亡者を運んだ夜
巨人と戦った後もウォーレンとレオスリックの旅は続く。
先にも述べたが、ブリテン北部ハイランド地方はとにかく険しい山地が続き、しかも沼沢・湿地帯が多く、しばしば現れる霧が行く手を阻む。
共に健脚であるウォーレンとレオスリックであったが、歩き慣れぬハイランドの荒野にはうんざりさせられた。
彼らの育ったなだらかな丘陵地帯と、この地はあまりにも違う。
次第に歩みは遅れ、霧が彼らの目を惑わし、いつしか彼らは道を見失っていた。
途方に暮れているうちに日が傾いて、太陽は山々の奥に消えていこうとしていた。
予定では着くはずの町にたどり着いてはいないが、流石に陽が沈んでは方角さえ分からない。
「くそ、今日はここまでだな」
夕日を見つめながらレオスリックは忌々しげにいうと、二人は足を止めそこで休むことにした。
二人が野宿しようとした場所は、脇に大きなオークの木が生えていて、ちょうど道が三方に分かれる三叉路である。
「日が昇れば少なくとも方角は分かる。西へ向かおう」
「うむ。そうだな」
その夜のこと。二人が火を囲みながら、これからの旅路について話し合っていた時である。
何者かが二人に向かって呼びかけた。
それは砂利を踏むようなザラザラしてかすれた声であった。
「ああ、温かで心安らぐような光が見える! もし、もし。そこに誰かいらっしゃるのですか? お願いでございます、私めをその光に近づくことをお許し下され」
おう、とレオスリックは答えた。
豪胆な獅子にとって、声の主が何者であろうと恐れるに足らず。
善良な者ならそれでよし。賊徒の類なら斬って捨てるまで。
したがってレオスリックは声の主を快く受け入れた。
「何者か知らぬが、減るものでもなし。遠慮せずに姿を現して近こう寄るがいい」
さらに声の主は言った。
「ああ、優しい旅の方。それでは今から姿を見せますが、私の姿は醜く、身なりは汚れております。それでも驚かないで下さい。決してあなた方に危害は加えませぬゆえ」
レオスリックは鼻で笑った。
「構わぬ構わぬ。己たちも腕に自信はある。例えお前が追い剥ぎであろうと己たちからは何も奪えぬだろうし、何者であろうと驚かぬよ」
「ははあ。それでは失礼致します」
かすれた声の主がそう言うと、オークの木の裏で何かがガサガサと動いた。
そして、木の根の陰から現れた腕を見て、レオスリックはぎょっと瞠目した。
その腕は殆ど骨と化していて、肉は僅かにこびり付いているばかりだったのである。
腕に続いて声の主がオークの木の裏から這い出して、全身が現れた。
まさにそれは朽ちて白骨と化している途中の死体であり、着ているものはボロ切れ同然。
肉はほぼ腐り落ちていて、両目に瞳はなくポッカリと空いた眼窩があるのみ。
また、頭には僅かに残った髪が荒野の草のようにボサボサと生えている。
驚かぬと言ったレオスリックも流石に驚いて、サックヴェルグを抜き放つと威嚇するように吼えた。
「なんだ貴様は!? 何が目的で己たちの前に現れた、この亡者め!」
「お慈悲を」とみじめに地に頭をこすりつけ、哀れっぽく亡者は懇願した。
「どうかお慈悲を。私はただあなた方が持つ光に近づき、冷え切ったこの身を僅かでも暖めたかっただけなのです」
「地獄に帰れ!」
レオスリックは問答無用で亡者を斬ろうとしたが、ウォーレンはなにか心に引っかかるものを覚え、友の肩を掴んで斬るのを止めさせた。
「お前は何者だ?」
「光を持つお方よ。私の名はヨハンセンと申しまして、五年ほど前に死んだ男でございます」
「ではヨハンセンよ。どうしてお前はこんな荒野のただ中で、そんな姿を晒しているのだ? 死者なら死者らしく墓地に眠っているべきだろうに」
「嗚呼、私もそうしたい! しかし、それは許されぬのです。生前、私は悪い男でした。その為に私の墓は浅く、悪魔どもに目を付けられたのです。奴らは墓を掘り返して私の体を引っ張り出すと、毎夜散々私を弄って苦しめるようになりました。
「そうこうしているうちに、私は墓地から遠く離れたこんなところまで引きずり出されたのです。ほれ、周りをご覧ください! ギラギラ光るたくさんの眼がこちらを見ている! 私は満足に動けぬため、いつも悪魔どもに苛まれるのです」
ヨハンセンの言葉にウォーレンとレオスリックは周囲を見渡すと、確かに闇夜の中に何かが蠢いているような気がした。
目を凝らすと、狼、狐、狢の類の動物がコソコソと動き回っていた。
彼らは時折人のように二本の足で立ちあがり、こちらの様子を窺っている。
低級な悪魔や、その使い魔になり下がった人間は、獣の毛皮を纏いその動物に変身するという話を聞いていたウォーレンは合点がいってうなずいた。
しかし、獣の姿を纏った悪魔たちはこちらに向かってくる気配はない。
「遠巻きに見ているだけか。なぜ奴らは襲ってこないのだ?」
「ああ旅のお方、それはあなたが持つ光が、悪魔を遠ざけているのです」
「火か?」
「いいえ、腰の物でございます」
ウォーレンははっとした。
聖剣ホーリーブリンガーの柄頭に嵌め込まれたダイヤモンドが、悪魔を遠ざけていることに気が付いたのである。
「なるほど。ホーリーブリンガーの光はまさしく神の威光。悪鬼の類は近づけぬ。しかしお前はこの光が怖くないのか?」
「恐れるなどとんでもない。それは私にとって、まさに地獄に差した一条の光」
そう言ってヨハンセンは頭を垂れ、這いずった不格好な姿のままホーリーブリンガーの前で深く祈りを捧げた。
ウォーレンはヨハンセンの格好を注意深く観察した。確かに醜い死体である。
だが、よく見ると年月による腐敗だけでなく、悪魔どもにつけられた噛み傷や爪の傷あとが体のそこかしこに散見される。
しばし考えた後、ウォーレンが意を決して言った。
「ヨハンセンよ。お前、墓に戻りたいと申したな?」
「それはもう」
「自分の埋められた墓の場所は分かるか?」
「覚えております」
「よし。ならば私がお前を背負い、墓まで連れて行ってやろう。そして今度はしっかりと深い墓穴を掘って、そこにお前を還してやろうではないか」
「本当でございますか!?」
思わぬ申し出にヨハンセンは驚いた。レオスリックはそれ以上に驚いた。
「おい本気か、ウォーレン?」
「勿論だ。こうして苦しんでいる者を捨て置いては行けぬ」
「こやつ自身が悪魔の類かも知れんのだぞ。そうでなくとも、悪い男だったと自分で申したではないか!」
ウォーレンは頭を振った。
「真に悪魔や悪漢の類ならホーリーブリンガーの光を恐れるはず。だが、ヨハンセンはそうではなく、光を見て主に救いを求めてきた。ならば私は助けてやりたい」
レオスリックは額に手を当てて、顔を顰めた。こういうことを一度言い出したらウォーレンは頑固だということをよく知っていたからである。
そうしているうちにウォーレンヨハンセンに肩を貸して立たせてやるところだった。
「くそ! 待て、義兄弟! 己の目が黒いうちはお前だけに重荷を背負わるわけにはいかぬ!」
そう言ってレオスリックもまた反対側のヨハンセンの肩を支え、二人はそうして両側から肩を組んでヨハンセンを運ぶことにした。
幸いなことに月は明るく、歩くことに支障はなかった。
ウォーレンとレオスリックはヨハンセンの死体を肩で支えながら、夜の荒野を進んだ。
険しい山道を進みながら、レオスリックはヨハンセンの腕がグイグイと肩に食い込んでいくことに気が付いた。
さらに坂道を歩く足取りはいつも以上に重い。それはただ気分の問題と言いうわけではなかった。
おかしい、とレオスリックは思った。
たかが死体一つ、それも殆ど白骨と化している死体を運んでいるだけにしては、いやに疲れるのである。
ヨハンセンの体は重い。とても重いのだ。
たまりかねてレオスリックは言った。
「やい、貴様! 一体全体どうしたことだ! 己は丸々と太った牛とて楽に担ぐ男だが、今まで担いだどの牛よりも貴様は重いぞ! 骨と皮ばかりしかないというのに、なぜそんなに貴様は重いのだ!?」
ヨハンセンの暗い眼窩は俯き、恥じ入った様子で答えた。
「私の体が重いのは、生前犯した罪の重さが加わっているからでございます。この重みのため、私は自力で動けぬのです」
「何をやった?」
「押し売り、横領、法外な高利での金貸し、些細なことで奴隷や下男下女を鞭打ち、一方で目上の者には賄賂を贈り――」
「もうよいわ!」
聞いているうちに苛立ってきたレオスリックは、怒鳴ってヨハンセンを黙らせた。
「ウォーレン、こいつ思った以上に悪い奴だぞ! やはりここに置いて行こう!」
「レオスリックよ、では聞くが、やり始めた仕事が辛いからといって途中で投げ出すのは悪いことではないのか?」
それに、とウォーレンは続けた。
「たった一人の罪ですらこれほど重いのなら、原罪を背負いしヤソの偉大さが分かろうというものだ」
くっくっくとウォーレンは低く笑った。
「笑いごとではないぞ!」
さらにウォーレンは道理を説いてレオスリックを宥めた。
「私には今日我らが出会ったことは、なにか意味があることだと思えてならぬ。ヨハンセンを救えるのは恐らく我らくらいのものだろう。神がヨハンセンを憐れんで我らを遣わしたのかもしれぬ」
「ふん、もしそうならば大した思し召しだわい!」
山地を上り、グネグネと蛇行する尾根を伝って進み、さらに下って山を越えたと思うと、三人は湿地帯に差し掛かった。
湿地の中は何かが腐ったような――既に腐った死体を運んでいるのだが――匂いがして不快な上、グチョグチョとぬかるむ地面を歩いていると靴の中に水が浸み込んできて、いよいよレオスリックは嫌な気分になった。
またこのとき、日頃ヨハンセンを玩具にして苛んでいた悪魔どもも、ウォーレンとレオスリックがヨハンセンを正当な居場所へと運んでいることに気づいて大いに腹を立てていた。
悪魔どもはホーリーブリンガーの光を恐れながらも、ヨハンセンを取り戻そうと考え、離れたところから二人に向かって呼びかけた。
「ウォーレン、ウォーレン。おぬしが運んでいる男は大層悪い男で、神が永久の責め苦を与えるように定めたのだ。だからその男を我らに引き渡して去るがいい!」
悪魔の言葉などウォーレンは一顧だにせず、毅然として答えた。
「この者が何をしたにせよ、今は悔い改めて神の光の保護の下にある! またいかに悪い男であっても、審判を下し罰を与えるのは主であって、お前たち悪魔が好き勝手に弄っていいわけがない!」
ウォーレンの決意が固いことを知って、次に悪魔たちはレオスリックに向かって呼びかけた。
「レオスリック、レオスリック。お前は妻を救う旅の途中であるはずだ。そんなつまらぬ男のために苦労する必要はない。もしその男を引き渡すなら、我らの魔法でもってお前の妻の病を取り除いてやろう。さあヨハンセンを返せ!」
レオスリックは、ヨハンセンのことも、くさい湿地帯のことも、濡れた靴のことも嫌いだった。
しかし悪魔の甘言に乗ることはもっと嫌いだった。悪魔どもに自分が侮られたと感じた。そして獅子は自分を侮った相手は必ず後悔させてやると誓っていた。
しかも、今晩の彼は苛立っていた。
「貴様ら、人の弱みに付け込んで、この己を意のままにしようなどとよくも言ってくれたな! この仕事が終わったら相手をしてやるゆえ、そこで待っておれ!」
獅子の咆哮は悪魔どもを震え上がらせた。
それはただ彼の気が立っていたからというだけではない。
エルドンと戦ってからのウォーレンとレオスリックは、時に名状しがたい凄み纏っていたのである。
白くなったウォーレンの鶴髪は魔性の色を帯び、レオスリックの周囲には巨人を刺し貫いた時の空気が漂っていた。
それらは人間には分からぬものであったが、悪魔にはかえってよく感じられた。
二人を惑わせることが不可能だと悟った悪魔は、一匹また一匹とその場を離れ、三人が墓場にたどり着いた時には奇麗さっぱりと消えていた。
「ああここだ、ここが私の墓だ」
ヨハンセンのしわがれた声がそう言った場所は、小高い丘に木の囲いを設けただけの簡素な墓地だった。
生前は金持ちであったと見えるヨハンセンの墓は、共同墓地の中心から少し離れた場所の一角を占めていて、悪魔たちが乱暴に暴いた時のまま、片付ける者もなく放置されていた。
これにはウォーレンも「評判が知れるな」といって顔を顰め、ヨハンセンは消え去りそうな声で「私は愚かでした」と答えた。
「しかし」とヨハンセンは続けた。
「こんな私でも最後に僅かでも償いができるかも知れません。暴かれた我が棺をよく調べてくだされ」
二人は言われるがまま、打ち捨てられていたヨハンセンの棺を調べた。
そして気づいたのだが、どちらかといえば小柄なヨハンセンの体に対し、棺の方は妙に大きいのである。
巨漢のレオスリックだって楽に入るような大きさの棺だった。
「大きいな」
「はい。底は二重になっております」
ヨハンセンの言葉通りだった。
棺の底には薄い板が敷かれていて、それを剥ぐと中には大量の金貨がびっしりと詰められていた。
レオスリックは呆れてヨハンセンを怒鳴りつけた。
「どおりで貴様の体は重いわけだわい! これが貴様の罪というわけだ! 己たちはこれを運んでいたのか! 言っておくがあの世に金は持って行けぬぞ!」
「思い知りました! 今となっては慙愧に耐えませぬ! どうかこの金は、全てしかるべきところに返して下さるようお願い申し上げます」
「ふん、乗り掛かった舟だ。しようがあるまい」
二人は棺から金を取り出すと、軽くなった棺の中にそっとヨハンセンを下ろし、泥のようになってぬかるむ墓所の土を深く掘った。
「よし。これならば再び墓を暴かれることもあるまい」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
ヨハンセンは空っぽの眼窩から涙を流すほどに二人に感謝を示したのち、やがて他の死者同様に、糸が切れたように動かなくなった。
二人がヨハンセンの墓を埋めてやると、ちょうど夜が明けるところだった。
「ふう全く。もう朝か。町を探して金を返してやらねば。といっても、そもそも己たちは道に迷っているのだが」
「いや、我らの道は開かれたぞ! あそこだ!」
ウォーレンはそう言って丘の下を指差した。その指の差す所には小さな町があり、至る所からパンを焼くかまどの煙がもくもくと上がっている。
「やはり神は偉大だ! 我らにヨハンセンの魂を救わせ、同時にヨハンセンには迷える我らを導かせたのだ!」
「ふん、そういうことにしてやるか」
レオスリックは肩を竦めた。
いうまでもなく、その後二人は丘を下り、ヨハンセンの遺言通りに彼の遺した金を、彼が生前苦しめた人々に配って回った。




