02ふるさと納税
「“ふるさと納税”って、知ってるかい?」
「ふるさと納税……? 聞いたことはありますけど、よくは知らないです」
「簡単に言うと、無料で、食料品なんかの返礼品がもらえる制度だ。もらえる量は年収に応じて決まる」
「それは……いいですね」
正直、かなり惹かれた。
「佐藤さんの年収だと、そうだな。米なら、年に十キロ前後ってところかな」
「お米がもらえるんですか? それは助かりますね。最近、高いですし」
思わず声が弾む。
――だが。
頭のどこかで、引っかかる。
(……一年で、十キロ?)
ありがたいのは間違いない。
だが――
(……思ったより、少ないな)
正直、期待していたほどのインパクトはなかった。
そんな微妙な表情を、山下は見逃さなかった。
「……ちょっと地味だと思っただろ?」
図星だった。
「はい、まあ……少しだけ」
正直に答えると、山下は軽く笑った。
「最初はそんなもんだよ。もらえる量は、少しずつ増えていく」
そして、少しだけ声のトーンを落とす。
「さっきも言っただろ。焦っちゃいけない」
「……」
「大事なのは、“量”じゃない。“仕組み”なんだ」
「仕組み……?」
「そう。毎年、安定して何かを得る。この状態を作る」
山下は指でテーブルを軽く叩いた。
「それを仕組みにしてしまえば、あとは放っておいても積み上がる。何年も続ければ、差はどんどん広がる」
「……なるほど」
さっきまでの話が、少しずつ繋がってきた気がした。
「詳しいやり方は、自分で調べてやってみるといいよ」
山下はあえて突き放すように言う。
「こういう“仕組みづくり”を、面倒くさがる人間は多い。でもね――」
その視線が、まっすぐに向けられる。
「自分で調べて、理解して、実行する。この一連の動きを“できる側”に回れるかどうかで、人生は変わる」
「……」
「佐藤さんが、どっちの人間か。まずは見せてもらおうかな」
試されている。
だが、それが不快ではなかった。
むしろ――
少しだけ、ワクワクしている自分がいた。
◇
帰宅後。
蓮は、すぐにノートパソコンを開いた。
キーボードに指を置く。
一瞬だけ、迷う。
だが、すぐに打ち込んだ。
――ふるさと納税
検索結果が、一瞬で画面いっぱいに広がる。
制度の解説。
返礼品のランキング。
やり方の記事。
情報は、いくらでも転がっていた。
あとは――
やるか、やらないか。
蓮は、マウスを握り直した。
これが。
自分の人生を変える、最初の一歩になるかもしれない。
そう思った。
◇
ふるさと納税の手順は、思っていたよりもシンプルだった。
まずは、専用のサイトにアクセスする。
いくつか選択肢はあったが、漣は『楽天市場』を選んだ。
普段から使い慣れている。
その安心感が、最初の一歩を軽くした。
サイトを開くと、そこには全国の自治体が並び、
それぞれが用意した返礼品が、ずらりと表示される。
肉、魚、果物、日用品――。
想像以上のラインナップだった。
その中から、漣は「米五キロ 一万円」の商品を選んだ。
注文手続きは、普段のネット通販とほとんど変わらない。
あっけないほど、簡単だった。
どうやら、1か月ほどで自宅に届くらしい。
そして、この一万円は――
翌年、自分が納める住民税などから差し引かれる形で戻ってくる。
ただし、手数料として、年間二千円は、負担しないといけないらしい。
つまり、実質二千円の負担で、米が手に入るという仕組みだ。
「……なるほど」
画面を見ながら、漣は小さくつぶやいた。
思っていた以上に、“ちゃんと得になる仕組み”だった。
さらに、使える上限額は年収によって決まる。
各サイトにはシミュレーション機能が用意されており、
自分がどれくらい使えるのか、簡単に確認できた。
漣の場合――年間、およそ三万円。
つまり。
同じ米を、あとふたつ頼める計算になる。
ただし――。
ここで、ひとつ壁があった。
ふるさと納税は、注文しただけでは終わらない。
控除を受けるためには、確定申請が必要なのだ。
名前は知っている。
だが、やったことはない。
一気に、ハードルが上がる。
だが調べてみると、条件付きではあるものの、
確定申告をしなくても済む方法があると分かった。
――ワンストップ特例申請。
しかも最近は、オンラインで手続きができる自治体も増えているらしい。
「……これは、助かるな」
とはいえ、完全に簡単というわけではない。
スマホでマイナンバーカードを読み込み、
いくつかの手続きを進める必要がある。
慣れていなければ、確かに面倒に感じるだろう。
しかも、こういった公的な手続きのシステムは、どうしても使いづらいことが多い。
「……これ、苦手な人はきついな」
正直な感想だった。
高齢者や、デジタル機器に不慣れな人にとっては、
まだまだ敷居は高い。
だが――
自分には、それがない。
多少の手間はあっても、調べれば分かるし、操作もできる。
むしろ、“やればできる”という感覚のほうが強かった。
そのとき。
ふと、山下の言葉が頭をよぎる。
――若さは、宝だ。
「……ほんと、その通りだな」
思わず、苦笑が漏れた。
◇
翌朝。
出社してすぐ、蓮はパソコンを立ち上げた。
そして、山下にメールを送る。
ふるさと納税の手続きを終えたこと、その報告だった。
送信してから、数分も経たないうちに返信が来る。
「第一関門クリアだね。
やっぱり、佐藤さんは“素質”があるのかもしれないな。
じゃあ、また近いうちに、次のステップの話をしよう」
思わず、口元が緩む。
次の話が聞きたい。
――もっと先へ進みたい。
そのためにも、早く次の機会を作らなければ。
そんなことを考えながら、仕事を始める。
心なしか、キーボードを打つ手が軽かった。
滑り出しは順調だ。
この調子でいけば、自分は変われるかもしれない。
もっと稼いで、もっと成長して――
そして。
――ちゃんとした人生を、手に入れたい。
その延長に――
彼女や、結婚があるのかもしれない。
ふと、そんな思いがよみがえる。
自然と、視線が横へ流れた。
三上咲。
彼女は、真剣な表情でノートパソコンに向き合っている。
その横顔に、胸が少しだけざわついた。
――いかんいかん。
先走りすぎだ。
軽く頭を振り、意識を仕事へ引き戻す。
◇
昼礼の時間になった。
課長が前に立ち、全員を見渡す。
「お知らせがある」
いつもと変わらない口調だった。
だが、その次の言葉で――空気が変わった。
「三上さんが、一か月後に退職することになった。引き継ぎはこれから調整していく」
――は?
思考が、一瞬止まった。
三上が、一歩前に出る。
「このたび、私事で恐縮ですが、退職することになりました。
皆さんには大変お世話になりました。
残りの期間も、しっかり引き継ぎますので、よろしくお願いします」
頭が、真っ白になる。
何も考えられない。
ただ、その言葉だけが、何度も頭の中で反響していた。
◇
席に戻ると、三上がこちらに歩いてきた。
「佐藤くん。いままで黙っててごめんね。引き継ぎとか、よろしくね」
声をかけられて、ようやく現実に引き戻される。
「い、いえ……はい、大丈夫です」
うまく言葉が出ない。
頭の中では――
“寿退社”
という言葉が、ぐるぐると回っていた。
胸の奥が、ざわつく。
「あ、あの……聞いてもいいですか?」
自分でも驚くほど、声がかすれていた。
「あの……その……これから、どうされるんですか?」
三上は、少しだけ笑った。
「うん。わたし、転職するの」
――よかった。
思わず、胸の奥が軽くなる。
寿退社ではなかった。
だが――
それでも、もう会えなくなることに変わりはない。
安心と喪失が、同時に押し寄せてくる。
心にぽっかりと穴が空いたような、落ち着かない感覚。
どうしていいか、分からなかった。
◇
その日の定時後。
「おつかれさまです」
三上が席を立つ。
帰ろうとしている。
その背中を見た瞬間――
体が、勝手に動いた。
蓮は、後を追いかけていた。




