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がけっぷち新人SE、資産形成を始めたら人生が変わり始めた件  作者: しばたろう


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11株価大暴落

「……佐藤くん、いいかい。近い将来、暴落が来るかもしれない」

 

 「暴落……!?」

 

 思いもしなかった不穏なワードが山下の口から飛び出し、漣は持っていたグラスを止めた。

 

 テレビをつけても、ネットニュースを見ても、世界中がトランプ政権の経済政策への期待に沸いている。そんな不吉な予兆を口にしている人間なんて、漣の周りには一人もいなかった。

 

「そんな、山下さん、冗談でしょ……?」

 

 山下は漣の動揺を気にする風でもなく、淡々と続けた。

 

「今の市場はね、みんなが『もっと上がる』と信じ切っている『極度の強欲』状態なんだ。VIXは低すぎて誰もリスクを恐れていないし、RSIを見れば明らかに『買われすぎ』のサインが出ている。」

 

 山下は静かに漣の目を見つめた。

 

「『強気相場は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく』。投資の世界にはそんな格言があるんだ」

 

「幸福感……」

 

「そう。佐藤くん、君が今『もっと買いたい』と思っているのは、君自身の分析に基づいた判断じゃない。単に、周りの『幸福感』にあてられているだけなんだよ。投資で一番危険なのは、みんなが幸福に浸っている時に、その熱狂に飛び込んでしまうことだ。それは『高い時に買って、暴落した時に投げる』という典型的な負けパターンへの入り口なんだよ」

 

 一呼吸置いて、山下は諭すように付け加えた。

 

「本物の投資家は、みんなが『悲観』に暮れている時に静かに買い、みんなが『幸福』に酔いしれている時には、ただ静かに見守るものなんだ」

 

 言われてみれば、たしかにそうだ。

 SNSを開けば誰もが怖いくらいに浮かれている。どこか地に足のつかない熱狂。漣も心のどこかで感じ取っていたその違和感を、山下にはっきりと言語化され、初めて腑に落ちた気がした。

 

 漣はすっかりトーンダウンしてしまった。

 

「……そうなんですかね。てっきり今日は山下さんと『次は何を買うか』って話で盛り上がれると思ったんですけど」

 

 勢いを完全に削がれた漣は、しょんぼりと肩を落として答える。そんな教え子のような後輩を見て、山下は少しだけ表情を和らげた。

 

「大丈夫。その話題ができる時は必ず来るよ。今はその時のために、軍資金……現金を貯めておくんだ。いいね?」

 

「……山下さんがそこまで言うなら。わかりました」

 

 その晩、漣は少しだけ釈然としない気持ちのまま、夜道を歩いて帰路についた。

 

 

 予言は、あまりにも早く的中した。

 

 山下と飲んだ数日後、にわかに株価の様相が変わった。

 連日のように最高値を更新していたチャートが足を止め、真っ赤な下落のサインを灯し始めたのだ。

  

 一旦、株価が下落し始めると、その速度は恐ろしいほどに速かった。

 つい先日まで輝かしい右肩上がりを見せていたオルカンのチャートは、今や崖を転げ落ちるような急斜面を描いている。

 

 ニュースの論調も一変した。数ヶ月前の楽観的な記事はどこへやら、「関税リスクの現実味」「インフレ再燃の恐怖」といった禍々しい言葉が紙面を埋め尽くしている。

 YouTubeを開けば、一ヶ月前には「爆益確定!」と煽っていた配信者が、一転して「【緊急】大暴落の足音。今すぐ逃げろ」という、お決まりの黒背景に太字の動画を投稿していた。

 

 あまりにも急激な世論の手のひら返しに、漣は底知れぬ恐怖を感じた。

 

 株価が毎日のように下がり続ける中、漣の心にも初めての、そして強烈な感情が芽生えていた。

 「怖い。早く売りたい」

 あんなに誇らしかった評価益は消え失せ、積み立てた四万円の元本はついにマイナスに転じた。このままでは評価額は三万円を割り込むかもしれない。底が見えない。これから先、もっとひどいことになるのではないか。

 

 ――損切り。

 

 その二文字が頭をよぎる。今のうちにすべてを売り払って、被害を最小限に抑えるべきではないか。

 「こんなことになるなんて。オルカンなんて、やらなきゃよかった!」

 

 SNSを開けば、「#NISA解約」「#騙された」というハッシュタグとともに、投資を推奨した政府を呪うような投稿が溢れ、陰謀論さえ囁かれている。

 

 漣はたまらず、震える指で山下へLINEを送った。

『さすがに、もう売るべきではないでしょうか。怖くて見ていられません』

 

 山下からの返信は、驚くほど冷徹だった。

『いま、売ってはいけない。辛抱だよ。いいかい、自分を信じるんじゃない、仕組みを信じるんだ』

 

 もう、山下の言葉を信じるしかなかった。今の漣にとって、それは濁流の中で掴んだ細い藁のようなものだった。

 

 

 四月初旬。トランプ政権による「全世界一律二十%の関税」というニュースが世界を駆け巡ると、市場はついにパニックに陥った。

 株安と同時に、リスク回避の動きから猛烈な「円買い」が進む。「株価の下落」と「円高」のダブルパンチを食らい、オルカンの基準価額は致命的な打撃を受けた。

 

 そして迎えた、2025年4月7日。

 日経平均株価は前日比2,644円安という、歴史的な大暴落を記録した。後に「トランプ・ブラックマンデー」と呼ばれることになるその日は、日本中を阿鼻叫喚の渦に叩き込んだ。

 

 ネット上は「投資の終焉」「米国株時代の幕引き」という極端な悲観論で埋め尽くされ、誰もが絶望の淵に立たされていた。

 

 その日の夜、スマートフォンの通知が短く鳴った。

 

 山下からのLINEだった。

 

『そろそろだね。』

 

 恐怖のどん底にいる漣に対し、そのメッセージはあまりに場違いなほど、静かな昂揚感を湛えていた。

 


 山下からのメッセージは、暗闇を照らす灯台のように力強かった。

 

「まだ少し下がるかもしれない。だが、悪くないタイミングだ。そろそろ、買い始めるといいよ」

 

 恐怖で強張っていた漣の指が、スマホの画面上で止まる。山下はさらに続けた。

 

「でも、一気に買うのはリスクが高い。そうだな、資金を五分割し、これから毎日、淡々と機械的に買っていくんだ」

 

 漣は、手元に置いておいた「なけなしの50万円」のことを思った。去年のボーナスにも手をつけず、将来のためにと貯めておいた大切な資金だ。暴落の恐怖で凍りついていたその現金が、山下の言葉によって「武器」へと変わった。

 

 漣は震える手で証券アプリを操作し、NISAの成長投資枠で注文を入れた。

 50万円を五分割し、毎日10万円ずつ。

 

 4月7日のブラックマンデー以降、相場は激しく上下に振れた。前日に少し戻したかと思えば、翌日にはまた数%叩き落とされる。ニュースでは「二番底が来る」「世界恐慌の再来だ」と騒ぎ立て、漣の心は気が気ではなかった。

 

 それでも、山下の「機械的に」という言葉を呪文のように唱え、漣は毎日10万円の購入ボタンを押し続けた。

 

 最後の10万円を投入する頃だった。

 あれほど尖っていた下落のチャートが、緩やかにカーブを描き、どっしりと横に這い始めた。まるで、これ以上は下がらせないという強い意志が形になったような、底を打った形状――。

 

 反撃はそこからだった。

 

 絶望に包まれていた市場に、不意に、しかし強烈な買い戻しが入った。トランプ政権の極端な関税案に修正の兆しが見え始めると、堰を切ったようにチャートは急激に回復していった。

 

 数日前まで死んだような顔をしていたSNSの投資家たちが、今度は「歴史的な押し目買いチャンスだった」と騒ぎ始めている。

 

 自分の口座を確認すると、どん底の時期に仕込んだ50万円分のオルカンが、猛烈な勢いで含み益を膨らませていた。

 

 「……これが、仕組みを信じるってことか」

 

 漣は、自分の感情がいかに当てにならないか、そして山下が言っていた「悲観の中で生まれる」という言葉の真意を、身をもって知ることになった。

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