ブリテン最後の巨人 前編
ゼファードを旅立ったウォーレンとレオスリックは、ブリテン島の北部、古のローマ人たちがカレドニアと呼び、ゲール語でアラパ、今はスコットランドと呼ばれる地を西へ西へと横断していた。
スコットランド北部、ハイランド地方はその名が示す通り山がちで、険しい道が続く。
また山に劣らず沼沢が多く、しばしば立ち込める霧に悩まされながら、二人は波打ってうねるような大地を町から町へ渡り歩いていた。
そして荒涼とした渓谷をまた一つ越えようとしたとき、奇妙なことが起こった。
「ウォーレン、ウォーレン」
誰かが自分を呼ぶ声を聞いて、ウォーレンは振り返った。しかしそこには誰もいない。
「レオスリック何か言ったか?」
傍らのレオスリックにそう訊ねてもレオスリックは「何の話だ?」と首を傾げるばかりだった。
「レオスリック、レオスリック」
それだけでは終わらず、次に不思議な声はレオスリックの名を呼んだ。
レオスリックは辺りを見渡したが、声を発するようなものは何もない。
「ウォーレン、妙だぞ」
「ああ。分かっている」
二人は腰の剣に手をかけ、辺りを注意深く周囲を見張った。
その内、転がっていた岩の上に一羽のカラスが留まり、カラスとは思えぬ声でこう鳴いた。
「ウォーレン、ウォーレン」
また野ネズミが一匹、二人の足元をちょろちょろと這って行って、くるりと振り返ると、やはり人の言葉でこう言った。
「レオスリック、レオスリック」
二人が驚いていると、カラスとネズミはさらに続ける。
「ウォーレン、アーレリウムの継嗣ウォーレン」
「レオスリック、ゼファードの継嗣レオスリック」
「こやつら己たちのことを申しておるぞ!」
レオスリックがそう一吼えすると、カラスと野ネズミは連れだって同じ方向へと逃げていった。
これはただならぬことだと感じた二人は、道を外れて人語を喋るカラスと野ネズミを追いかけた。
カラスと野ネズミを追った二人は、やがて山あいにぽっかりと開いた野原へとたどり着いた。
野原には巨石を積み上げた石舞台がいくつも点在し、さらによくよく見てみると、どうもここは正確には野原ではなく、途方もなく巨大な円形土砦の中であるらしい。
その証拠に野原の端には高く高く積まれていたであろう石積の壁の残骸が、まだ少し残っていた。
それらの崩れた石の一つ一つは、馬鹿げたほどに巨大で、二十人力の腕力を持つウォーレンですら、持ち上げるには難儀しそうであった。
ここは古の土砦であるということに気づいたウォーレンは無意識に唸っていた。
往時、この円形土砦はどれほど立派な城塞だったのだろうか。
それを考えると気が遠くなりそうだった。
何せここはハドリアヌスの長城の遥か北である。
つまり、栄華を極めたあのローマ人たちですら、ここには立ち入っていないはずだった。
いや、苔むした石の古さから考えて、そもそもこの巨岩を積み上げたのはローマ人たちがブリテン島に来る以前のようにも見える。
ローマ人ではないとするなら、これを造ったのはいかなる民族だろうか。
千年、いや二千年以上も昔、ここにやって来て、これほどの円形土砦を築き上げた民族は一体どこに消えたのだろうか。
その途方もない過去より立ち上った大いなる謎はウォーレンを圧倒した。
ウォーレンとレオスリックを導いたカラスと野ネズミは、何度かこちらを振り返りながら、やがて円形土砦の中に建てられた石舞台の一つへと姿を消した。
二人がその石舞台に近づくと、石舞台の影に、巨大な生き物が岩に腰かけて座っていた。
それは年老いた巨人であった。
ゼファードで戦ったグランヴェールのように二つの首を持っているわけではないが、背の高さはそれに勝るとも劣らず、岩に座っていてさえ大男のレオスリックよりも高い位置に頭がある。
巨人を見た二人は反射的に腰の剣を引き抜いたが、巨人の眼に敵意はなかったので、こちらから攻撃することは憚られた。
二人の姿を認めた巨人は、口を開いてこういった。その声は轟く遠雷のように低く巨大ではあったものの、やはりどこか穏やかなものであった。
「むう。おぬしたちがアーレリウム国の世子ウォーレン、そしてゼファード国の世子レオスリックか?」
「いかにもそうだ」
巨人に敵意が見られなかったので二人は剣を収めて答えた。
「お前は何者だ? どうして我らがアーレリウムのウォーレンとゼファードのレオスリックであることを知り、ここに導いたのだ?」
「わしの名は、雷捕らえのエルドン。このブリテン島で唯一の巨人だ」
巨人はそう名乗り、厳かに二人に頭を下げた。
「おぬしたちがシルヴィア王女を救うため旅をしていることは、ワタリガラスたちに聞いた。その途上でこの島に寄ったことは、野ネズミたちに聞いた」
「ほう、それでは急ぎの旅だと知っているだろう。雷捕らえのエルドンよ、なにゆえ己たちを引き留めたのだ?」
「わしは、おぬしらのような名高い戦士に会いたかったのだ。どうか、どうか、わしの願いを聞いてくれぬだろうか?」
エルドンは再び頭を下げて懇願した。
老巨人その様子が哀れに映ったので、ウォーレンは話を聞いてやることにした。
「聞くだけ聞こう。願いとはなんだ?」
「どうか、わしと戦って欲しいのだ」
ウォーレンとレオスリックはきょとんとして顔を見合わせた。
「何ゆえお前と戦わねばならぬ? 我らの間には何の遺恨もない。また、お前が悪を為すというのなら話は別だが、近隣の町でも巨人が暴れているという話は聞かなかった。我らが戦う理由はないではないか」
「わしにはあるのだ」
「雷捕らえのエルドン、なぜお前は戦いを望む?」
老いた巨人は一層悲し気な表情をして、なぜ戦いを望むのか語り始めた。
「それはだな、さっきも言った通り、わしはこの島で唯一の巨人だが、かつてはそうでなかった。大勢の仲間がいて、わしらブリテンの巨人族は大いに繁栄していた。この円形土砦を築いたのもわしらだ。今でも時々、ここで仲間たちと馬鹿騒ぎしていた、若い頃の夢を見る。
「だが、わしらは徐々に数を減らしていった。北方の神々と戦いや、エリンの大戦士クー・フーリンやフィンといったケルト人、その後に押し寄せたローマ人やサクソン人、そしておぬしらも知っていよう、かのアーサー王と円卓の騎士らとの戦いによって。
「激戦が幾度となく繰り返され、多くの仲間が斃れたが、その中でわしだけが最後まで残ってしまった。我が名誉のために言うが、わしは臆病だったから生き残ったのではない。わしは他の巨人よりも強かったので、最後まで生き延びてしまったのだ。これまでわしは必ず先頭に立って戦った。
「わしらが敗れたのは戦いの上でのこと。そのことについて、今更どうこういうつもりはない。しかし今やブリテンは巨人の墓で溢れている。この島はわしにとって巨大な墓地、意図せずしてわしはその墓守となった。楽しかった日々はもう辛い思い出でしかない。わしはもう疲れた。
「ウォーレンとレオスリックよ、当代随一の勇者と呼ばれ、将来国を背負うおぬしらなら、わしの味わっている地獄が想像できよう。守るべき国も、仲間も消えて、その残骸が崩れていくのを見つめながら、ただ一人生き延びるのだぞ! それも他の者より強かったという理由で!
「わしはもう耐えられぬ。最後に偉大な勇者と戦って、わしがホラ吹きの臆病者などではなく、またブリテンの巨人族そのものも、強く勇敢な種族であったことを証明し、そしてその勇者の手にかかって死にたいのだ」
いつの間にか巨人は涙を流していた。あまりにも大きな涙粒だったので、ただの一滴が地に落ちただけで小さな水たまりができた。
巨人ばかりではなく、ウォーレンとレオスリックも巨人エルドンに同情し、涙していた。
大戦士と呼ばれている二人にとって、巨人の語った悲劇はとても他人事とは思えなかった。
彼らとて、将来この巨人と同じ未来が待っているというのは十分に考えられる。
そうであるがゆえに、巨人の生き地獄を思うと、自分の胸が締め付けられるようだった。
「分かった」と赤く目を腫らしたレオスリックは言った。その傍らでウォーレンも頷いた。
「雷捕らえのエルドン。お前の語った生き地獄は筆舌に尽くしがたい。武士の情けだ、己たちが屹度引導を渡してやろう」
「立会人として、おぬしの最後を語り継ぐ吟遊詩人を連れて来るゆえ、一日待ってもらいたい。明日の晩、ここで闘おう」
「おお、受けてくれるのか。かたじけない、アーレリウム国の世子ウォーレン。そしてゼファード国の世子レオスリック」
そう言って巨人は深々と頭を下げた。
ウォーレンとレオスリックは一旦道を引き返して今朝発った町に戻ると、一日かけてその町にいた詩人に片っ端から声をかけたが、どの詩人も巨人を恐れて立会人になることを拒んだ。
「ううむ。ウォーレン、どうしたものだろうか」
「仕方がない、見込みが少なさそうだが、近くの村にも行ってみよう。詩人がいるかもしれない」
そのように困っていると、着ているローブに旅の埃がたっぷりついた、薄汚い格好をしている男が現れて二人に近づいて、こう言った。
「この町の詩人たちに聞いたが、巨人の最期を見届ける立会人を探しているというのはあなた方か?」
身なりに反し、その声はよく澄んで遠くまで届く声質をしていた。
さらに彼は汚れた格好をしているものの、その態度は堂々としていて、立派な体躯を持つウォーレンとレオスリックにも動じていないようだった。
「いかにもそうだ。お前は誰だ?」
「私は吟遊詩人のカドゥール。もしまだ立会人が決まっていないのであれば、私を同行させ、巨人の最期を語り継ぐ名誉をお与えください」
「まだ立会人は決まっておらぬ」
レオスリックはカドゥールの身なりが乞食同然であることを見て、疑いの眼差しを向けた。
「みな巨人を恐れて付いて来ようとはしない。実際、危険な役目であることも確かだ。それなのに、お前はなぜわざわざ危険な仕事を望むのだ?」
「何を仰る! 詩人にとってブリテン最後の巨人の末路を見届ける以上に名誉なことがありましょうや? それに危険だと言っても実際に巨人と戦うあなた方ほどではない」
カドゥールはそういったがレオスリックはなおも食い下がった。
「口では何とでも申せる。立会人は信に足るものでなければならない。途中で逃げ出すような者では意味がないのでな」
「なんですと!」
カドゥールは肩を怒らせてレオスリックに詰め寄った。
詩人の背丈はレオスリックの胸ほどもないが、体格の差など意に介していないようだった。
「今のは侮辱だ! 謝っていただきたい! だいたい世の人々は、竪琴弾きの詩人というものを分かっていないんだ! いや詩人自身も、自分が何者であったのか忘れてしまって、臆病者ばかりになってしまった! 嗚呼、全く嘆かわしい!」
カドゥールはそう嘆いた。
今まで黙って成り行きを眺めていたウォーレンは、興味をそそられたので訊ねてみることにした。
「カドゥールよ、では竪琴弾きの詩人とは何なのだ?」
「竪琴弾きの詩人とは、ですと! いいでしょう、これを見なさい!」
そう言ってカドゥールが見せたのは彼の商売道具である竪琴であった。
自身の身なりと違ってその竪琴はピカピカに磨かれており、弦もしっかりとピンと張っている。
「ようく御覧なさい! 竪琴とは、何かあなた方のような戦士に馴染み深い道具に似ておりませんか!」
ウォーレンは少し考えてから答えた。
「弓に似ている」
「その通り! 竪琴とは弓から生まれたもの、そして詩人とは最も優れた弓矢の使い手から生まれたものなのです! なんとなれば、常に王の側にあって警護する者のみが真実の王の姿を知ることができたからで、その中で歌に秀でたものが歴史語りの詩人となったのです! つまり詩人とは元を辿れば王の近衛だ!」
「それは初耳の説。しかし、レオスリックにも食って掛かる君の気位の高さを見れば、まんざら嘘にも思えない。私は君を連れて行きたくなったが、まだ受けてくれるだろうか」
しかしカドゥールはプイとそっぽを向いた。
「まだそちらの大きい方から謝罪を受けていない。それまでは嫌です。ほかの詩人を当たりなさい」
一瞬、レオスリックの胸中で彼の持つ獣性がぐつぐつと煮えたぎった。
それは正に生のままの野獣が持つ怒りと同じものであり、しばしばレオスリックの体から飛び出て、彼の敵を八つ裂きにした。
しかし今回はそれが体の外に飛び出ることはなかった。
確かに先に侮辱したのは自分であったし、詩人と敵対するのは名誉にかかわる、と思ったからだ。
付け加えるなら、このように気骨ある者はレオスリックも嫌いではなかった。
「己が軽率であった。吟遊詩人のカドゥール、すまなかった。どうか許してくれ」
そういってレオスリックはカドゥールに向かって深々と頭を下げた。
「謝罪を受け取ります。お顔をお上げください、こちらこそ、分を過ぎたことを申したことをお許しあれ」
こうして立会人の吟遊詩人は見つかり、その晩彼ら三人は、昨日巨人と出会った円形土砦へと向かった。




