第36話 ハアぁ?
人質交換から三十分が経過していた。
リョージとリリア、ルートヴィヒは仮設砦の指揮所に集まっている。
人払いをしており周囲には誰もいない。
ルートヴィヒに緊急の判断を仰ぐ事態にでもならなければ、三人だけの密室だ。
エレナに持たせた《エクスターナル・デバイス》の子機——人形の紙片——から届く音声。
この音声が聞こえるのはリョージだけだ。
チート様を通じてリョージの脳内に直接届いているため、リリアやルートヴィヒには聞こえない。
だからリョージは聞こえた内容を二人に口頭で伝えている。
「足音が聞こえる」
リョージは目を閉じて聞こえてくる音に集中した。
石畳を踏む硬質な音。
規則的なリズム。
先日潜入したときの記憶をたどれば、地下一階へ降りる階段だろう。
「石畳の上を歩いている。複数の足音だ。エレナを囲むように四人、いや五人か」
ルートヴィヒが固唾を呑む気配。
リリアは静かにリョージの言葉を待っている。
「呼吸音も聞こえる。エレナのものだ。少し荒い、緊張しているな」
昨夜のエレナの吐息を思い出してしまう。
リリアの目がジトッとしてきた。
自主規制。
遺跡内部の空気感を思い出す。
湿った冷気。
地下深くへ降りていく階段の音。
「多分二つ目の階段を降りている。地下二階へ」
おそらくこの階が魔族たちが常駐している場所だ、リョージがアシュレイとグラドの会話を盗み聞きしたのもこのフロアだろう。
コツ、コツ、コツ。
足音が止まった。
低い男の声が響いた。
アシュレイだ。
『神征魔王軍最前線部隊の中枢へようこそ、エレナ・ノルトヴァルト殿』
慇懃な紳士の会釈が目に映るようだ。
『痛み入ります、アシュレイ様』
声が硬いがそつなく答えるエレナ。
相手がその気になればいつでも殺される状況なんだ。
普通に会話できる方が異常だ。
『ご案内しよう。こちらへ』
再び足音。
今度はゆっくりとした歩調だ。
魔族の生活様式なんかを解説している、まぁ雑談の類だな。
「アシュレイがエレナを案内している、今のところ不穏な動きはない」
ルートヴィヒの拳が震えている。
妹が魔族の手の中にいる。
貴族の責務とはいえどれほど歯がゆいことか。
足音が再び止まる。
『アシュレイ様。一刻も早く、撤退作業を進めていただきたいのですが』
お、エレナが要求を出した。
そのために人質になってる訳だしな。
『もちろんです』
アシュレイの声が柔らかくなった。
『それは既に部下に任せてあります。ちなみに私はあなたを人質などと思っておりません。あなたは我らの客人であり、魔族と人間の架け橋だと思っておりますよ』
『架け橋、ですか?』
『はい』
グラドが茶の支度ができたと声をかけた。
二人は別室へ移動していった様子だ。
「今んとこ丁重に扱ってるな、なんか“架け橋”とか言い出した」
ルートヴィヒが眉をひそめる。
「架け橋? まさか自分たちから仕掛けて置いて和平とか言って来るんじゃないだろうな」
茶器が置かれる音。
お茶会が始まったようだ。
受け答えするエレナの声は落ち着いている。
『さて』
アシュレイが話を切り出した。
『随分と私の態度や行いが変わったと訝しんでおられることだと思うのだが、いかがかな? エレナ殿』
エレナは肯定したようだ、こちらも三人でうなずく。
『夜空の宝珠、こちら風にノクス・コルと呼ばせていただこう。その夜星のきらめきとそれを掲げるあなたの姿を見たとき私の思いは変わったのです』
感慨深げにアシュレイの声色が響く。
『古代魔族アウレリウス=ノクス・ヴァル=アザエル殿下は魔族を貶めた首謀者でありながら、超魔導大帝国第七代目皇帝ディアボルス=マグヌス・ヴァル=ソラエルの血を引く超魔導大帝国の正統後継者です』
『……』
『とうに失われたはずの超魔導大帝国の血統が人間と交じわり、今日まで受け継がれてきたという事実に感銘を受けたのです』
『私は……ノルトヴァルトの人間です』
『わかっています、しかしそのノクス・コルの輝きが、あなたが魔族の血統であることも示している』
きっとエレナはノクス・コルを表に出しているのだろう。
幻想的な夜星の輝きが脳裏によみがえる。
『星の明滅が、こんなにも激しく――』
呟くようなエレナの声。
『それが伝承通りの現象です、ルミナスの扉を開く鍵は扉に近づけばその輝きを増す』
茶器の音が聞こえる、優雅なひと時だこと。
『私は』
アシュレイが言葉を紡いだ。
『アウレリウス殿下の想いを目の当たりにしたときに思ったのですよ、人間と魔族が相容れることはかなわないのか? と』
『人間と魔族とが、ですか?』
『はい、今回は私の顔を立てていただき大切なノクス・コルを我々の本拠に運び入れていただいた』
『それはあなたが、そのように望んだからです。私が人質となりノクス・コルを持ったまま遺跡へ入る代わりに魔王軍を撤退させると』
『そうです。陛下は「夜星の宝玉を手に入れよ」とは命じられた。ですが——』
アシュレイが笑う。
『ルミナス・ハートを動かせとは、一言もおっしゃっていない』
朗らかに返すアシュレイの言葉にエレナは訝しげに。
『それは詭弁では? 魔王陛下は言外にノクス・コルを魔族の力を増加させるために用いよとおっしゃられたのでは?』
しばらくの沈黙。
今、エレナがしくじったの気づかれたか?
『やはり、リリアはそちらの陣営に匿われているようですね』
エレナの息をのむ声が聞こえた。
そうだよ、魔族能力増加の効力はリリアからの情報が無ければ判らなかった。
単なる血筋を示すだけの宝玉ノクス・コルを出し渋ったのは、リリアの存在を魔王軍に知らしめることになるからと、ルートヴィヒが気を回したんだが——結局こうなったか。
人質のエレナが常に身に着けていることを条件に魔王軍に貸し出した。
最大の懸念はエレナが殺されノクス・コルを奪われることだったんだが、今のところは大丈夫そうだ。
『いえいえ、よいのです。いろいろと説明の手間が省けます。リリアにも惨いことをしてしまった。魔王陛下のお言葉を忖度しすぎた私の責任です』
殊勝なことを口走る。
リリアの目が険しくなった。
(こいつ、そんなタマじゃないから)
とリリアの目が言っている。
さもありなん。
『よいのですか? 魔王陛下のご気分を害すればあなたの立場が危ういのでは?』
優しいな、エレナ。
『構いません、中途半端な命令を下された陛下が悪いのです、そう突っぱねます。なに、魔族にも居るのですよ、キューバ族のように人間と共存していくべきだと主張する種族も』
苦しげな、無理に明るさを装ったふうに見せる強者の弱音には女の子って弱いのかしら?
『僭越ながら我が家も魔族では名だたる名門です。たとえ陛下であろうとも簡単には私を処分できない、私が人間との融和派に鞍替えし共存を訴える魔族たちの旗頭となればいいのです』
『それは、また』
エレナが返答に困っている。下手に「信じられない」とか失礼なこと言えないしな。
『ええ、君子は豹変するのです。180度の転身になりますね。これで魔王軍の侵攻を3か月は停滞させられる。その間に人間たちには魔王軍を迎え撃つ対策を練っていただきたい』
『アシュレイ様! それは……!』
『シッ、声は低く願います』
慌てて声が大きくなったエレナをやんわりと窘めるアシュレイ。
会話の声が低く聞き取りにくくなった。
『アシュレイ様、それは謀反のように聞き取れてしまいます』
『そうですね、自分でも信じられません。人間の地を攻めに来たのにこうまで自分の価値観がひっくり返ってしまうとは』
声の様子からすれば、アシュレイはエレナの耳元近くで囁いているみたいだ。
離れろよ、下郎。
『なぜだと思います?』
知らんがな。
『それは——アシュレイ様が聡明であり、慈愛の心に溢れておられるからではありませんか?』
こらーーエレナーーそんな奴甘やかさなくていいんだぞーーーー。
『これは、過分な評価をいただき幸甚の至り――ですが、そうではありません』
『それでは、何がアシュレイ様のお心を変えさせたのでしょうか?』
『あなたです……』
一瞬の沈黙。
思わず声が漏れる。
「どうした、リョージ」
こめかみを揉みながらルートヴィヒに伝える。
「ぁんのクソ野郎。エレナを口説き始めやがった」
「ハアぁ?」
とても辺境伯令息だとは思えない顔つきで眉を顰めるルートヴィヒ。(見せられないよ!)
「ハア……」
リリアはため息をついた。
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