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がけっぷち新人SE、資産形成を始めたら人生が変わり始めた件  作者: しばたろう


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08NISA

「それはなかなか、大変そうだね」

 

 山下さんは、どこか嬉しそうに目を細めて笑った。

 

 いつもの居酒屋。

 漣はジョッキを片手に、転職先のアークシステムインテグレーションズでの奮闘ぶりを報告していた。

 

「笑い事じゃないですよ。毎日、ものすごいプレッシャーなんですから」

 

 溜息混じりに零すと、山下さんは動じない様子でグラスを傾ける。

 

「でも、そのリーダーの遠藤さん? 厳しいながらも指摘は的確なんだろう。良い上司に当たったんじゃないかな」

 

 遠藤の放つ威圧感は、相変わらずだ。

 だが、確かに仕事のキレは凄まじい。めげずに質問をぶつければ、突き放すような口調ながらも、本質を突いた答えが返ってくる。

 

「……まあ、そうなんですが。まあ、頑張りますよ」

 

 漣は自分を鼓舞するようにビールを飲み干した。

 ふと、先日入門書を読んで抱いた疑問が頭をよぎる。

 

「ところで、山下さん」

「ん?」

NISAニーサって、どうなんですか?」

 

 山下さんの顔つきが、少しだけ真剣なものに変わった。

 

「いい質問だ。NISAは、佐藤くんの資産形成における計画の中心になると思うよ」

「そうなんですね!」

 

 いよいよ真打ち登場か、と漣は身を乗り出した。

 

「結論から言うと、NISAのつみたて投資枠を使って、毎月いくらかを外国株式の『インデックスファンド』という投資信託に充てるのがいい。銘柄は『S&P500』か『オルカン』のどちらかにしておけば間違いないだろうね」

 

「……すみません。山下さんが何を言っているのか、一言も分かりません」

 

 漣の正直な告白に、山下さんは「そうだね」と苦笑した。

 

「順を追って話そうか。NISAというのは、基本的には株式投資の話なんだ」

「株式投資」

「そう。通常、株で利益が出ると、その利益に対して約二十パーセントの税金が取られるんだよ」

「二十パーセント? 結構高いですね。日本政府、ひどくないですか?」

 

 思わず素直な感想が漏れる。

 

「ははは。まあ、そう思うよね。そこでNISAという仕組みの出番だ。これを使えば、その利益にかかる税金がゼロになる」

「それは、いいですね」

「ただし、上限がある。NISAには二つの枠がある。『つみたて投資枠』で年間百二十万円、『成長投資枠』で二百四十万円。合計で三百六十万円まで、非課税で株が買える。そして、生涯で合計千八百万円までという枠が決まっているんだ」

 

「千八百万円……すごい金額ですね。想像もできない」

 

 漣にとって、それはあまりに遠い数字だった。

 

「そうだね。で、初心者がまず使うべきなのが『つみたて投資枠』だ。毎月一定額をコツコツ積み立てる投資枠なんだ。」


 山下は、漣が話を呑み込むのを待って続けた。

  

「これには制限が二つある。一つは、購入額が毎月最大十万円までであること。二つめは、購入できる商品が『初心者向けの比較的リスクが低いもの』に限定されていることだ」


「それは、なぜです?」


「そもそも、初心者が安全に資産形成をすることを目的とした制度だからだよ。全財産を怪しい株に突っ込んで破産、なんてことにならないように設計されているんだ」

 

 なるほど、と漣は頷いた。

 

「そこで選ぶのが『投資信託』だ。特定の会社の一点買いは、その会社が倒産すれば紙屑になるリスクがある。でも投資信託は、いろんな会社の株を詰め合わせにしたパック商品なんだ。これを『分散投資』と言うんだけど、一社がダメでも他でカバーできるから、値動きがマイルドになる」

「初心者向け、というわけですね」

 

「さらに、その『投資信託』には二種類ある。プロが儲かりそうな株を選ぶ『アクティブ型』と、市場全体、すなわち、いろんな会社の株価の平均点を目指す『インデックス型』だ。

 佐藤くんは、迷わずインデックス型を選ぶべきだね。手数料が安いし、実は長期で見ると、プロが選ぶよりも平均点を目指す方が成績が良いことが多いんだ」

 

 漣の頭の中で、バラバラだったパズルのピースが繋がり始めた。

 

「これまでの話をまとめると、佐藤くんは『NISAのつみたて投資枠』で、『インデックス型の投資信託』を、毎月コツコツ買っていくのが正解、ということになる」


「なるほど。分かりました。……で、さっき言ってた『S&P500』とか『オルカン』っていうのは?」

 

「インデックス型の中でも特に人気のある二つだね。米国の主要五百社――アップルやグーグル、アマゾン、マクドナルドなんかに投資するのが『S&P500』。対して、米国を含め、日本や欧州など世界中の約三千社に投資するのが『オールカントリー』、通称『オルカン』だ」

 

「アメリカ中心か、世界中か、の選択ですね」

 

「その通り。ただ、実はオルカンの構成比も、六十パーセント以上は米国の企業なんだ。だから、どちらを選んでも中身に大きな差はない。好みと言えば好みだけど、より広く分散が効いているオルカンの方が、初心者向けとは言われているね」

 

 山下さんの丁寧な解説を反芻する。

 

「……ようやく、山下さんの言っていることが理解できた気がします。つまり、俺はNISAでオルカンを積み立てればいいんですね」

 

「正解だ」

 

 山下さんは満足そうに頷き、再びジョッキを掲げた。

 

「オルカンもそうだけど、株を買うには、まず、証券会社に口座を開かないといけない。いまは、ネットの証券会社が主流だね。

人気があるのは、SBI証券か楽天証券。

佐藤くんの場合、楽天をよく使っているようだから、楽天証券がいいんじゃないかな。」


「ありがとうございます。早速、楽天証券で口座作ってみます」


新しい扉が開く予感に、漣の胸が高鳴る。

 

 

「ところで、」

 

 漣は身を乗り出した。

 

「オルカンって、実際どれくらい儲かるんですか?」

 

 鼻息が荒い。手取り十九万の生活から抜け出すための「魔法の杖」を見つけたような、そんな期待が顔に出ていた。

 

 山下さんの目が、ふっと鋭く光る。

 

「うん。

 今の佐藤くんの入金力じゃ、……たいして、儲からないよ」

 

 漣は拍子抜けして、持っていたジョッキを倒しそうになった。

 

「え、どういうことですか? さっき、いい制度だって言ったじゃないですか」

 

「うん。オルカンやS&P500は、超ざっくり言うと、年平均五パーセントから十パーセント程度値上がりする。銀行の定期預金がせいぜい一パーセント未満なのを考えれば、十倍以上のパフォーマンスだ。そこは間違いない」

 

「すごいじゃないですか」

 

「数字だけ見ればね。でも具体的に考えてごらん。例えば今、十万円分のオルカンを買うとする。調子が良いと一年後に十一万円になっている、ということだ。もちろんこれは長期の平均だから、単年では下がることもあるけどね。とにかく、運良く一万円の利益が出たとして、それを売れば一万円の儲けだ」

 

「……一万円」

 

 漣は頭の中で計算した。

 

「一年かけて、ようやく一万円……。一日バイトすれば稼げそうな金額ですね」

 

「そうなんだ。だから『たいして儲からない』と言ったんだよ」

 

「それじゃあ、やる意味があるんでしょうか?」

 

 不満げな漣に、山下さんは諭すように言葉を継いだ。

 

「もちろんある。今の佐藤くんに大事なのは、手っ取り早く儲けることじゃない。淡々と毎月積み立てを続けるという『仕組み』を作ることなんだ」

 

「……以前も、そんな話をしてくれましたね」

 

「そう。そして、もう一つ大切なのは、何があっても『売らない』ことだ。世界経済が悪くなって暴落しても、我慢して売らない。逆に景気が良くなって値段が跳ね上がっても、欲を出して売らない」

 

「……なんか、怖い話ですね。じゃあ、いつ売ればいいんですか?」

 

「本当にまとまったお金が必要になった時かな。結婚費用とか、家を買うとか、子供の大学費用とかね。……それまでは、価格が上下した時の『自分の心の声』をよく聞くことだ」

 

「いきなり、精神論になりましたね」

 

「そう。株式投資はテクニックじゃない、メンタルの勝負なんだよ。人間誰しも、暴騰すれば利益欲しさに売りたくなるし、暴落すれば怖くなって投げ出したくなる。その揺れ動く気持ちを、何度も味わうんだ。そうして経験を積むうちに、いずれ上げ下げに動じないメンタルが出来上がる。それでようやく一人前の投資家だ。その境地に達するには、数年から、長ければ十年はかかる」

 

 十年。

 エンジニアとして一人前になるのと同じくらいの、長い年月だ。

 

「だから、早く始める、ということですね」

 

 漣は自分なりに納得して頷いた。だが、一つだけ懸念が残る。

 

「でも……株価が暴落して、二度と戻らないってことはないんですか?」

 

「個別株ならあり得る。会社が潰れればゼロだ。だからこそ、世界全体に投資するインデックス型を買うんだよ。世界経済そのものが終わらない限り、価値がゼロになることはないからね」

 

「なるほど……」

 

 深い。

 お金を増やすということは、自分自身の弱さと向き合い、長い時間を味方につけるという設計思想なのだ。

  

「……山下さん。俺、オルカン、始めてみます」

 

「いい心がけだね」

 

 山下さんは満足そうに頷き、最後の一口を飲み干した。

 居酒屋を出ると、夜の風は少しだけ冷たかったが、漣の胸の奥には確かな熱が灯っていた。

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