第27話 辺境伯
謁見の間は静まり返っていた。
赤絨毯の奥、玉座と呼ぶには幾分質素な木の椅子に壮年の男性が座っている。
金髪、鋭い眼光。
総督に似た面立ちだが、より厳格な雰囲気を纏っている。
その右隣には、ドレス姿のエレナが立っている。
森で会った時の騎士装束とは、まるで別人だ。
淡い空色のドレスが金髪を引き立て、整った顔立ちがより際立っている。
(……あー、うん。辺境伯令嬢だもんな)
そして左隣には、若い男性が立っていた。
エレナよりやや若く見える。
同じ金髪だが、知的な雰囲気を纏っている。
手には羊皮紙の束。
参謀とかその辺りの立場だろうか。
御前に進み出たリュージは赤絨毯の手前で膝をつき頭を垂れる。
こういう儀礼はよくわからないが、なんちゃら講師がいるわけでもなし。
失礼な態度でなければ問題にはなるまい。
「冒険者リョージ、参上いたしました」
「面を上げよ」
辺境伯の声は低く、威厳に満ちている。
顔を上げると、辺境伯の視線が真っ直ぐこちらに向けられていた。
「まずは礼を言う。よく娘を救ってくれた」
「いえ、人として当然のことをしただけです」
「当然、か」
辺境伯が小さく笑った。
「当然のことを当然に成せぬ者も、世には多いのだ」
エレナが一歩前に出る。
「閣下。リョージ殿は私と騎士5名を襲ったオーク5体を単身で殲滅し、私を領都まで送り届けてくれました。彼の実力は本物であることを証言いたします」
「うむ。そうだな。当事者の生の声は重い」
辺境伯が懐から一通の書状を取り出した。
リョージが送り届けたリベルタ総督からの親書だ。
「弟からの親書にも、お前のことが詳しく書かれていた。黒狼団800人を単身で壊滅させた、とな」
「……運が良かっただけです」
「運だけで800人の盗賊団を壊滅させられるものか」
辺境伯が立ち上がり、玉座を降りてきた。
リョージの目の前で立ち止まる。
辺境伯の視線が、リョージの腰に下げられた剣に向けられた。
「そして、その剣は」
「はい?」
「グレン・バルガの剣だな」
リョージは一瞬、ほけっとなった。
ギルド長、家名あったんだ。
「リベルタの冒険者ギルド長のことですか」
「そうだ。それは先代領主が、当時騎士団長だったグレンに下賜した宝剣。名匠イバーナによるこの国有数の名剣だ」
辺境伯の目に、懐かしむような光が宿る。
「グレンは引退後もその剣を大切にしていたはずだが。それを今、お前が持っている」
「自分の借りていた剣が破損しましたので、お預かりしました」
「預かった、か」
辺境伯が低く笑った。
「グレンがその剣を手放すとすればよほどのことだ。それを託したということは、お前を認めたということだ」
辺境伯がリョージの肩に手を置いた。
「弟の推薦、娘の証言、そしてグレンの信頼。これだけ揃えば、疑う余地はない」
「親書には、報酬は成果に応じて支払うと約したことを弟は書いてきた」
「はい、そういう約束でした」
「ならば、私もそれに倣おう。そしてこの領地の命運をそなたに託したい。その証に」
辺境伯が首から下げていたペンダントに手をかけた。
涙滴型の黒青晶。
夜空のような深い黒紺の宝石が、銀黒色の台座に嵌め込まれている。
ざわり。
周囲を取り巻いていた家臣たちからざわめきが起こった。ざわざわ。
「閣下!」
エレナが声を上げた。悲鳴に近い。
「まさか、それを……!」
周囲に控えていた騎士たちが、ざわめき始める。
「閣下、お待ちください!」
左隣の若者が一歩前に出た。
「一介の冒険者に、ルミナス王国の国宝を預けるなど!」
「せめて、もう少し様子を見てから……!」
「万が一、何かあったら……ルミナス王に顔向けが!」
辺境伯は動じなかった。
「カイル、エレナ。そして諸君」
辺境伯の声が、謁見の間に響いた。
「私はこの男を信じる」
ペンダントを外し、リョージの首にかけた。
「これは『夜輝核ノクス・コル』。代々の当主が身につけていた、ノルトヴァルト領主の象徴だ」
リョージの首に、ずっしりとした重みが加わった。
「これを持つ者は、領内のあらゆる場所に自由に立ち入り、領内のあらゆる物資を自由に使うことが許される。今回の魔王軍の件が解決を見るまで貴殿に私の全権を委任する、その証に預けておこう」
「……閣下」
リョージは言葉を失った。
なんか、重すぎなんですけど。
そんな重大なものを、初対面の冒険者に託すのか。
「私は一介の冒険者ですよ。風来坊の根無し草です。自分で言うのもなんですが、あまり信頼しすぎてもよろしくないかと……」
こそばゆいというか、プレッシャーかかりすぎというか。
「ほう、そなたはリベルタ総督とノルトヴァルト辺境伯家息女、そして冒険者ギルドの支部長にして元ノルトヴァルト騎士団長の信頼を裏切る人間なのか? だいたい信用し難い人間ほど『信用してくれ』と言い張るものでな」
にやりと笑いながら辺境伯閣下は言った。
くそ、このおっさん掴みどころがない。
「そんなつもりはありません、けど……」
「ならいいではないか。一騎当千の男がノルトヴァルトに力を貸してくれるというのだ、それに見合う信頼を示すのは当然であろう」
辺境伯が一歩下がり、リョージを真っ直ぐ見つめた。
「リョージ。このノルトヴァルトの地を、民を。頼む、力を貸してくれ」
その目には、迷いがなかった。
リョージは深く息を吸い、頷いた。
「はい、承りました。全力を尽くします」
こう言うしかないだろ、リョージだって少しは空気を読むのである。
左側の男の表情が、一瞬だけ強張った。
その視線が、リョージの首元――『夜輝核ノクス・コル』に落ちる。
だがすぐに元の冷静な顔に戻った。
辺境伯が玉座に腰を下ろし、その男に視線を向けた。
「カイル、魔王軍の現状を説明せよ」
「はい、父上」
お、この参謀風の男カイルというらしい。
そして辺境伯の息子。
ということはエレナの兄弟ってことか。
カイルが羊皮紙を開き、淡々とした口調で語り始める。
「現在、魔王軍は領都の北西、約三十キロの地点に布陣しています。兵力は推定三千から五千。詳細は掴めていません」
「三千から五千……」
リョージは眉をひそめた。
幅が大きすぎる。
それだけ情報が不足しているということか。
「指揮官は不明。ただし、魔族が複数名含まれていることは確認されています」
「魔族……」
洞窟の中で戦った人狼の姿が思い出された。
「はい。偵察部隊が目撃しましたが、詳細を確認する前に全滅しました」
カイルの声に、わずかな感情の揺れもない。
エレナの表情が、わずかに曇った。
「魔王軍の動きは遅い。本来なら既に領都を包囲していてもおかしくないのですが、なぜか足を止めています」
「足を止めている……」
リョージは首を傾げた。
「何か理由が?」
「それが、分からないのです」
辺境伯が重々しく口を開いた。
「魔王軍は領都から離れた山中、古代遺跡の跡地を占拠している」
「古代遺跡?」
「うむ。数百年前のものと思われる、寂れた石組みだ。何の価値もない廃墟に過ぎん」
カイルが地図を広げた。
「ここです」
指差された場所は、領都の北西。
森の奥、山の中腹に印がつけられている。
「なぜ魔王軍が、そんな場所を占拠しているのか。我々には理解できません」
リョージは地図を見つめた。
(古代遺跡……)
リベルタで黒狼団の陽動を食った遺跡跡地を思い出す。
「閣下」
「何か考えがあるか」
「はい。まず、その遺跡を調べさせてください」
「遺跡を?」
「魔王軍が占拠している理由が分かれば、作戦も立てられます」
辺境伯が頷いた。
「そうだな、敵の意図が掴めればもう少し動きようもあるのだが……そうだな、少数の精鋭で潜入できればそれも可能か……リョージ殿。お願いできるか?」
「もちろんです、別にまるっと魔族を倒しちゃっても構わないんですよね?」
「……」
生暖かい空気が謁見の間に流れた。
ちょっとした軽口ジョークだからさーー皆ノリ悪いなー。
「ははっ、頼もしい。しかしリョージ殿は我々の切り札でもある。無事に情報を持ち帰ることを優先してほしい」
ちくしょう。
辺境伯のおっさん涼しい顔で切り返しやがった。食えねぇ。
周囲は失笑一割、憤慨二割、『お前は何を言ってるんだ?』が七割ってとこか。
まぁ空気は和んだ。
「いつ出発する」
「準備ができ次第。明日か明後日には」
「分かった。必要なものがあれば、何でも言ってくれ」
「ありがとうございます」
リョージは一礼した。
辺境伯は満足そうに頷いた。
「では、リョージ殿。頼んだぞ」
「はい」
リョージは首に下げられたペンダントに、そっと手を添えた。
ずっしりとした重み。
これが、辺境伯の信頼の重さか。
(……あんま重いのやだなぁ)
カイルのジトッとした視線が、こちらに向けられているのを感じた。
リョージは小さく息を吐き、謁見の間を後にした。
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