05転職活動
転職活動は、想像していたよりも、ずっと早く動き出した。
エージェントとの面談を終えたその日、
漣のもとには、いくつもの求人が送られてきた。
一覧を眺める。
――こんなにあるのか。
知らなかった世界が、そこにあった。
◇
最初に応募したのは、大手SIerだった。
名前を聞けば誰でも知っている企業。
一次受け。上流。待遇も申し分ない。
――ここに行けたら。
そう思った。
だが、結果は――
不合格。
メール一通。
理由は書かれていない。
画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
……やっぱり、簡単じゃない。
自分がどこにいるのか、思い知らされた気がした。
◇
その夜、漣は転職活動の報告を兼ねて、山下と飲むこととなった。
暖簾をくぐると、いつものように山下が先に席についていた。
席に着くなり、漣は切り出した。
「……大手、落ちました」
「残念だったね、佐藤くん」
「はい。さすがに、高望みしすぎました」
苦笑混じりに答えると、山下は楽しそうに肩を揺らした。
「はは。君は、ときどき大胆なことをするよね」
一拍置いて、にやりとする。
「三上さんのこととか」
「それは、言わないでください」
思わず頭をかく。
「俺、ちょっと無鉄砲なのかもしれません」
「いいじゃないか。若いうちは、怖いもの知らずくらいでちょうどいい」
軽くグラスを合わせる。
乾いた音が、小さく響いた。
◇
しばらく取り留めのない話をしたあと、漣は本題を切り出した。
「ところで……転職条件で、気になってることがあって」
「うん?」
「フルリモートって、どう思います?」
山下は、ほう、と少し意外そうに眉を上げた。
「なるほどね。確かに魅力的には聞こえるよね。出社しなくていいし、楽そうに見える」
「そうなんですよ」
うなずく。
だが、山下はゆっくりと首を振った。
「でも、佐藤くんには、あまりおすすめしないかな」
「……そうなんですね?」
◇
山下は、指を一本立てた。
「まず一つ。うちもそうだけど、一次受けSIerは、まだ出社前提が多いと思うよ」
「上流は顧客折衝がある。対面重視の文化も強いし、セキュリティの問題で出社必須も普通だ」
「フルリモートにこだわると、それだけで選択肢がかなり減る」
なるほど、と頷く。
◇
指が二本になる。
「二つ目。君はまだ経験一年だろう」
「今は“学ぶフェーズ”だよ」
「設計レビュー、仕様の詰め、ちょっとした雑談――そういうところから吸収するものが多い」
「リモートだと、それがどうしても薄くなる」
言葉が、静かに刺さる。
◇
そして、三本目。
山下は少しだけ視線を遠くにやった。
「これはね、けっこう大事だと思ってるんだけど――」
「うちでも、新人が何人かで集まって打ち合わせしたり、一緒に昼飯食ったりしてるんだよ」
「楽しそうなんだよな、ああいうの」
ふっと、柔らかく笑う。
「若いうちの仲間との時間って、仕事以上に残ることもある」
「そういう経験って、あとから効いてくるんだ」
◇
――たしかに。
ずっと一人で、家で仕事をする。
それは、少し想像がついた。
静かで、楽で。
でも――どこか、耐えられない気がした。
東京に出てきて、まだ友達も少ない自分には、なおさらだ。
◇
ふと、三上のことを思い出す。
隣の席で、何気なく言葉を交わしながら仕事をする日々。
あの時間は――確かに、心地よかった。
気づけば、口元がわずかに緩んでいた。
◇
「それにさ」
山下が、少し悪戯っぽく笑う。
「そういう交流の中から、彼女とか、将来の奥さんが見つかるかもしれないよ」
「……え?」
思わず顔を上げる。
まるで、自分の考えを読まれたようだった。
「な?」
山下は楽しそうに続ける。
「社内結婚って、今でも普通にあるよ」
「そうなんですね……」
「彼女が欲しい佐藤くんには、フルリモートはおすすめしないかな」
にやり、と笑う。
図星だった。
何も言い返せない。
「次は、もう少し現実を見て、応募します」
「もちろん、リモートワークの条件は、無しで」
「うん。後悔の無いように、焦らず進めれば良いと思うよ」
進む方向は、はっきりと見えていた。
◇
次に応募したのは、中堅のSIerだった。
現実的なライン。
それでも、一次受けの案件を持っている会社だ。
書類は、通った。
ほっとした。
――まだ、戦える。
一次面接。
現場のリーダーとの対話。
技術の話も、仕事の進め方の話も、噛み合った感触があった。
通過。
そして、最終面接。
部長クラスの男が、静かにこちらを見ていた。
「なぜ、一次受けにこだわるのか」
真正面からの問い。
漣は、言葉を探した。
用意してきた答えはある。
だが、それをそのまま言うのは違う気がした。
「……自分の価値を、上流で試したいと思っています」
少しだけ、間があった。
面接官は、表情を変えない。
それでも、最後まで話し切った。
手応えは、あった。
――いけるかもしれない。
そう思った。
だが。
結果は――
不合格。
最終で落ちた。
その事実が、静かに突き刺さる。
悔しかった。
あそこまで行って、届かなかった。
自分に、何が足りなかったのか。
答えは、まだ見えない。
だが――
確実に、何かが足りない。
◇
エージェントとの面談で、フィードバックを受ける。
「悪くなかったですよ。ただ――」
一拍、置かれる。
「“なぜ上流なのか”が、少し弱かったですね」
核心だった。
漣は、黙ってうなずく。
「あと一歩でした」
その言葉が、余計に悔しさを増幅させる。
◇
いつもの居酒屋。
暖簾をくぐると、油と醤油の匂いが鼻をくすぐる。
仕事帰りの喧騒の中、漣と山下はいつもの席に腰を下ろした。
◇
「いけたと、思ったんですよー」
漣が、ジョッキを片手にぼやく。
「今日の佐藤くんは、ちょっと愚痴っぽいね」
山下は苦笑しながら言った。
「でも、惜しいところまで来てるんだろう。めげずに続ければいいと思うよ」
今日は、完全に慰め役だ。
「ええ。がんばりますよ。がんばりますとも!」
そう言って、ビールをぐいっとあおる。
喉を通る冷たさだけが、やけに鮮明だった。
◇
「でも――」
ふと、漣は視線を落とした。
「俺はまだ、転職するには、やっぱり経験が足りないんですかね」
一拍。
「もう少し、今の会社で経験を積んだほうがいいんでしょうか」
◇
山下は、少しだけ間を置いた。
そして、短く答えた。
「いや」
視線が、まっすぐに向けられる。
「今、動くべきだ」
◇
その言葉は、迷いがなかった。
漣は、思わず顔を上げる。
◇
「理由は三つあるよ」
山下は、指を一本立てた。
「まず一つ。若手は、今が一番価値が高い」
「だいたい一〜三年目は、ポテンシャル枠で見てもらえる」
「未完成でも評価される時期だ」
淡々とした口調。
「逆に言えば、それを過ぎると、“できて当たり前”で見られる」
ぐさり、と刺さる。
◇
指が二本になる。
「二つ目。AIの変化は、待ってくれない」
「これからは、開発そのものの価値は下がっていく」
「その分、設計や上流の価値が上がる」
グラスを傾けながら続ける。
「一年後、同じ経験を積んでいたとしても――」
一拍。
「その価値は、今より下がってる可能性がある」
◇
三本目。
山下は、少しだけ真剣な表情になった。
「これが一番大事なんだけど」
「今の会社で、上流に触れる機会はあるのか?」
問いだった。
漣は、言葉に詰まる。
――ない。
答えは、分かっている。
「設計や顧客折衝ができるなら、残る価値はある」
「でも、そうじゃないなら――」
山下は、静かに言い切った。
「ただコーディングを一年積んでも、評価はほとんど変わらないよ」
◇
沈黙が落ちる。
店内のざわめきだけが、遠くに聞こえる。
◇
漣は、ゆっくりと息を吐いた。
頭の中で、言葉が整理されていく。
――今が、一番価値がある。
――AIは待ってくれない。
――このままでは、変わらない。
◇
「……じゃあ」
顔を上げる。
「転職活動を続けるべきってことですね」
山下は、うなずいた。
「そういうこと」
一拍。
「経験が足りないことは隠さなくていい。それよりも、その会社で何をやりたいのかをしっかり伝えることが大事だよ」
シンプルだった。
だが、迷いはなかった。
◇
漣は、グラスを手に取る。
少しだけ、力を込める。
――やるしかない。
そう、思った。




