03告白と5キロのお米
会社の外。
少し早足で近づき、声をかける。
「三上さん」
三上が振り返る。
「佐藤くん? どうしたの?」
――今しかない。
そう思った。
ここで言わなければ、きっと一生後悔する。
胸の奥で何かが弾けた。
「……あの、いきなりで変かもしれないですけど……三上さんのこと、好きなんです」
言った。
言い切った。
三上は、少しだけ困ったように目を伏せる。
そして――
「……佐藤くん。気持ちはすごくうれしい。でも、ごめんなさい」
――ああ。
終わった。
何かが、音を立てて崩れた気がした。
「……」
言葉が出ない。
情けないくらい、何も言えない。
ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
「……」
三上も、少し言葉に詰まる。
そして、ふっと表情を緩めた。
「あのね、佐藤くん。ちょっとだけ、話しようか?」
その声音は、どこまでも優しかった。
――やっぱり、この人は。
蓮は、胸の奥が締めつけられるのを感じながら、うなずいた。
◇
近くの喫茶店。
漣は、三上咲と向かい合って座っていた。
向かいの席。
テーブルを挟んで、二人きり。
まるで――デートみたいだ。
ほんの少しだけ、そんなことを思ってしまう。
だが。
現実は、ついさっき振られたばかりだ。
胸の奥が、じわりと痛む。
嬉しいような、悲しいような、
どうしようもない感情が、ぐちゃぐちゃに混ざっていた。
三上はコーヒーを一口飲み、ゆっくりと口を開く。
「あのね……こんなこと言うと、混乱させちゃうかもしれないけど」
三上は、少しだけ視線を落とした。
「佐藤くんのこと、嫌いなわけじゃないの」
その言葉に、心が揺れる。
期待してはいけないと分かっているのに、
どこかで、すがりそうになる自分がいた。
だが、三上は続ける。
「でもね……私、もうすぐ二十六になるの」
静かな声だった。
「これから誰かと付き合うなら、将来のことをちゃんと考えたお付き合いをしたいって思ってるの」
まっすぐな言葉だった。
「もちろん、佐藤くんが頼りないとか、そういう意味じゃないよ?」
フォローのように付け加える。
だが、その言葉よりも――
その奥にある“覚悟”のほうが、強く伝わってきた。
「ただね……もう、時間があまりないっていうか。ちゃんと考えなきゃいけない時期に来てるって思ってて」
三上は、カップを持つ手を少しだけ強くした。
「転職するのも、そのためなの。次はね、二次受けのシステム会社で、もっと上流の仕事を任せてもらえることになってて」
その表情は、どこか凛としていた。
「私ね、女が生きていくには、ちゃんと手に職をつけないといけないと思ってるの」
迷いのない声だった。
「SEの仕事は、結婚してもしなくても、ずっと続けていくつもり。だからこそ、今、スキルを伸ばさなきゃいけないって思ってる」
その言葉には、強い意思があった。
逃げではない。
覚悟のうえの選択だ。
「佐藤くんは、私より二つも年下だし……」
ふっと、少しだけ柔らかく笑う。
「もっと、恋愛とか楽しめる時期だと思うの。私みたいな、重い女だと……ちょっと合わないんじゃないかなって」
静かに、結論が置かれた。
優しい拒絶だった。
◇
思っていた以上に――
三上咲は、現実を見ていた。
将来を、真剣に考えていた。
女だからこそ感じる不安も、きっとあるのだろう。
それでも。
それに流されるのではなく、自分の力で乗り越えようとしている。
その姿は――
まぶしかった。
それに比べて、自分はどうだ。
浮ついて。
勢いだけで告白して。
何も考えていなかった。
急に、自分がひどく幼く思えた。
◇
――だが。
ふと、山下の言葉がよみがえる。
『若さは、宝だ。』
三上は、その“宝”を、全力で使っている。
時間を無駄にせず、
未来のために、今を選んでいる。
その姿が――
どうしようもなく、輝いて見えた。
そして。
――要するに。
今の俺じゃ、足りなかったってことだ。
胸の奥に、じわりと熱いものが広がる。
悔しい。
情けない。
「でも、佐藤くんの気持ち、すごくうれしかった。ありがとう」
三上は、最後にもう一度、そう言ってくれた。
本当に、優しい人だと思った。
だからこそ。
中途半端な気持ちで向き合わないのだろう。
「あの……三上さんのこと、応援しています。次の会社でも、頑張ってください」
言葉にすると、不思議とすっとした。
これは、強がりじゃない。
本心だった。
「うん。ありがとう」
柔らかく、ほほ笑む。
その笑顔が、まぶしかった。
少しだけ、目をそらす。
この人には、もう追いつけないかもしれない。
――いや。
今は、まだ届かないだけだ。
「……俺も、頑張ります」
小さく、そう付け加えた。
三上は、ほんの一瞬だけ驚いたように目を見開き――
すぐに、ふっと笑った。
「うん。応援してる」
軽く手を振る。
「じゃあね、佐藤くん」
「はい。お疲れさまです」
三上は、そのまま駅のほうへ歩いていく。
迷いのない背中だった。
やがて、人混みに紛れて見えなくなる。
完全に、いなくなった。
胸の奥が、少しだけ空っぽになる。
――でも。
さっきまでとは、少し違った。
ただの喪失じゃない。
何かを、受け取ったあとの静けさだった。
息を、ひとつ吐く。
空を見上げる。
夜は、思ったよりも澄んでいた。
◇
翌日。
出社してすぐ、漣は少しだけ身構えていた。
三上と、気まずくなるのではないか――そんな不安があったからだ。
だが。
「おはよう、佐藤くん」
いつも通りの声だった。
特別なことは、何もない。
昨日のことなど、なかったかのように。
「……おはようございます」
拍子抜けするほど、自然だった。
さすがは三上さんだ、と素直に思う。
少しだけ――寂しくもあったが。
◇
それからの一か月は、あっという間だった。
引き継ぎ。
業務の詰め込み。
増えていくタスク。
その合間に、ふと顔を出す喪失感。
心は、ずっと落ち着かなかった。
それでも、手は止めなかった。
止めたくなかった。
◇
三上の最終出社日。
課内に人が集まる。
三上は、いつもと変わらない表情で前に立った。
「これまでお世話になりました。たくさんの経験をさせていただき、本当にありがとうございました」
簡潔で、無駄のない挨拶だった。
それが、三上らしかった。
拍手が起きる。
それで、終わりだった。
あっけないほど、あっさりと。
そのまま、三上は荷物をまとめて歩き出す。
出口へ向かう、その途中で――
一瞬だけ、視線が合った。
そして。
ニコッと、ほほ笑む。
ほんの一瞬。
それだけだった。
――私も頑張る。
――だから、あなたも。
そんなふうに、言われた気がした。
思い込みかもしれない。
それでも、十分だった。
◇
やっぱり、寂しいな。
心の中で、そうつぶやく。
未練がましい。
分かっている。
でも、簡単に割り切れるほど、軽い気持ちでもなかった。
それでも。
前に進むしかない。
◇
家に帰る。
玄関を開けると――
段ボールがひとつ、置かれていた。
送り主は、見慣れない自治体の名前。
――ああ。
思い出す。
ふるさと納税。
箱を開ける。
中には、米が五キロ。
ずっしりとした重みが、手に伝わる。
「……来たか」
小さくつぶやく。
これが。
自分で選んで、手に入れたものだ。
仕組みを知って。
実際に動いて。
その結果として届いたもの。
たったこれだけかもしれない。
でも――
確かに、一歩だ。
ほんの少しだけ。
前に進んだ気がした。
◇
翌日。
漣は、山下にメールを送った。
「ご無沙汰しています。続きのお話をぜひ伺いたく、近いうちにお時間いただけませんか?」
送信して、ほどなくして返信が来る。
「いいね。ちょうどいいタイミングだ。明日、どう?」
早い。
だが、その軽さが、ありがたかった。
「ぜひ、お願いします」
そう返すと、すぐに店の場所と時間が送られてくる。
――次のステップだ。
画面を見つめながら、静かに息を吐く。
失ったものもある。
でも。
手に入れたものも、確かにある。
漣は、パソコンから、
ゆっくりと、顔を上げる。
――進もう。
そう、思った。




