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ブリテン最後の巨人 後編

 三人は松明を手に巨人エルドンが待つ円形土砦(ラース)へと歩みを進めた。

 不思議なことに円形土砦(ラース)へと近づくごとに、彼らの周りにぼつぼつと鬼火が現れ、周囲の明るさが増していくのである。

 ほどなく円形土砦(ラース)へと辿り着いたが、その時にはもう夥しい数の鬼火が三人を取り囲み、もう松明の明かりがなくても、広大な円形土砦(ラース)を端から端まで見渡せるほどだった。


 なんだこれはと戸惑っていると、その膨大な数の鬼火はやがて人に似た形を取り始め、まるで実体を持っているかのように大地を蹴って地響きを起こし、大きな声で笑い、吼え、歓声を上げた。

 三人を取り囲む鬼火の正体は、エルドンの最後の戦いを見届けようとする、巨人たちの霊魂だったのだ。

 やがて崩れていたはずの円形土砦(ラース)ですら、往時の影を纏って、その全盛期の姿を蜃気楼のように映し出した。


 気が付くと、まるでそこはローマの円形闘技場(コロッセオ)のような様相を見せていた。

 しかしその規模においては比べ物にならない。

 五万とも十万とも思われる満員の大観衆は一人一人が十四、五フィートはあろうかという巨人たちなのである。

 自らの種族の結末と、エルドン最後の戦いを見届ける為に現れた巨人の霊は、早くも熱狂していた。

 彼らが一斉に足踏みすると、それだけで地鳴りが起きて山々が震えた。

 その凄まじい叫喚は、雷鳴が雀の鳴き声に聞こえるほどだった。


 さしものウォーレンとレオスリックもこれには唖然として戦慄を覚えた。カドゥールに至っては体の震えを押さえようとしている腕がまた震えている。

「レオスリックさん」

 カドゥールが小声で言った。

「あなたのような気性の方でも、やはり恐ろしいですか?」

「いや、(おれ)はこんなもの全然恐くないぞ」

 レオスリックは表面上平静を保ち、なるべく尊大に聞こえるような口調で答えた。

 しかしそのレオスリックですら、最後はこう結ばざるを得なかった。

「まあ少しだけ面を食らったのは事実だがな」



 ややあって、小さな歓声が沸いたと思うと、巨人の霊たちは静まり返り、次の瞬間にはフルートや竪琴、バグパイプなどが奏でる軽妙な旋律とともに往年の戦いを懐かしむ歌声が一斉に上がった。



 ――あれはいつのことだったか

 ――世界がまだ若かったころの話さ


 ――俺たちはアスガルドの神々と戦った

 ――奴らを率いる将は雷神トール、忌々しき巨人殺し!


 ――巨人殺しはいつものように鎚を投げ、そして仰天した

 ――その日奴の鎚を受け止める男が現れたからさ!

 ――「あれは誰ぞ」と奴は言い、俺たちは言った、巨人殺しに言ってやった

 ――「あれこそ猛毒の山(ペニヴァシュ)生まれのエルドン、それはそれは見事な雷捕らえ!」


 ――あれはいつのことだったか

 ――大地がまだ若かったころの話さ


 ――俺たちはキャメロットの騎士と戦った

 ――奴らを率いる王は竜頭のアーサー、剣に選ばれし王!


 ――選ばれし王は号令をかけ突撃し、そして仰天した

 ――その日正しき王の剣(エクスカリバー)を受け止める男が現れたからさ!

 ――「あれは誰ぞ」と奴は言い、俺たちは言った、選ばれし王に言ってやった

 ――「あれこそネス湖の怪物エルドン、奴こそグレン峡谷(グレン・モア)の恐怖!」



 そして巨人たちが歌い終えると、いよいよエルドンが石舞台(ドルメン)の裏から姿を現した。

 昨日会った際のエルドンは山師か木こりのような恰好をしていたが、当然ながら今晩は戦に臨む際の完全武装をしている。

 頭にはヴァイキングの物に似た、角付きの兜。

 左手には馬さえ乗せられそうなほど巨大な盾。

 右手に握る戦斧は刃の厚さが人間の胴より分厚い。

 そして着込んだ鎖帷子は、それを形作る環の一つ一つが握り拳ほどもある大きな鎖によって編まれていた。


 何もかもが巨大で、人の常識が通用しない尺度(スケール)の武具ではあるが、それを身に着けている本人に比べたら可愛いものだ、とウォーレンは思った。

 エルドンの身から発する闘志は、それら全てに勝る物々しさを放っていたのである。

 しかし辺りに漂う禍々しい雰囲気にも負けず、カドゥールは一歩前に進み出て名乗りを上げた。

「私の名は竪琴弾きの吟遊詩人カドゥール! 今宵の立会人を務めさせていただく!」


「おお! 頼んだぞ、吟遊詩人殿! 巨人族の戦士エルドンの戦いをとくと見よ! 」

 エルドンは声を張り上げて答えた。

「我らの戦いは永久(とこしえ)に語り継がれるだろう! さあ、ウォーレンよ、レオスリックよ! ともに永遠とならん!」

「下がれカドゥール」

「ここからは我らの仕事」

 ウォーレンはホーリーブリンガーを、レオスリックはサックヴェルグを引き抜いて、それぞれ名乗りを上げた。

「我が名はウーゼルの子、ウォーレン! アーレリウムの戦士なり!」

(おれ)の名はレオスリック! アーレリウム王オウエンの子!」


 いずこかより闘いの始まりを告げる角笛の音が響いてきた。

 観衆たちは大声でエルドンの名を呼んだが、その声を吹き飛ばすようにウォーレンとレオスリックが叫ぶ。

「いざ、尋常に勝負!」



 

 闘いが始まって真っ先に動いたのはウォーレンだった。

 その足運びは軽やかで、かつ山を走る鹿よりも速い。しかも彼は翼を持っているかのように、ふわりと浮かび上がったかと思うと、ゆうに二十フィートは跳躍した。

 大胆にも、いきなり巨人の頭を狙ったのである。


 ウォーレンの空を飛ぶかの如き動きは、その剣技と合わせてしばしば華麗だとか優雅などと評される。

 それは間違いではないが、その言葉にはどことなく繊細で壊れやすいものであるかのような響きがある。


 しかし、ウォーレンは魔法使いではないし、背に翼を持っているわけでもない。

 宙を駆け軽妙な剣技を生み出している源は、並外れた筋力である。その膂力をもって行う渾身の振り下ろしは、馬ごと騎兵を両断する。

 だが、そのウォーレンの一撃は今宵、巨人の盾に防がれていた。

 その盾を支えるのはエルドンの左腕のみ――渾身の斬撃を片腕一つで防がれたのはウォーレンにとって初めての経験だった。


 ホーリーブリンガーの一閃を防いだエルドンが高らかに叫ぶ。

「聞きしに勝る一撃、見事なりウォーレン! だが、わしは雷捕らえ(ライトニングキャッチ)のエルドン! 雷神の鎚(ミョルニル)さえ受け止めた男だぞ! そう易々と打ち込めると思うな!」


 そう言ったかと思うと、エルドンは戦斧を小脇に挟み込み、ズボンの衣嚢(ポケット)に手を突っ込んで何かを握りしめると、それをウォーレンとレオスリックに投げ付けた。

 石礫(いしつぶて)のようなそれは、エルドンの手から離れた途端に凄まじい速さで二人に襲い掛かる。

 ウォーレンは咄嗟に身を翻して避けたが、レオスリックはそれをサックヴェルグで受けた。

 その瞬間、これまで味わった事の無いような、形容しがたい衝撃がレオスリックの体を貫いた。

 血が沸騰するような、肉が麻痺するような感覚、さらに立っていられぬほどの強烈な眩暈を覚え、レオスリックは石礫(いしつぶて)の正体を悟った。

「ウォーレン、雷だ! こやつ、今まで捕らえた雷を丸めて衣嚢(ポケット)の中に忍ばせておる!」


 エルドンの能力(ちから)が明らかになるにつれ、歴戦のウォーレンも背筋に冷たいものが走る。

「レオスリックよ、我らはどうも、とんでもないことを安請け合いしてしまったようだな」

義兄弟(きょうだい)そう申すな。今更遅い」

 軽口を交わしたのち、ウォーレンは再びエルドンに向かって斬りかかった。


 後年、アーレリウムの王となったウォーレンは一冊の書物を著す。

 その書の名は『攻撃論』といい、その名の通り決闘から戦争まであらゆる闘争における攻撃の重要性と、いかに相手を攻めるべきかという心構えを記した書物だが、その書の中でウォーレンはこう述べている。


『生きている限り呼吸が止まらぬように、一度闘いが始まったのならば、闘いが終わるまで攻めるのを止めてはならない。寝ていても呼吸は続くように、休息をとらねばならぬ時でも、よく工夫して休みながら相手を攻める方法を考えよ』

『反対に、相手に攻めさせてはいけない。その為には手を止めずに徹底的に攻撃せよ。躊躇してはならない。攻めよ、攻めよ』


 普段は見せぬウォーレンの苛烈な一面が垣間見られる一文だが、エルドンと対峙したウォーレンはまさにこの文の通りの行動をとった

 ウォーレンの姿が霞のごとく揺らいだかと思うと、次の瞬間ホーリーブリンガーの刃が風をまいて唸り、大地を抉るエルドンの戦斧を間を縫うようにして斬りかかる。

 両者の交差の瞬間、恐ろしい斧の刃風がウォーレンの頬を撫でた。

 恐怖を精神(こころ)で律し、さらに深く踏み込む。


 一撃でも多く、一瞬でも早く――刹那、ウォーレンは三度(みたび)剣を振るい、三度(みたび)防がれた。

 もどかしい。

 死地にいる緊張が、常よりも早くウォーレンの体力を奪う。


 分厚い刃の斧を一度受け損なえば即死だろう。

 しかし、身を引けば余計にまずいことになるのは明白だった。

 雷の礫に対抗するような手段は持っていない。ならばこちらの刃が届く分だけ、斬り合いを挑んだ方がいくらかマシだった。

 レオスリックもそれを察して、少し遅れてウォーレンに加勢した。


 ホーリーブリンガーとサックヴェルグの刃は、飢えた狼の如く、巨人へと襲い掛かった。

 ウォーレンの身のこなしは竜巻のように素早く、その切っ先はなお(はや)い。あまりの速さに一振りの斬撃が七つの打ち込みに見えるほど。


 レオスリックの体躯(からだ)はいつも以上に隆起し、そして振るわれるサックヴェルグの一撃は城壁さえ切り刻む。

 しかし、戦場のうねりと槍衾と白刃の群れさえ食い破る二匹の狼を、エルドンは斧と盾を巧みに操って見事に防いでいた。


 ぬう、とレオスリックは人知れずに唸っていた。

 巨人ということを差し引いても、自分とウォーレンの剣を同時に防ぐなどただごとではない。

 確かに押しなべて巨人には体格の利があり、剛力(ちから)の利がある。だがエルドンはそれだけではなかった。

 エルドンには精妙な技量(わざ)がある、とレオスリックは思った。

 そしてその技量(わざ)にこそ、レオスリックは舌を巻いた。


 幾合と打ち合っても斧と盾に阻まれて、こちらの剣が届かぬ。

 自分とウォーレンが、ホーリーブリンガーとサックヴェルグが、これほど苦戦したことはかつてない。 

 それこそエルドンが長年にわたり腕を磨いた古強者、本物の戦士であることの証左だった。

 これに比べれば以前戦った二つ貌のグランヴェールなどは、同じ巨人の類だとしても、うぬぼれた未熟者にすぎなかった。


 これほどの腕を持つ勇者が、守るべき友も、王も、国も失い、ただ無為の日々を過ごさねばならなくなったとは!

 誰かの為に斧を振る機会を奪われたその無念!

 一合刃を交える度、その無念がレオスリックの心を揺さぶった。


 俺とて、いまシルヴィアを失いかけておる。

 その無念のほどが分かろうぞ!

「エルドン! エルドォォォン!」

 レオスリックは剣を振るいながら無意識のうちに絶叫した。



 幾合打ち合っただろうか。

 荒い呼吸をしたウォーレンは、傍らで剣を構えるレオスリックに言った。

「レオスリック」

「どうした、ウォーレン?」

「備えろ。私がエルドンを抑える。その隙にやれ」

 ウォーレンはそれだけ言うと返事も聞かずに再び死地に――エルドンの間合いへと足を踏み入れた。


 ウォーレンはここまで戦ってエルドンの強さについてはよく分かった。

 このままやりあっていても、先に力尽きるのは我らの方だ。まともに戦ってはとても勝てぬ。

 事ここに至っては、一瞬の勝機に賭けて、差し切る他あるまい。


 そう考えたウォーレンは、飛翔するかのように宙に飛び上がると、戦いの始まりを告げた一撃と同じように、真っ向からエルドンの頭蓋へ向かって剣を振り下ろした。

 一つ違いがあるとすれば、先の振り下ろしはウォーレンの全力を込めた一刀であったのに対し、今度の一撃は死力を尽くしたものであったことである。


 再びエルドンの盾がホーリーブリンガーの切っ先を阻もうと掲げられたが、ウォーレンは盾を押し潰そうと、あらん限りの力を振り絞る。

 その剣の重さに、エルドンの膝が曲がり、咄嗟に巨人は両の手で盾を支えた。


 ほんの一瞬のことであったが、エルドンの両腕が塞がった瞬間をレオスリックは逃さなかった。

 青い刃のサックヴェルグから発せられる刃風は猛獣の唸り声のような音を立て、巨大な鎖帷子を断ち切り、エルドンの腹を深々と抉った。

 戦いを眺めていた巨人の霊魂たちは、エルドンが致命傷となる一撃を浴びせられた瞬間、一斉に叫喚した。



 エルドンは自分の腹から流れ出る赤い液体を見て、信じられぬ、というような顔をした。

 しかし、やがて観念したように握っていた斧を放り出して地面に座り込んだ。

「良い戦いだった。 それにしても、雷捕らえと呼ばれたこのわしが受け損なうとは! 天晴な連携だったぞウォーレン、レオスリック!」

「一か八かであった」

 精も根も尽きたウォーレンは剣を支えにして辛うじて立っていた。

 勝利を喜ぼうとしたレオスリックは、そのウォーレンの姿を見てあっと声を上げる。

義兄弟(きょうだい)、大丈夫か?」


 命ごと削る一撃を繰り出したゆえに、その美しき金の髪は色を失い、年老いた老人の如き白髪へと変貌を遂げていた。

 だがそうするだけの価値はあった。

 そうでもせねば、エルドンを抑えることは不可能であった。


「大事ない。それに満足だ。とどめは譲ってやったが、一番の功は私のものだろうが? 雷捕らえのエルドンを抑え込んだのだから」

 そういってウォーレンは力なく微笑むと、レオスリックも少し安心した。

 まだ軽口を叩く余裕はあるというわけだ。


「おぬしらが目指しているのはハイブラシルであったな」

 エルドンがそう言うと、二人は頷いた。

「いかにもそうだ」

 ならば、と言ってエルドンは二人の前で不思議な印を切った。

 それはヤソの十字ともアジアの魔術の印とも違う、それらよりも古いものであった。

「ハイブラシルが今もわしの知るままであるなら、これで辿り着けるだろう」

「それはかたじけない」


 ふう、とエルドンは深く息を吐いた。



 静かな夜だった。

 いつの間にか巨人の霊たちは消えていた。

 巨大な闘技場は、朽ちた円形土砦(ラース)へと戻っていた。


 先ほどまであれほど喧しかったというのに、今はもう風の他はなんの音も聞こえない。

 死闘を演じた三人にとって、巨人の霊に囲まれて戦ったのはつい先ほどの出来事。だが、今を生きる彼らと、巨人の霊の間には途方もない年月が横たわっていた

 

 そしてエルドンもまた数多の亡霊たちがいる過去の世界へと向かいつつあった。

 巨人の体は、灰のように音もなく崩れはじめていたのである。

 

 二人の戦士は固唾をのんでその姿を見守っていた。

 種族が違う、生まれた国が違う、育った時代が違う、信じる神も違う。

 しかしウォーレンとレオスリック、そしてエルドンは同じく戦士だった。その共通点の前には全ての違いは些細なことに思われた。

 二人にとってエルドンは共に戦った戦友だった。


「雷捕らえのエルドン! 我らに何か言い残すことはないか!」

 レオスリックの叫びを受けて、一瞬だけエルドンの眼に力が戻り、雷鳴の如き声でエルドンは吼え返した。

「我らの後を継ぐ種族よ! 誰も滅びからは逃れられぬ! だから生きよ! 精一杯生きよ! 生きて生きて、然るのち死ね! 彼岸の国でまた会おうぞ!」


 そしてエルドンは風の中に消えた。



「エルドンの墓や塚などは作らなくてよろしいのでしょうか?」

 全てが終わったあと、カドゥールが訊ねたがウォーレンは首を振った。

「塚は必要ない。エルドンは永遠になった。これより先は君の仕事だ。しっかりと語り継いでくれ。あの素晴らしい戦士を」

 吟遊詩人が頷くと、三人は帰路についた。


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