第28話 ノルトヴァルトの夜星
謁見の間を出ると、エレナが追いかけてきた。
「リョージ殿」
「エレナ様」
少し躊躇ってから、意を決したように口を開いた。
「……客間まで、ご案内します」
「ありがとうございます」
二人で並んで廊下を歩き出した。
「リョージ殿」
「はい」
「遺跡への偵察……私も、同行させてください」
エレナが立ち止まる。ずいぶんと口調が変わったものだ。
リョージも足を止めた。
「……エレナ様」
「私はノルトヴァルト家の者です。領地を守る責任があります」
「分かります。ですが、危険すぎます」
「危険なのは承知しています」
エレナが一歩踏み出す。
「だからこそ、です。あなた一人に任せるわけにはいきません」
「今まで一人でやってきたのでその方が動きやすいんです。今回は偵察なので人数は少ない方がいい」
「私も騎士として訓練を受けています。足手まといにはなりません」
「そうじゃなくて……」
リョージは首を振った。
「もし何かあった時、辺境伯閣下に顔向けできません」
「……」
エレナが唇を噛む。
「私は、ただ見ていることしかできないのですか」
「はい。今は」
廊下の奥から、足音が近づいてきた。
「これは、リョージ殿」
振り向くと、カイルが立っていた。
金髪を整え、知的な雰囲気を纏っている。表情は穏やかだ。
「ご挨拶が遅れました、今回作戦参謀を務めておりますノルトヴァルト家次男のカイザールと申します、カイルとお呼びください。偵察の件よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「今回、父上……辺境伯閣下が、あなたに全権を委ねられました。われわれに至らぬ点もあるかと存じますが、不備があるようでしたら遠慮なくご指摘いただきたい」
カイルは丁寧に頭を下げる。
「ご丁寧に、痛み入ります。今もエレナ様と話しておりましたが、俺は元々単独行動が多いのでこういったことは得意です、皆さんにご迷惑かけないように気を付けます」
「ご武運を祈っております」
カイルは一度言葉を切り、リョージを見つめた。
「それと……くれぐれも、ノクス・コルをお願いします」
「……はい」
「あれは王国の宝です。どうか、大切に」
カイルの表情は真剣だった。
「承知しました」
「では」
カイルは頭を下げ、廊下を去って行く。
背中が見えなくなると、エレナが小さく息を吐いた。
「……カイルは、優秀な参謀です」
「そうみたいですね、下賤の俺にも丁寧な言葉遣いでしたし」
「……」
エレナの雰囲気が気にはなったが、深くは聞かない。
貴族だし兄弟でも色々あるのだろう。
「次男と言っていましたね、ご長男は……」
「兄様は、父上の代わりに前線に立っております」
「それは大変ですね」
「はい。兄様も、カイルも、それぞれの責務を果たしています」
エレナは少しだけ、寂しそうに笑った。
「私も、何かできれば……」
「エレナ様には、ここでやることがあります」
リョージは首からペンダントを外した。
夜空のような深い黒紺の宝石が静かに輝いている、銀黒色の台座の中で。
「これを預かってもらいたいんです」
「え?」
「このペンダント、自分には過ぎたるものです。それに、カイル様のおっしゃる通り偵察中に無くしたら大変なことになります」
リョージはペンダントをエレナに差し出した。
「帰ってくるまで、預かっていてもらえますか」
「で、でも……父上が託したものを……」
エレナの視線が、ペンダントに吸い寄せられる。
涙滴型の黒青晶。
夜を閉じ込めたような宝石。
「だからこそ、です。エレナ様なら安心して預けられます」
エレナは困惑した表情でペンダントとリョージを交互に見つめた。
「……本当に、よろしいのですか」
「はい。お願いします」
エレナがゆっくりと手を伸ばす。
指先がペンダントに触れた瞬間。
黒青晶の内部に、青白い光点が浮かんだ。
まるで夜空に星が瞬くように。
「……!」
リョージは息を呑んだ。
宝石の中に、星図のような光の粒が広がっていた。
幻想的で、どこか懐かしい光。
「綺麗ですね」
思わず呟いた。
「この宝石は『ノルトヴァルトの夜星』と呼ばれています」
「夜星ですか……たしかに」
「代々、ノルトヴァルト家の当主が身につける宝石です。黒青晶という種類の石だと聞いています」
「黒青晶! 初めて聞きます」
「とても希少な宝石で、他では見たことがありません」
エレナはペンダントを両手で包み込んだ。
星図のような光が、彼女の手の中で淡く明滅している。
「私が幼い頃、父がよくこの光を見せてくれました」
「そうなんですか」
「ええ。父は『これはノルトヴァルトの血の証だ』と言っていました」
エレナが目を伏せる。
「当主の血を引く者が触れると、この光が灯るのだと」
「……」
黙って、エレナを見つめた。
彼女の手の中で、宝石が静かに輝いている。
「……責任を持って、お預かりします」
エレナはペンダントを胸に抱いた。
「ありがとうございます」
リョージは笑った。
「それと、もう一つお願いがあるんです」
「何でしょう」
「明日の朝、買い出しに協力してもらえませんか」
「買い出し?」
「はい。偵察に必要なものを揃えたいんですが、領都の地理が分からなくて」
リョージは頭を掻いた。
「どこに何の店があるのか、見当もつかないんです。案内いただけませんか」
「……なるほど」
エレナが小さく笑う。
「それなら、領都のことならお任せください。お力になれると思います」
「助かります」
「では、明日の朝、城門でお待ちしています」
「お願いします」
エレナは一礼し、客室の扉を開けた。
「では、ごきげんよう」
「ありがとうございます」
扉が閉まる。
リョージは窓の外を見た。
赤い夕日が城壁に沈もうとしている。
翌朝。
城門でエレナが待っていた。
今日は騎士装束ではなく、動きやすそうな町娘の服装だ。
マントを羽織り、腰には装飾の施されたかわいい短剣を下げている。
「おはようございます、リョージ殿」
「おはようございます。準備万端ですね」
「ええ。では、参りましょう」
二人で城下町へ向かった。
朝の城下町は思ったより活気に満ちていた。
商人たちの声、荷車の音、人々の笑い声。
戦時中でも皆生きて行かなければならないのだ。
「まずは雑貨屋ですね」
出がけに相談した必要な物品について、エレナは効率よく巡れるよう店の順路を組み、先導してくれた。
通りを抜け、広場の角にある雑貨屋へ。
「ここが一番品揃えが良いです」
「ありがとうございます」
店内を見回し、必要そうなものを選んでいく。
エレナも横から「これもあった方がいい」「これは不要かも」と助言してくれた。
「詳しいですね」
「偵察任務の経験がありますから」
エレナは少し誇らしげだ。
次は食料品店。
「調味料を揃えたいんですが」
「でしたら、こちらのセット品がお勧めです。美味しいし割安ですよ」
「じゃあ、それを」
エレナは店主と値段交渉までしてくれた。
「助かります」
「いえ、これくらい」
エレナが笑う。
その笑顔は、昨日の緊張した表情とは違って見えた。
「次はどこへ?」
「武器屋を見ておきたいです。短めの剣や投擲用のナイフとか」
狭いところで長物を振り回すのは事故の元だし、目立つ宝剣を持っていては潜入の邪魔にもなる。
「でしたら、こちらです」
エレナが再び先導する。
城下町を巡りながら、会話は続いた。
「エレナ様は、昔からこの城下町で?」
「ええ。生まれも育ちもここです」
「良い街ですね」
「……はい」
エレナは少し寂しそうに笑った。
「だからこそ、守りたいんです」
「守れますよ」
リョージは断言した。
「必ず」
エレナがリョージを見つめる。
「……あなたは、どうしてそこまで」
「え?」
「この領地はあなたの故郷ではないでしょう。それなのに、どうしてそこまでしてくれるのですか」
「そうですね……」
少し考えてから答えた。
「俺の本当の故郷は少し遠いところにあるんです、多分もう帰れないぐらい。だから人々が平和に楽しく暮らす街を見るのが好きなんです。それにエレナ様の父上に信頼してもらいましたから」
「それだけ……ですか?」
「それだけです」
エレナが小さく息を吐く。
「……変わった人ですね」
「よく言われます」
二人で笑い合った。
「リョージ殿、一つお願いがあります」
思い立ったように、エレナが切り出した。
「はい、なんでしょう?」
「二人きりの時は……エレナ……と、お呼びください」
ぼんっといきなり顔を赤くしてエレナが言った。
「わかりました、エレナ。では、俺もリョージと呼んでください」
ほわっと喜びの笑みを浮かべたエレナも頷いた。
「わかりました、リョージ」
買い物を続けていると、陽が高くなってきた。
「そろそろ、昼食にしませんか」
「そうですね」
「でしたら、おすすめの店があります」
エレナが案内してくれたのは、小さな食堂だった。
店内は、地元の人間で賑わっている。
「ここの料理は、美味しいですよ」
「それは楽しみです」
席に着き、料理を注文する。
しばらくして、料理が運ばれてきた。
牛肉の煮込み、パン、野菜のスープ。
「いただきます」
一口食べると、確かに美味い。
いい仕事をしている。
「美味いですね」
「でしょう? オークのステーキと同じくらい」
エレナも嬉しそうに食べている。
「ここは、子供の頃からよく来ていました」
「そうなんですか」
「ええ。兄様と、カイルと、三人で」
「仲が良かったんですね」
「……ええ」
エレナの表情が、少しだけ翳る。
あまり立ち入ったことは聞かない方が良さそうだ。
「ごちそうさまでした」
「いえ、こちらこそ。良い店を教えてもらいました」
「お口に合ったなら、良かったです」
「午後は、どうしますか? 必要な物はあらかた揃いました。後は市場で生鮮品を見てみたいです」
「わかりました……もしよろしければ市場の近くに甘味処がありますが」
「甘いもの、好きですか?」
「ええ」
エレナは少しだけ、照れたように笑った。
「では、市場の後に寄りましょう」
甘味処は、城下町の中心部にあった。
店内は、女性客が多い。
「ここは、領都で一番美味しいと評判です」
「へえ」
席に着き、店員を呼ぶ。
「おすすめは?」
「果物のタルトと、蜂蜜のケーキです」
「じゃあ、それで」
「私も、タルトをお願いします」
しばらくして、タルトとケーキが運ばれてきた。
見た目も綺麗だ。
「いただきます」
一口食べると、上品な甘さが口の中に広がる。
「うほっ、最高ですね」
「でしょう?」
エレナも、タルトを嬉しそうに食べている。
普段の凛とした雰囲気とは違う、年相応の少女の顔だ。
「……何か?」
「いえ、美味しそうに食べているな、と思って」
「お恥ずかしいです……」
エレナは少しだけ、頬を染めた。
「でも、好きなんです。甘いものが」
「そうですか」
「子供の頃は、よく兄様におねだりしていました」
「可愛らしいですね」
「……!」
エレナの顔が、真っ赤になる。
「か、可愛いだなんて……」
「事実ですよ」
「……もう」
エレナは俯いて、タルトを食べ続けた。
その後は、二人でただぶらぶらと城下町を歩いた。
道端の露店で他愛のないものを買ってみたり、特に何か目的があるでもなく、それでも濃密な時間を過ごす。
夕方になり、城へ戻った。
城へ戻る道すがら、エレナは何度か口を開きかけては黙り込んだ。
城門に着く頃、彼女が立ち止まる。
「リョージ」
「はい?」
「……いえ、何でもありません」
エレナは首を振った。
「気をつけて」
「はい。すぐに戻ります」
笑って城へ向かう。
背中に、エレナの視線を感じた。
(……何か言いたそうだったな)
首を傾げたが、すぐに気持ちを切り替える。
さて、準備は整った。
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