18.虫とか餅とか
試合後にまた一礼をしながらも、木崎の口もとはムズムズと笑みを隠せない様子だった。そして頭を上げるとほぼ同時に、思い切りこちらを振り返る。
しかし次の瞬間、木崎の笑顔は険しい驚愕の表情へと変わった。据わった目でズンズンと大股で近づいてくる姿、デジャヴだろうか。
「日牧!!」
あ、しまった。イケメンの柔道着をまだ握り締めたままだった。興奮して前のめったせいで、ほとんど後ろから背中に縋りつくような格好になってしまっている。
違うんだ、オレが好きなのはおまえなんだ。おまえも負けないくらいイケメンだぞ。身長はおまえのほうが勝ってるじゃないか! 何を言えばいいのか分からず、日牧は脳内でさまざまな言い訳を浮かべては却下し、慌てふためいていた。
「何やってんだよ!」
木崎が男の手首を掴んだ。ヤバい、場外乱闘はシャレにならない。しかもオレを取り合って? それってどんな喜劇? けれども男は相変わらずイケ散らかした微笑みを浮かべたまま答えた。
「おめでとう。ただ、前半の動きは非常に散漫だったね」
ひいぃ。怒れる木崎に駄目出しとかしてやがる。やめてやめて、刺激しないで。だが木崎は、グッと言葉を呑み込むように手を離して頭を下げた。
「……ハイ」
お? すごい、イケメンがヒグマを軽く制圧している。2人のやり取りを下からキョロキョロと見上げる日牧。しかしまだ男の柔道着にへばりついていたものだから、木崎はそれをまるで手荷物を持ち上げるかのように引き剥がして自分のほうへと寄せた。
「日牧、まさか見に来てくれるなんて。嬉しい」
「あ、うん……」
「日牧の声聞こえた。柔道に頭突きは無いって、前にも教えただろ」
「……そうだっけ?」
ソワソワしているのは日牧1人だ。謎のイケメンは、2人を微笑ましく見守っているようである。ちなみに体育館中央の畳の上では、また次の試合が始まっており、再び大きな歓声があがっていた。
「ところで日牧、どうしてじいちゃんといっしょにいたんだ?」
「え、ああ、じい……、…………、ん? じ……??」
え!!!
日牧はこれ以上開けないほどに目も口も大きく開いて後ずさった。
じいちゃん?!
このイケメンが、木崎の?!
はあーーーっ?!
じいちゃんって祖父って意味だよな? グランパ? これが? いや勿論年上だとは思っていたがそこまで上? どこまで上? 嘘だろ?!
あんぐりと固まってしまっている日牧に、木崎は慣れたように軽く溜め息をついて頭を掻いた。
「あー、知らずに喋ってた? うちのじいちゃん見た目が異常に若くてさ。よく父親と間違われるんだ」
父親だとしても若い気すらするけれど。まさかこの人が柔道の死神、道場の主だったとは。柔道ってアンチエイジング効果があるのだろうか。
「こんにちは日牧くん。ご挨拶が遅れました」
「ふぁいっ!!」
日牧は跳ね上がって両手を揃え直立した。ご挨拶が遅れたのはこちらのほうです、お孫さんにはいつもお世話になっています、お宅にはよくお邪魔させていただいております、などとグルグルと頭に上っ面の台詞が回るものの、上手く口から出てこない。
「木崎道場の師範をしています。これの祖父です」
「そ、そふ……」
「日牧くんのことは知っていました。道場からは玄関のほうがよく見えるんですよ。もし良かったら、今度中へも顔を出してくださいね。また僕の後ろにいてもらっても構わないので、是非」
「う、うしろ……」
右手で自分の左肩をポンと押さえて軽く背中を向け、絶妙な角度から日牧に視線を送る木崎祖父は、もはやモデルかハリウッドスターかのような趣があった。仕草も表情もいちいちカッコ良過ぎるし、妙な色気まで感じる。
ポヤンと見惚れる日牧の視界を、木崎は覆い隠すように前に出た。
「じいちゃん、オレ今日はこのまま日牧と帰るから」
「片付けと懇親会は」
「勝ったら免除の約束!」
「……まさか勝つとはなあ……」
顎を押さえて眉をしかめるイケメンの顔を木崎の腕の隙間から目に収めて、日牧はとりあえずお辞儀だけはどうにか果たすことができた。
祖父だったのか……
あと覚え間違えていたけれど、柔道の死神じゃなくて柔道の師範だったっけ……
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「日牧、試合……どうだった? 怖くなかったか?」
日牧を連れて控え室へ向かいながら、木崎は心配そうに尋ねた。日牧は素直に返事をする。
「……ん、……やっぱ怖かった。音とか、人が倒れるのも」
「苦しくないか? 吐きそうじゃない?」
急いで日牧の背中をさする木崎。だが言われてみれば今日は、過呼吸も吐き気もまだ気配を見せずに済んでいる。以前は争いを想像するだけでフラついていたのに。
「平気、ありがと。木崎くんのじ……、おじいさんのことでビックリしたし、なんかそれどころじゃなかったのかも」
日牧が笑って見せると、木崎は立ち止まった。下がり眉のおかしな顔をしている。
「どうしたの?」
「……ひま」
「ん?」
「……じ、じいちゃんのこと、オレより好きにならないで」
「は?」
何を言っているんだコイツは。じーさんだぞ? まあ確かに、ちょっとポッとかキュンとかしてしまった気はする。誘い寄せられた挙げ句くっついてしまったり。あの人からは何と言うか、羽虫を惹きつける甘ったるい花の蜜の香りのようなものが漂っているのだ。それで言うと日牧は完全に虫けら目線なのだが。
「じいちゃんは、家族から見てもちょっと特殊と言うか……。北欧のほうの血が半分入ってるせいかあんな見た目だし、なんか昔から特別で。しかもあれで驚くほど強いし、誰も敵わなくて……」
ボソボソと木崎は語った。そうか、やっぱり特殊なのか。そうだよな、家族でさえそう思うくらいなんだから日牧が抗えなくても無理は無い。コクコクと日牧は頷いた。しかし不安そうな木崎にハッとし、速やかにフォローを入れてやる。
「何言ってんの! 人ん家のおじいさん相手にそんな、僕のこと何だと思ってるんだよ! ……木崎くんを見に来たんだよ僕は、怖くても来たの!」
本当はもう試合が終わってくれていることを願っていたのは秘密にしておこう。思えばちょうど良いタイミングであった。
木崎はホッとして胸を押さえ、はにかみながらその場で両手を広げた。
「良かった。日牧に見てもらいたかったんだ、黒帯」
「?」
黒帯? 柔道着の上から巻かれている腰紐みたいなヤツだろうか。言われりゃ黒いが、はて?
「……えと、人気の色なの?」
「…………」
ガックリと項垂れる木崎に、このあと白帯と黒帯の説明を受けはしたのだが、門外漢過ぎて日牧はずっと頭を捻っていた。
そのあとも着替えにつきあいながら、今日の試合の話を聞いていた。木崎の対戦相手は実は、国内ランキング上位の選手だったらしい。それがどのくらいすごいことなのかも、やはりそれほどピンと来ないけれど。
だから勝てるわけがないと、木崎本人も周囲も、木崎祖父も思っていたのだとか。体の大きさだけで強さが決まるわけではないと知り、柔道の奥深さにますます混乱してしまう。
「でも日牧の頭突き発言で相手も笑っちゃってさ。その隙をついて勝てた感じ。相撲で言うと大金星」
相撲も当然分からない日牧には星が大なのか金なのか、そもそも星とは何なのかすら不明だが、柔道から相撲にまで話を広げてしまってはもう収拾がつかないため、とりあえず頷いておいた。そして一応、申し訳なさそうに尋ねる。
「……僕、試合の邪魔になっちゃった?」
けれども木崎は楽しそうに答えた。
「今日は何を言ってもいいルールだから大丈夫。周りの声で気が散るか力が湧くかは選手次第だ。オレは日牧のおかげであんな格上の選手に初めて勝てたから、感謝してる」
いいならいいか。ロッカー前のベンチに腰かけ足をプラプラさせながら、日牧は木崎を見上げていた。柔道着を脱ぎ、Tシャツに腕を通しながらこちらに柔らかい笑い顔を向ける木崎。やはりどこか、さっきの木崎祖父の微笑みとも似ている気がする。
「苦手な場所なのに来てくれてありがとう、日牧。すごく好きだ」
奥の磨りガラスの窓から入る日射しが、木崎の薄い虹彩に一層の光を与えてクラクラと日牧を眩ませた。
ところが日牧は、赤みと青みの両方を顔面に浮かべ、かすかに眉根を寄せてしまっていた。やや青みが勝っているかもしれない。会心の愛の言葉に微妙な反応を返されて、木崎は半裸のまま挙動不審になっている。
「ひ、ひま……?」
すまん。こうしてあらためて上半身の筋肉を目の当たりにして、さっきからまあまあドン引いているのだ。人間の腹ってこんなに見事に割れるものだったのか。チョコモナカかよ。
生まれたときから変わらずぽっこりと丸い己れの腹に思わず手をやり、その柔らかさに日牧は静かに目を閉じた。例えるならば、それは鉄と餅であった。
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