四月・4 恋愛症候群 ~その発病及び傾向と対策~
「……ねぇ、ボクの中にトオル君が居着いたままなんだけど、どうしたらいい?」
音楽室の中に天使がやって来てワルツを踊り、そしていずこかへ消えていった。
無音が支配する室内。
だがオレは状況確認のため、頑張って何とか口を開いた。
「今ひとつ把握できないんだけど、どういう意味?」
「ええと、うまく言えないんだけど、何かの拍子にトオル君の顔とか仕草とかが、ふっと浮かんで来ちゃうんだよ」
「具体的には?」
「そうだね……」
そこで山口はアゴに人差し指を当てる。
「家でピアノを弾いてる時に、『今ここにトオル君がいたら、一緒にどんな事やるのかなー』とか」
「ふむ」
「ご飯を食べてる時にふっと、『隣にトオル君がいたら、どんな会話してるかなー』とか」
「ふむふむ」
「この間なんか、去年トオル君と手を合わせた時のことを思い出したら、『あの長い指がボクを優しく撫で回してくれたら、きっと気持ちいいんだろうなー』とか」
キュイ! キュイ!
『セキュリティシステムが作動しました_警戒エリアですので退去してください_繰り返します』
オレの脳内を警戒アラートが盛大に喚き立てた。
「す、ストップストップ! なんかよく分からんがよーく分かった!」
「そう?」
山口お前……、まだまだ子供っぽい所があるなぁと思ってはいたが。
いや、この時代の中学生女子って、このぐらいの純真無垢さがデフォだった記憶があるけど。
「で、どうなのかな。これって病気なのかな?」
「ええと」
こ、これ、本人は気がついてないだけなんだろうけど、完全に恋愛の初期症状じゃん。
ただその、これをオレが山口に伝えちゃって良いものなのか?
────いや良くない。(反語)
「そ、そう思うようになった、分かりやすいきっかけみたいなものって、何かあったりするか?」
「んー」
そこで山口は首を捻り。
「あ、この間の結婚式体験の時だね」
「と、言うと?」
「あの時ウェディングドレスで、トオル君の隣に立って写真撮ったじゃない?」
「うん」
「あの時、色んな想像がわーって浮かんできたのさ」
「た、例えば?」
「将来この人と結婚するとして、毎日の食生活とか、音楽を楽しんでるシーンとか」
「うん」
「テレビドラマでたまに見る、夜の生活とか」
キュイ! キュイ!
『セキュリティシステムが作動しました_警戒エリアですので退去してください_繰り返します』
うおお、これオオトモ様からの警告音じゃないよねぇ!?
(ん? わしゃ何にもしとらんが)
(ですよねぇ!?)
オレが酸欠気味になって俯くと、山口が下から覗き込んできた。
「なんか大丈夫? ボクいま変なこと言ったかなぁ?」
「いやその、変じゃないと言うか、生物としては当たり前と言うか」
「生物?」
「詰まるところ、せいしょ」
「聖書?」
『生殖行為』って言いかけたオレを、誰かぶん殴ってください。
「あー、山口、悪いんだけど」
「ボクが悪いの!?」
「いやゴメンそうじゃなくて」
「じゃあトオル君が悪い?」
「……そうかな? そうかも。ある意味オレが悪いとも言えるしな」
「? つまりどういうコトさ!?」
その時。
詰め寄ってきた山口に気圧されたオレは、自分の足にもつれて仰向けに倒れた。
「わっ!」
そこへ、助けようとしてくれたのだろう山口が、オレの制服を掴んだまま────。
ドシン!
二人して一緒に転んでしまった。オレが下、山口はオレの上。
とは言え、端から見たら完全に事案である。
「だっ、大丈夫か山口?」
「 」
「おい?」
「すぅー」
なんか吸われてる!
「……ねぇ、トオル君」
「な、なんだ?」
「今ってなんか香水とかつけてる?」
「? いや別に」
「そうなんだ? でも、……すぅー」
「お、おい」
「なんでこんな安心できる匂いがするんだろ。不思議」
うん、やっぱりこれって、生物としての本能の分野だわ。
動物が相手を危険かどうか判断する一要素として、「匂い」とか「体臭」、それと相手が纏う「生活臭」というのもあると聞いたし。
元中年男性としては、体臭については可能な限り対策していたつもりだが。
「あー、おちつくー」
『男性フェロモン』と言う名の香水に当てられてしまった小動物、ここに爆誕。
「このまま、トオル君を自由にしてみたいなぁって気分が」
「何をどう自由にする気だ」
「人の体って暖かいんだね」
「そうだな」
「あおちゃんもあの時、こんな気持ちだったのかなー」
「 」
「ふふ、これからはちょくちょく吸わせてね?」
去年、駅で青野を抱きすくめてしまった事、まだ覚えてたのか。
それはともかく、猫吸いみたいなこと言ってるよ、この子……。
「誰も見てない時と場所限定でな」
「いいの?」
「良いも悪いも無いと言うか……。所で、頭の中のオレは消えたのか?」
「んー? ……んーん、なんかよりハッキリしちゃったみたい」
「逆効果だったんじゃないかこれ」
「ちょっと違うかなぁ」
そこで山口はオレを真っ直ぐに見た。
少しばかりトロンとした目の、しかしいつもの山口がそこにいた。
「不足していた栄養素を、たっぷり摂った気分かな。足りないから求めてた、みたいな」
「今は補充できたのか?」
「うん」
「なら良かった、……のかなぁ」
「これなら当分、トオル君のことが気にならなくなると思うよ」
こういう肉体的接触は、極力避けたいと思っていたんだけどなぁ。
夏の旅行の時、山口がオレの腕枕でスヤスヤ寝ていた姿がふと思い起こされた。
過去に一度体験してしまった後では、それも無意味か。




