19.あーあ、きっと
市民体育館を出ると、木崎はどこかおずおずと日牧に左手を差し出した。
「日牧、このあと時間ある?」
「? ……うん、別に何も無いけど」
握手を求めているようにでも見えるが、左だし、少し雰囲気が違っているようだ。木崎の頬は少し赤らんでいる。照れているというよりも、緊張しているのかもしれない。
「……デート、こないだの。続き……行かないか?」
「え!」
先日のデートは、半分までしか達成されなかった。途中で日牧がキレてしまったからだ。その節はすまん。
「第2候補地があるって言ったの覚えてる? 実は、このすぐ近くなんだ」
日牧は伸ばされたままの木崎の左手をじっと見つめた。そうだった。デートでは、手を繋ぐものと決まっているんだった。
「うん、行く!」
下唇を噛みながら右手を重ねる日牧に、木崎はホッとしたように、そして心底嬉しそうにギュッとそれを握った。いや痛いって、強いって。
なのにニヤけてしまうのだから、本当に訳が分からない。
10分少々ほど歩いた先、アシンメトリーの少し古い建物の前で木崎は立ち止まった。TVの地方番組などでよく見かけたことがある。
「……え? ここ、市役所?」
「入ろ」
木崎は慣れたように日牧の手を引く。市役所って何をするところなんだろう。税金等の手続きで、面倒臭いとぼやきながら母が時々赴いていたのは知っている。他には元父親との離婚問題の折にも、確か何度か。今日は税金も離婚も関係無いだろうから……
……え!
まさか婚姻届?!
オレたち結婚しようとか、そういう?!
うわうわ、どうしよう!!
日牧は1人で興奮していた。まだ15歳なんだけどな。でもまあやぶさかでないと言えば、うん。……えーっ、でもなーっ、急にそんな、えーっ?
しかし入口を入ってすぐ、市役所の1階は薄暗くしんとして、窓口はすべて閉まっていた。土曜日じゃねーか。休みじゃねーか。消沈する日牧に構わず、木崎は細い通路の奥へと手を引っ張って行く。何だ? エレベーター?
「時々だけど、ここ上るんだ」
最上階のボタンを押す木崎。エレベーターのドアが開くと、そこには窓一面に青い空が広がっていた。
「わあ……!」
吸い寄せられるように日牧は窓へと進む。周りには何組か、家族連れやカップルなどもいるようだ。
「この街で1番高い場所。ほら、下がよく見えるだろ」
この田舎街には、高層ビルやタワマンなど高い建物はそうそう無い。それでも市役所自体が少々標高のある土地に建てられているせいもあり、思いの外見下ろす街は小さかった。
「初めて来たここ! 市役所の上って展望室になってたんだ?」
「誰でも入れるんだ。意外と穴場。オレの好きなところ」
「へえー、知らなかった!」
先ほどの体育館も、向こうには駅も駅前商店街も見える。日牧たちの学校はどこだろう。日牧の団地は? 木崎の家は? 何だかワクワクしてきて、日牧は窓に張りついて景色を見渡した。
「木崎くん高いところ好きなの?」
思えばもう充分普段から高い世界に住んでいると思うのだけれど。少なくとも日牧よりも30センチは。だが木崎はどこか遠慮がちに遠くに目をやった。
「……ここにいれば、あんまり目立たないから」
「え?」
そして、少し自嘲気味に零す。
「ここでは皆、目線が高いから。上を見るより下を見るんだ。普段はよく怯えた目で見上げられる。でも高いところにいれば、それが減る」
「……下を?」
フロアをグルリと見回すと、木崎の言う通り皆それぞれ楽しそうに眼下に広がる景色を眺めていた。高いところにいると、自分も大きく偉大になったような気もしてくるから不思議だ。
日牧からすれば羨みと妬みの対象でしか無いけれど、目立ちたくないとかスズメになりたいとか、木崎はこの見た目で想像以上に苦労をしてきたのだろう。人それぞれ、悩みや苦しみって違うものなんだなあ。
「……僕も、木崎くんのこと誤解しちゃってたもんね。ゴメンね」
木崎は微笑み、繋いだほうの手を腕ごとすり寄せてきた。半袖同士の肌がしっとりと触れ合う。
「オレも。誤解してた、日牧のこと」
「え?」
「やさしくておとなしくて、か弱い委員長かと思ってた、最初」
「う……」
「でも、今のほうが好き」
「うぅ……」
体の片側を密着させ、このまま溶けて1つになるんじゃないかと思うほどに、2人は互いに身を預けていた。ゆっくりと木崎が顔を向ける。誰だこのとびきり甘くゆるんだ顔を、恐ろしい強面野獣だなんて思っていたヤツは。
「日牧とつきあえて幸せ。奇跡みたい」
うううぅーー……っ!!
最後の呻きは声にならなかった。脳の酸素が足りない。オレだって好きだ。オレだって幸せだ。いつからどうしてこんなに大切になってしまったのだろう。
日牧は手を繋いだまま、ふらりと半歩横にズレて木崎の胸に顔を埋めた。周りは皆、下を見ているはずだからいいだろう。
「ひま……?」
「あの……木崎くん、デートのね、第1候補地……も、あったでしょ?」
「あ、ああ、あれは……」
「……来る? うち」
「えっ! いいのか?!」
日牧は胸板に顔を擦りつけるように頷いた。そしてそのまま早口で息継ぎもろくにせず必死に言い訳を補足する。
「でもホントに狭いからね! 木崎くんが思ってるよりずっとうち貧乏だから! 木崎くん家の1億分の1くらいの1DKだし襖開けてたら家中全部見えるしボロいし古いし何にも無いしでも染みとかはあるし! ホントは見せたくないんだけど……っ、カッコ悪いんだけど……っ」
ひいひいと泣き言を連ねる日牧。けれどももう1度、意思だけはしっかりと告げておきたい。
「……それでも良かったら。木崎くんになら、……見られてもいい」
「ひま……っ!」
満面の笑みで木崎は日牧の頭に手を回し、そのまま愛おしそうに髪に口づけた。ホントに周りはこっちを見ていないんだろうな? 下だけしか見ていないんだろうな?
「……日牧はやっぱりすごい。見たくなかった柔道の試合を見に来てくれて、見せたくなかった家も見せてくれる。簡単じゃない。か弱いどころか、本当に強いんだな」
「……そ、そんなわけ……」
心の弱さにだけは絶対の自信があるほど、自分は弱い人間だと思っていた。今も思っている。強くなってみたかった。まさかほんの少しだけ、叶ったのだろうか。木崎とつきあったおかげで?
だとしたらオレのほうこそ、奇跡みたいだ。
「で、でも……、木崎くんにはもう本性も全部見られちゃってるし、あとは何を見せたって今さらだよね、……へへ」
少し顔を離して、日牧は照れ臭そうに頭を掻いた。すると木崎は背中を丸め、髪に触れていた唇を日牧の耳のすぐそばにまで移動させた。熱くてくすぐったい。
「……じゃあ、他にも見たいとこあるんだけど」
「え? まだ何かある?」
「…………して、…………とか、…………も……」
吐息に紛れさせてボソボソと、木崎は小さく低く囁いた。日牧の顔がボカンッと壊れたおもちゃのような音を立て、真っ赤な炎を噴き出してショートする。
「ケッ……、ケダモノーーーーーっ!!!」
やっぱり野獣だ!ヒグマだ! 犬だ! いやもっと何かヤバい何かだ!! 野生動物は懐いて従順に飼い馴らせたと思っていても、気を抜くと襲われることがあると聞いた。これか! 今か! ヤバいぞ誰か助けてくれー!!
景色に夢中になっていたはずの周囲の目が一斉にこちらへ注がれる。こっちを見るな! オレの大声のせいだけど! ご迷惑をおかけして申し訳ありません!!
「…………駄目?」
上から器用に上目遣いをするんじゃない。おねだり顔がカワイイのが嫌だ。情に絆されたら終わりだぞ。
「そっ……、そんっ、そんなこと言うなら、うちも無し!!」
「え!! それは嫌だ!」
「だったら今のは無し!!」
「えー?」
「テメー普段からそんな恥ずかしいこと考えてやがったのかよ!!」
「ひま、本性出てる」
「……か、考えていたの、かい?」
「フハハハ、何それカワイイ」
「うるせー!! とにかく駄目! エロ!」
「……分かった。諦めるから日牧の家は行きたい」
「諦めるならいいけど……」
「……今はまだ我慢する。でも、将来的にはいい?」
「ううぅ……、しつこい……!」
大小の動物同士がじゃれつくように日牧と木崎は、腕や上体を絡ませたり逃げたりまた揉み合ったりしながら、展望室をあとにした。もしかしたら軽く喧嘩でもしているように見えていたかもしれない。
エレベーターの中でもひたすら言い合い小突き合い、ときには軽く足を蹴ったりなんかも。日牧は誰かとこんな風に、小競り合うような接触など1度もしたことが無かった。
相手を信じていられたら、少しも怖くないんだな。
いや、たとえ怖くても構わない。
オレの今後の平穏は、全部おまえにくれてやる。
あーあ、きっと楽しい。
fin.




