湛えている。
「それがこの世界の神のご意思なのでしょう」
リョージの胸の中にはもやもやとしたものが残る。——だいぶ雑な神だけどな。
「万策はつきましたが、最後の足搔きをしてみます」
「足掻きですか?」
「はい、あなたが父と戦ってから今日で10日になります」
「10日!」
時間感覚を完全に喪失していた。
「神征魔王軍はすでに人間領との境界付近に集結しています、ルーシーと私で最後に両軍に戦争の回避を訴えかけてみます」
「……俺も行きます」
「駄目です。女たちが己が命を削って紡いだ命を、無駄に散らすことは許されません。皆を連れて逃げてください」
「あなたとルーシーはどうなるんですか」
「……」
——どいつもこいつも。
「最後に——」
ゼノヴィアはするりと身に纏っていた薄絹を落とした。
まばゆいほどの美しさを放つゼノヴィアの裸身がリョージに近づき、重なった。
抱きしめたゼノヴィアのか細い体は小刻みに震えていた。
「私にも勇気をください」
リョージの心はゼノヴィアで塗りつぶされた。
安心の完結保証付きです。
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