14NISAのその先
その日は珍しく、二軒目の扉を叩いた。
場所は、いつもの居酒屋とは打って変わって、静かなジャズが流れる洒落た雰囲気のバー。
薄暗い店内では、テーブル席に置かれたロウソクの火が小さく揺れ、三人の横顔を淡く照らしている。
「こういう店、男二人では少し入りにくいからね」
山下が少し照れくさそうに笑うと、漣が大きく頷いた。
「そうですね。今日は三上さんのおかげです」
「ふふ。それはどういたしまして」
咲が茶目っ気たっぷりに答え、三人はカクテルやウイスキーのグラスを改めて軽く合わせた。
「もうひとつ、質問があるんですけれど」
咲が、ロウソクの光を見つめながら切り出した。
「まだ先のことになると思うんですが……NISAの生涯投資枠1,800万円を使い切った後は、どうすれば良いでしょうか?」
山下は、琥珀色のウイスキーを一口含み、ゆっくりと喉に流し込んでから答えた。
「そうだね。その頃には、君たちに見えている景色は今とはまるで違っているだろうね。おそらく、相場の浮き沈みにも動じない、鋼のようなメンタルが出来上がっているはずだ。心に余裕を持った、本物の投資ができるようになっていると思うよ」
漣が興奮気味に身を乗り出す。
「余裕があるということは、さらに『攻め』の投資に踏み出すということですか?」
山下は穏やかに首を振った。
「その逆だね。1,800万円という盤石な基礎があるのだから、そこから先は『守り』を固めるべきだ。基本は特定口座で、今まで通りオルカンやS&P500、あるいは高配当株を淡々と積み増すのが良いだろう」
咲がさらに踏み込む。
「やっぱりそうなんですね。それ以外におすすめの投資先はありますか?」
「そうだね。米国の国債や社債などの『債券』がおすすめかな」
漣にとって、またしても新たなワードが飛び出した。
「債券……?」
「そう、債券だ。日本でも、日本国債が個人向けに販売されているだろう? 一定期間持ち続ければ、満期に元本が全額戻ってくる。さらに、毎年決まった利息が手に入るんだ。今の日本では年利1%ちょっとかな」
「それって、少し割の良い定期預金みたいなものですか?」
漣の問いに、山下が「まさにその通りだ」と頷く。
「ただ、日本国債ではどうしても利息が物足りないだろう?」
「そうですよね。それなら多少リスクを取ってでもオルカンを買ったほうが良い気がします」
「そこで、米国債や米国社債だ。仕組みは日本国債と同じ。米国の国や企業にお金を貸して、利息をもらうという形だね」
咲が納得したように呟く。
「つまり、満期が来れば全額返ってくるし、毎年利息も入る……。株よりもずっと安心感がある感じがしますね」
「その通りだよ。特に米国社債は利回りが高く、格付けの高い企業でも10年満期で年利4〜5%ほど狙えるものがあるんだ」
「その利息は魅力的ですね!」
咲が瞳を輝かせる。
「でも、何か落とし穴はないんですか?」
「いい質問だ。注意点は二つある」
山下は指を二本立てた。
「一つは、為替リスク。満期時に今より円高になっていれば、円に直した時の利益が減ってしまう。未来の為替は誰にもわからないから、そこは覚悟が必要だ。」
「もう一つは、社債特有の『デフォルト(倒産)』リスク。だからこそ、経営が安定した企業の、格付けがA以上のものを選ぶのが理想だね」
「なるほど。でも、そのリスクを考えても魅力的ですね。……ちなみに、それはNISAでは買えないんですか?」
「そうなんだ。米国債や社債は、NISAのつみたて投資枠はもちろん、成長投資枠でも買うことはできない」
「だから、NISAを埋めた後の『特定口座』での選択肢になる、というわけですね」
山下は満足げに頷き、氷を鳴らした。
「その通り。守りの盾として債券を持つ。それが、資産形成をさらに盤石なものにしてくれるはずだよ」
◇
「あとは、良い借金をすることかな」
山下がいとも容易く口にしたその言葉に、咲が思わず聞き直した。
「良い借金?」
「そう。世の中には良い借金と悪い借金がある。悪い借金は、年利10%を上回るような高利率の借金のことだ。銀行のカードローンや消費者金融ローンなんかはこれにあたるね。あとは、クレジットカードのリボ払い。車購入時のディーラーローンも金利が高めなので避けた方がいい」
山下は一度言葉を切ると、少し声を落として続けた。
「逆に金利が3%以下。できれば、1%以下の借金が良い借金。例えば、住宅ローンや、車を買う時の銀行ローン、教育ローンなどがそれにあたる」
そして、山下はどこか遠い目をして続けた。
「奨学金なんかも、最近は批判の声が多く聞こえるけど、僕個人としては良い借金だと思っている。実際、僕も学生時代に無利子の奨学金を借りていたけれど、決して裕福な家庭ではなかったから、本当に助かったんだ」
「なるほど、悪い借金と良い借金か……。たしかに、借金って全部、どこか悪いことだっていうイメージがありましたね」
漣の呟きに、山下は力強く頷いた。
「そう。で、まとまった資金が必要となったときは、手元にある金融資産を売却して購入資金に充てるのではなく、あえて、良い借金をするんだ」
「なるほど。良い借金の場合、その借金の返済金利より、持ち続けている金融資産で得られる平均的な年利の方が大きくなるから、差し引きでお得になる……ってわけですね」
咲が先回りして答えると、山下は満足げに目を細めた。
「そのとおり。さすが三上さん、察しが良い。実際、富裕層はこのやり方を賢く選んでいるらしいよ。そして、ここでサラリーマンという地位が最大限に生きてくる。サラリーマンには社会的信用があるから、銀行がお金を貸してくれるんだ」
「以前、山下さんが言ってくれていた『サラリーマンという立場は宝物』っていう話。この戦略につながるんですね」
感心したように、漣は一人納得した。
しかし、咲がふと不安そうな表情を見せる。
「でも山下さん、その場合、持ち続けている金融資産がいつか暴落するっていうリスクがありますよね?」
「いい質問だ。そのとおりだよ。だからこそ、この作戦は余剰資金が十分にある状態で初めて生きてくる。暴落が来ても、相場が回復するまでじっと待つ体力ができているからね」
「なるほど。だからこそ、NISA枠を埋めた後のステップなんですね」
ロウソクの火に照らされた三人の間で、また一つ、資産形成の新しい地図が描かれた。
漣は、隣に座る咲の横顔をちらりと見た。彼女の賢明な問いかけに背中を押されるように、自分ももっと成長しなければと、静かに決意を固めていた。




