第54話 和平の代償
「ほう……ボルガを粉砕したと?」
謁見の間で玉座に座った魔王様は思ったより若々しく、ダークブラウンの髪に口ひげを生やしたイケオジの容姿だった。
頭上に二本の立派な角を湛え、金の縁取りをした純白の礼服に包まれていた。
「はっ、魂魄が滅びるまでには至っておりませんが、人型にまで復帰するには数年かかろうかと」
玉座で足を組み頬杖をついた魔王に相対し、ジョーエンは床に片膝をつき首を垂れている。
「リョージと言ったか?」
「はい」
リョージはジョーエンよりもさらに後方でルーシーと二人。
両脇をフリーゼとシャンドゥに挟まれながら立っている。
「このことについて何か弁明はあるか」
魔王ヴァルゼノスはリョージを見ながら言った。
「……お話を聞いてもらいに来たのに、部下の方を傷付けてしまい申し訳ありませんでした。深く反省します。が、後悔はしていません」
思った通りに言ってみた。
「陛下、発言をお許し願えますか?」
ルーシーが割って入った。
「構わん、言ってみろ」
魔王は今度はルーシーに視線を向けた。
「我々は魔王軍との開戦を回避するためにやってまいりました。最低限の人員となりましたため、立ちはだかる障害は全力で排除する必要がありました。行き過ぎの件は謝罪いたしますが些少のお目こぼしを賜りたく」
片膝をつき首を垂れた。
ジロリと魔王ヴァルゼノスはルーシーを見る。
視線だけで射殺されそうな迫力だ。
「一介の冒険者に潰される四天王というのも考え物だが、魔王軍最強の一角を滅ぼしかける戦力を最低限とのたまうのもいかがなものかと思うがな。ルミナス王国息女、ルシアンナ・ディア=ルミナセリオン」
淡々とした口調で語る魔王の言に、ルーシー以外の面々は息をのんだ。
ルーシーが? ——王女様?
「——これは……話が早ようございます。ヴァルゼノス=ゼルド・グラン=マルディウス魔王陛下」
一瞬で立て直したルーシーの目の力と語調の強さが変わった。
「ふん、魔王の古き作法での名乗りまで知れているとは。王国も侮れん」
「それはこちらも同じです、本国には影を置いてきた筈ですが」
「魔族は魔力を見る。姿かたちだけ似せても意味などない」
「これは恐縮です」
ルーシーが再び首を垂れた。
「さて、王国の言い分は神征魔王軍の侵攻の停止だったな」
「はい、先にお伝えしました通り。ルミナス・ハートによる『源流の力』の偏向はすぐに停止します。王国はこのひと月を防戦しさえすれば逆転できましょう。互いに無駄に血を流すことなきご裁断を願いたく」
魔王ヴァルゼノスは口ひげを親指と人差し指の腹でこすりながら言った。
「ふむ、神征魔王軍の指揮を執る四天王筆頭のジョーエンは負傷、ボルガは不在。だが舐めてもらっては困る、魔王軍にも四天王を代行する人材は居るぞ?」
「侵攻を中止してもらう見返りに魔王領で不足する食糧の支援をお約束しましょう」
ルーシーは自信をもって答えるが。
「ふむ、人間領とて食糧生産はギリギリではないか、十分に支援が受けられるとは思えんな。そもそも人間領の穀倉地帯は古代魔族の時代には魔族の食糧を生産する地域だったものよ」
人間側の食糧事情まで掌握されていたのか。ルーシーの顔色が悪い。
「ただでさえ人間の十倍の能力を持った魔族が、ルミナス・ハートの稼働でさらにその十倍の力を得ている。そして人間共の力は半減といったところか、ならば一か月のうちに占領を完了してしまえばすべての食糧が我らの自由になる。そうではないか? ルシアンナ姫」
「……人間に……飢えよ、と?」
「魔族が支配していたころは、人間の人口は今の三割程度であったのだよ。その頃に戻るだけであろう」
「人間は滅びてしまいます」
「古代魔族の時代から魔族はその数を減じ、人間の人口は三倍となった。多少の調整が入ってもいいのではないか?」
「……もともとはその数も魔族による自然への干渉から作られた数字ではありませんか?」
ルミナス・ハートでの源流の力の偏向のことを言っているのだろう。
「それは我々の先祖の研究と努力の成果ではないか? 人間が先に『源流の力』を統べる術をもてば魔族はとうに滅びていただろう。人間も自然を自らの都合に合わせて改変し、より良い暮らしを求めているではないか、それと何が違う?」
「……では陛下、別の提案をさせていただきます」
ルーシーが顔を上げ、真っ直ぐ魔王を見据えた。
「占領により食糧を得る。確かにそれは可能でしょう。ですが、占領地の統治コスト、反乱の鎮圧、生産力の低下、それらの手間暇を考えてみてください。一か月で制圧できても、食糧生産を元の水準まで戻すのに何年かかりますか? そこで——」
ルーシーは言葉を切った。
魔王は相変わらず髭をもてあそびながら。
「——続けろ」
ルーシーに続きを語るよう促した。
「私、ルシアンナ・ディア=ルミナセリオンを魔王家へ輿入れさせていただきます」
魔王がルーシーを見る目がわずかに細められた。
「ほう……王女一人を差し出せば、我らが侵攻を止めるとでも?」
「ノクトヴァルト辺境伯家がルミナス・ハートを操れるのは、古代魔族皇帝のご子息アウレリウス・ノクス・ヴァル・アザエル様の血を引く、古代魔族帝の正当なる血統だからです」
「……そのようだな」
「数代前、ノクトヴァルト辺境伯家から王家へ輿入れがございました。つまり私にも、その血が流れております」
魔王の目が閉じられた。口元はかすかに笑い含んでいるようだった。
「なるほど……魔帝の血統を対価にすると?」
「——ふざけるな!」
リョージが一歩踏み出した。シャンドゥとフリーゼが慌てて制止しようとするが、構わず言葉を続ける。
「ルミナス国王は何を考えてるんだ!? 自分の娘を人身御供にして、失敗するかもしれない交渉に、たった一人で送り込んだってのか!」
「リョージ!」
ルーシーが鋭く制したが、止まらない。
「魔王様、俺は一介の冒険者で政治のことはよくわからない。でも、こんなやり方は間違ってる。ルーシー一人にこんな重大な話を押し付けるなんて絶対におかしい!」
「……黙れ、リョージ」
ルーシーの声が震えている。目は烈火のごとく怒り狂っている。
「いや、言わせてもらう。この交渉が決裂したら、ルーシーはどうなる? 王国に帰れるのか? それとも魔王軍の捕虜として——」
「リョージ、控えなさい! 今は魔王陛下と和平交渉の最中です! 王国の存亡がかかっているのです、わきまえなさい」
何となく内輪喧嘩のようになってしまっている。魔王は片手を口元に当てているがどこか楽しんでいるようにも見える。
「黙れるか! ルーシー、お前は自分を何だと思ってるんだ!」
「私一人を対価に何万もの民が救われるなら、安いものです」
「安くなんかない! お前は、お前だけのものだろう!」
ルーシーが鋭く睨みつける。
「では貴方は何万の無辜の民を見殺しにしろと? 万と一どちらかを犠牲にするべきかは明白です」
「犠牲ってなんだよ! 見ず知らずの魔王のところに嫁いで、一生を——」
「国を背負う者の責任とはそういうものです。貴方のような自由な冒険者には理解できないでしょうが」
「——っ、ルーシー、お前……」
リョージの拳が震える。
「リョージ……」
ルーシーの表情がふっと緩み、どこか自嘲するようにぽつりと漏らした。
「私の身体は何でできていると思う?」
「……何だって?」
「国民の税よ。国民の血と汗で育まれたこの身体、食べてきた食事、学んできた教育、着てきた衣服——すべては国民が納めた税で賄われてきた。ならばこの身体は、今このとき、国民のために使うためにあるのよ」
「ルーシー……」
口ではそう言うかもしれない、でも。いま、リョージの目の前で声を震わせているのは、ただ一人の少女だった。リョージは、自分の声に力を込めて言った。
「——違う」
真っ直ぐルーシーを見据えた。
「体は……もしかしたらそうなのかもしれない。でも心はお前だけのものだ」
「……え?」
「税金で育てられた体でも、お前の心まで国のものじゃない。お前が何を感じて、何を望んで、誰を大切に思うか——それは誰にも奪えない、お前だけのものだ」
ルーシーの目が見開かれた。
「だから——お前の心が本当に望むことを聞かせてくれ。国のためじゃなく、ルーシー、お前自身は本当はどうしたいんだ?」
「私は……私、は……」
ルーシーの声が震えた。言葉に詰まった。
「……貴方には、わからないのです」
ルーシーの声が静かになった。声はどこか湿りを帯びていて。
「高貴なる者の義務を。民を守るために身を捧げる覚悟を。私は——」
「俺が守る」
「……え?」
「お前が民を守りたいなら守れ、俺はお前を守る。お前だけが犠牲になる必要はない。絶対に」
パン!
魔王が手を打ち鳴らした。
パンパンパン——。
広い謁見の間に魔王の拍手の音だけが響き渡る。
「——面白い」
魔王ヴァルゼノスは明確に笑みを浮かべていた。
「娘よ、これが貴様の言う"最低限の人員"か?」
魔王が玉座から立ち上がった。
「交渉というものは両者が対等でなければ成り立たん。今の王国が我らと渡り合おうと言うならば——力で示せ」
魔王の全身から魔力が溢れ出す。
「冒険者リョージ、その娘を守ると言ったな。貴様が我と渡り合える力を示せるならば交渉を続けてやろう」
魔王ヴァルゼノスはルーシーへと目を向けた。
「その娘を哀れに思わぬでもない。だが同情だけで国は動かせん。我と国民を納得させるだけの力を見せよ」
「陛下……!」
ジョーエンが驚愕の声を上げる。
「言うな、ジョーエン。興が乗った。人間領への進軍前に景気づけだ。どのみち我はお飾りにすぎんのだろう? ならばここで先に発散させてもらおうではないか」
神征魔王軍は天辺まで脳筋だった。
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