悪夢の終わり
レオスリックは二晩続いた嵐によってぬかるむ道を西へ西へと進み、やがて山間の道に入っていった。
そこは既に人里を遠く離れた険しい山肌に沿って続く道であり、人が作ったというよりも自然の浸食作用と獣たちの歩みによって踏み固められた道であった。
進めるだけ進んだところで、斜面が崩れたような箇所があり道が塞がっている。
レオスリックは嵐によって土砂崩れでも起きたか、と思い何とか通れないかと山肌の上を見上げ、続いて崖下を覗き込んだ。
そのとき、レオスリックの獅子の眼に青い光が飛び込んできた。
崩れた斜面の下になにか輝くものがあり、その輝きには覚えがある。彼にとっては馴染み深い光だ。
獅子はその光の源を見定めると、白い歯を見せながらそう言った。それこそ彼の剣であるサックヴェルグの輝きであったのだ。
「サックヴェルグが己を呼んでいるわ。ホーリーブリンガーに劣らず主人思いの剣よ」
「ウォーレン!」
レオスリックは吼えるように叫んで急斜面を落ちるように下った。
彼は二抱えや三つ抱えもあるような巨岩を次々に持ち上げてどけてゆくと、ついにその下にウォーレンが騎っていた馬と、魔剣サックヴェルグ、そしてウォーレンその人を見出した。
馬は岩に潰されて無惨な死体となり果てていたが、幸いウォーレンの体は岩と岩の隙間に上手く入り込んでいて、大きな怪我はないように見える。
運の強い男め、とレオスリックは思ったが、それでも二晩に渡って嵐に晒されていたウォーレンの体は、霜が降りていてもおかしくないほどに冷たく、鼓動は猫の足音のように静かであった。
「いかぬ! これでは死者と変わらぬ!」
戦場でいくつもの死体を見てきたレオスリックにはその危篤ぶりが分かった。
もはやウォーレンには物を胃に流し込む力もないと見て取ったレオスリックは、急ぎエヴァンジェリンから貰った薬を自分の口に含むと、母が子にするように口移しでウォーレンに薬を飲ませた。
もはや事は我が手を離れ、神に委ねられたとレオスリックは思った。人事を尽くしたと思った。全ての手立てを用いたと思った。
あとは薬が効くのをただ待つしかできなかった。
「あとは、お前が目を開けるだけだぞ」
そう言ってレオスリックは友の手を強く握った。
たちまちの内に薬の効き目は現れた。
心臓の鼓動は強くなり、体には血色と温かみ戻ってきた。
我が妹はいつの間にこれほどの秘術を学んだのだ、とレオスリックが思ったほどの作用である。
その内にゴホゴホと咳き込みながら、ついにウォーレンが目を覚ました。
「間に合うたわ!」
レオスリックはそう一吼えすると途端に体から力が抜けていくのを感じた。
いや、それどころではない、途端に体が岩のように重くなったように思われた。
張りつめていた緊張の糸がぷっつりと途絶えたためだろう。
対するウォーレンは自分を覗き込むレオスリックを不思議そうに見つめ返した。
「レオスリック? 一体どうしたのだ」
「どうしたもこうしたも! 覚えておらぬのか!」
「何を」と口に出したときウォーレンは自分が今どこにいるのか、グランヴェールを追い崖下に落とされた顛末を全て思い出した。
「いや、思い出したぞ! ところでお前なぜここにいる? アーレリウムの守護はどうした!?」
「命を助けてやったのに、なぜいるとは挨拶だな! お前の剣がお前の危機を知らせたゆえ、居ても立ってもいられず城を抜け出してきたのだ。思いがけぬ冒険となったぞ」
「無茶をしたものだ! しかし、ありがとう、レオスリック。手間をかけたな、お前に命を拾われたわ」
「気にするな、義兄弟。まあ今度ばかりは少し疲れたが」
そういってレオスリックは腰を下ろした。これほど疲れたことはかつてなかった。
友のくたびれた様子を見て、ウォーレンは労るように言った。
「ここでお前の回復を待っていてやりたいが、時間がない。グランヴェールはまだ生きているのだ! どうにかして日暮れまでに都に行かなくてはならん。私は急ぎ都へ向かうゆえ、お前は後からゆるりと参れ」
「後から参れだと? 冗談ではない!」
レオスリックの目に光が戻った。
「これほど苦労したのに、このままお前だけを行かせて大将首を取られては、悔しくて悔しくてたまらぬわっ! 己も行くぞ!」
そう吼えるレオスリックを見て、ウォーレンは笑った。
それでこそ獅子と呼ばれた男であった。
「ああ、それは気が回らなんだ。では共に参ろう、レオスリック!」
ウォーレンが差し出した手を握ってレオスリックは立ちあがった。
あれほどの行いを為した後でも、その手にはまだ力強さが残されていた。
太陽が遥か西の山々の間に隠れると、ゼファードの民が恐れていたことが起こった。
ウォーレンに追い散らされたはずの忌まわしきグランヴェールが再び戻ってきたのである。
悪鬼の王、二つ貌のグランヴェールは相変わらず地獄の猟犬どもを引き連れて都に現れると、都の隅々まで轟くような大声で叫んだ。
「ウォーレンは死んだぞ!」
「ウォーレンは死んだぞ!」
その声を聴いた二十名の戦士は、急ぎ武装して城から飛び出ると、野獣を従えた巨怪と対峙した。
ウォーレンの仇を討とうとする戦士たちは怒りに体を震わせ剣を抜いたが、グランヴェールは彼らを見てにんまりと嗤い、黒い猟犬をけしかけた。
復讐に燃える戦士たちは、血沸き肉踊らせ獅子奮迅の働きをして見せ、一人百匹もの猟犬を叩き斬ったが、それでも黒い猟犬の数は一向に減らない。
倒れる度に猟犬の体は闇に溶け、再び五体満足の姿となって闇から現れるのだった。
少しずつ少しずつ、戦士たちは追い詰められていった。
闘志は未だ衰えずとも、呼吸は荒く、体を支える足は萎え、手に握る剣は重みを増していく。
何よりも長たるウォーレンを欠いているという事実が戦士たちの心に重くのしかかった。
ほどなく高みの見物をしていたグランヴェールが腰を上げ、戦士たちを嘲った。
「あまさず鏖にしてくれる!」
「ウォーレンのように坑にしてくれよう!」
「ハハハハ!」
「ハハハハ!」
グランヴェールが哄笑を上げ、勝ち誇ったとき、その笑い声を遮って凛とした声が響き渡った。
「ウォーレンが死んだと申したか? では、ここにいる私は何者か、答えてみよ!」
グランヴェールが声のした方へ振り向くと、そこには決して揺るがぬ大樹の如く立つ、ウォーレンの姿があった。
手の中のサックヴェルグは月の光を浴びて煌々と輝き、飢えた獣のように今か今かとグランヴェールの命を狙っている。
「貴様なぜ生きておったか!」
「いま一度冥府に送ってくれる!」
グランヴェールは鋭い歯をカッと剥き出しにしてそういうと、猛禽の様な爪を立ててウォーレンへと躍りかかった。
相見えた両者は再び激しい一騎打ちを演じたが、幾合も打ち合わぬうちにグランヴェールの中で一昨日の晩に感じた恐怖が蘇ってきた。
「なぜだ! なぜお前は死なぬ? この野獣の主と戦って!」
「なぜだ! なぜお前を殺せぬ? この悪鬼の王自らが戦って!」
「分からぬか!」
ウォーレンは剣を傾けて、雄牛の構えを見せながら一喝した。
「主は、この世のあらゆるものに天敵を作り給うたのだ。蛙には蛇を、蛇には鷲を、鷲には竜を。そしてお前には私が遣わされたのだ!」
その瞬間グランヴェールは竦みあがり、金縛りにあったように体を硬直させた。
勝機と見るやいなや、ウォーレンは鳥のように軽やかに跳躍した。
「かくあれかし!」
その言葉と共に、ウォーレンはグランヴェールの右の首を刎ねた。
「ひぃ」
深手を負った悪魔は先日のように再び背を向けて逃げ出したが、一昨日の晩と違い、今晩そこには怪力無双の戦士レオスリックが立ち塞がった。
レオスリックは暴走する雄牛の群れに等しいグランヴェールを押し留めると、声を張り上げた。
「貴様にはずいぶん難儀させられたぞ! 逃がすものか!」
グランヴェールは仰天した。
これまで自分より腕力のあるものと出会ったことはなく、しかもよりによってそれが自分より遥かに小さな男だったからである。
得体の知れぬ恐怖を覚えたグランヴェールは思わず叫んでいた。
「放せ、化け物!」
「貴様のような醜い奴に、化け物と呼ばれる謂れはない!」
レオスリックは憮然として言い返すと、グランヴェールの巨体を引きずり倒し、左手で残っていた頭を地面に抑えつけ、右手でホーリーブリンガーを引き抜いた。
もがくグランヴェールを縫い留めたまま、レオスリックは雄々しく声を上げる。
「ホーリーブリンガーよ! 今こそ汝の威力を見せるときぞ!」
そういって振り下ろされた剣はいかなる断頭台よりも力強く、グランヴェールの左の首を刎ね飛ばした。
主を失った黒い猟犬どもは一目散に退散し、ウォーレンがグランヴェールの大首を両手で掲げ、レオスリックもまた同様に酒樽ほどもあるグランヴェールの首を掲げると、万雷のような勝鬨が上がった。
魔人はついに倒された。
もはやゼファードの民はグランヴェールに苛まれることはない。
その報告は一斉に夜の街を駆け抜け、ネズミのように息を潜めて夜が過ぎるのをじっと耐えていた人々は、数か月ぶりに明かりを灯して揚々と城に帰還する二十二名の戦士に歓声を送った。
街が一斉に歓喜に湧き、燈火の光が戻ったのを見て、ルーシャス王は戦士たちがグランヴェールを斃したことを知り、自ら城門の前に立って戦士たちを出迎えた。
「ああ、ウォーレンよ、アーレリウムの勇士たちよ、大儀であった!」
「神と友の助けにより、なんとか事を仕遂げることができました」
「おう疲れているだろうが、今夜はもうしばし余に付き合うてもらうぞ!」
戦士たちを迎え入れたゼファードの城では大宴会が催された。
来た時に増して豪勢な料理が供され、吟遊詩人は竪琴を手に戦士たちの戦いぶりを讃えた歌を歌い、酒盛りはいつまでも続いた。
シルヴィア姫は再び戦士たちに蜂蜜酒を注いで回ったが、レオスリックの前に立つと、特別に嬌態を作って微笑んだ。
レオスリックは角杯を差し出し、蜂蜜酒を注ぐシルヴィアの傍らで苦笑した。
「しもうたわ。そろそろ海で出会った美しい人の名を尋ねに参ろうかと思っていたが、先に答えを知ってしまった」
「まあ。それではもう私に会いに来てくれないのですか? アーレリウムのレオスリックさま」
「まさか。これでも己はあなたが海の精でなかったことにほっとしているのだぞ。いつまでもあなたの傍に居たいくらいだ、シルヴィア姫」
「あなたさまさえよろしければ、いつまでもここに居てもよろしいのですよ」
「そうもゆくまい」
レオスリックは名残惜しそうに言った。
「男には通すべき筋がある。己は一度国へ戻り、王に報告しなければならぬ」
「では私はいましばしお待ちしておりましょう。お慕い申しております、レオスリックさま」
「ああ、己もだ、シルヴィア姫」
そう言ってレオスリックは注がれた蜂蜜酒をゆっくりと口に流し込んだ。
宴会が終わり数日の間休息をとった戦士たちは改めてルーシャス王の大広間に呼ばれ、それぞれに褒美の品を賜った。
しかし彼らは清貧を美徳とするヤソの信徒であったため、また未だ多くの傷跡が王国に残っていることを知っていたため、金銀細工、牛、羊などの家畜、イスファハーンやアラビアの絨毯、中国の絹の織物、ローマのコインなどの宝を受け取ることを拒んだ。
ルーシャス王の顔を潰さぬため、その代わりに彼らが所望したのは、戦いによって折れた剣、傷ついてほつれた鎖帷子の代わりとなる新しい武具、そして各々一頭ずつの駿馬である。
その願いを聞き届けた後、ルーシャス王は「げに奥ゆかしき武者ぶり、ウーゼルも草葉の陰で誇りに思っていよう」と褒め称えた後、「我が王国にもこれほどの男たちがいたならば」とひとりごちた。
王の横でその独り言を聞いたシルヴィア姫は切なげな表情を浮かべたのち、目を伏せた。
その胸の内に思い人の顔を想いながら。
こうして二十二名の勇士は名残惜しまれながらも、ゼファード国を後にした。




